ぼくの部屋にお祖父ちゃんがいる。

今も勉強していると、

右の首筋に穏やかな視線が当たった。

「お祖父ちゃんだ 」

ぼくは立ち上がって右手の壁を見る。

本箱があって、

その上に横にして置かれたびんがある。

そのなかに帆船が入っている。

ボトルシップって言うらしいけれど、

びんのなかの帆船のほうが夢があっていい。

「お祖父ちゃん」

ぼくは本箱に近づいて、

帆船がぼくの目の高さにくるよう

少し膝を折った。




ぼくはお祖父ちゃんのナマの顔を知らない。

お祖父ちゃんは、

ぼくがゼロ歳のときになくなった。

このびんのなかの帆船は、

お祖父ちゃんが作ったもので、

初めはお父さんの仕事部屋に置かれていた。

小学4年になった今年の4月に、

「きみの部屋のほうが居心地がいいだろう」

と、お父さんが本箱の上に置いていった。


お祖父ちゃんのことは、

お父さんや、お母さんから

いろいろ聞いている。

自分の好きに生きてきた人だったという。

20歳のときに商船大学を中退してレバノンへ渡り、

船乗りになった。

少数派民族の武力組織へ、

中古の武器を運ぶこともあったらしい。

マレーシアの船会社が運用する

パナマ国籍のタンカーに10年ほど乗り、

その後、

香港財閥オーナー所有の

スクーナー型帆船の船長になった。

まだ香港が中国に返還になる前のことだ。

オーナー一家は中国に返還になる前に、

先に資産をアメリカへ移して香港を去った。

お祖父ちゃんは、

スクーナー型帆船をもらって日本へ帰国した。

スクーナー型帆船のキャビンを遊覧船タイプに改造し、

東京湾を拠点に遊覧船事業を始めた。

お父さんは、

レバノンのベイルートで生まれている。

お父さんのお母さん、つまり、

ぼくのお祖母ちゃんは、

難民の医師の娘だと聞かされた。

お祖母ちゃんは、

香港の家でようやく親子3人水入らずの

生活ができて喜んだという。

でも、やがて、重い病気にかかり、

香港の病院で息を引き取った。

お父さんはお祖父ちゃんと一緒に帰国して、

お祖父ちゃんの遊覧船事業を

事務方として手伝うようになった。

そして、まもなく、

お父さんの言葉を借りれば、

とても日本的で謙虚な女性を好きになり結婚した。

その人が僕のお母さんだ。

お父さんはお祖父ちゃんの死後、

遊覧船事業をやめて、

版権仲介業を始めた。

外国の書籍の日本での版権を出版社に橋渡しして、

そのエージェントをやっている。

お祖父ちゃんは、

英語、フランス語、イタリア語、

中国語の4カ国語を話せたそうで、

お父さんはその4ヶ国語を話せる上に、

読み書きもスラスラできるんだ。

ぼくの名は渡洋彦(とよひこ)で、

お祖父ちゃんがつけたという。

お祖父ちゃんは、

ぼくに大海原を渡る海の男にしたかったのかなあ。

お父さんには、

船乗りにだけはなるなよ、

とよく言っていたようだけど。

ぼくはお祖父ちゃんに憧れる。

お祖父ちゃんのように、

7つの海を渡って活躍したい。

でも、

今のぼくはあまり学校には行っていない。

自由な気風の私立小学校で、

ぼくのような引っ込み思案的な子どもでも、

ほどほどに登校していれば進級させてくれた。

もっとも、

自宅での1人の勉強は好きで、

学期末試験は休まず受けており、

常にクラスでトップだった。


「お祖父ちゃん」

ぼくはまたびんのなかの帆船に呼びかけた。

びんのなかの帆船の三角帆が

風をはらんだようにふくらんで、

はためきだした。

2本のマストに、

大小7枚の三角帆がついている。

それぞれの帆を必要な方向へ張っているロープも、

ピーンと張りつめている。

お祖父ちゃん、と呼びかけて、

そのぼくに帆をふくらませて

応えるようになったのは、

つい最近のことなんだ。


ドアがノックされた。

はい、と応じるとお母さんが入ってきた。

紅茶と小さなクッキーを2個、

ぼくの机の上に置くと、

「また、お船をながめていたの」

と、笑顔になった。

びんのなかの帆船は、

なにごともなかったようにもとに戻っている。

ぼくは机に戻った。

「ねえ、訊きたいことがあるんだけれど」

ぼくは紅茶にフ~ッと息を吐いて一口飲んだ。

「何を訊きたいの?」

「ぼくのお祖母ちゃんて、きょうだいはいたの?」

「下に2,3人はいたみたいだけれど…」

「じゃ、お父さんにとっての叔父さんや、

 叔母さんはレバノンにいるんだ。みんな結婚

 していればお父さんのいとこはいっぱいいるんだ。

 ぼくのはとこは10人20人いてもおかしくないよね?」

「そうね。でも、お祖父ちゃんが世界を股にかけた

 船乗りだったでしょう。お祖母ちゃんの実家の人たちとは、

 おつきあいがなかったの。それでも、香港時代のお祖母ちゃんは、

 実家の人たちとたまに連絡をとるようになっていたらしいけれど、

 お祖母ちゃんは早死にしちゃったでしょ」

「じゃ、もう永久に没交渉ってこと?」

 ぼくの声にさびしさがこもっていたらしい。

「お祖母ちゃんは実家のことについてなにかを残したはずだ、

 とお父さんは言っていたけれど、お祖父ちゃんが亡くなったあとも

 それらしいものは出てこなかったのよ」

お母さんは早口で言い訳のようにしゃべった。

ぼくは黙った。

お母さんはぼくの机をなでながら目を細めた。

「チーク材だから重厚でしょう。お祖父ちゃんの帆船の船長室に

 置かれていたものよ。帆船の備品だから小ぶりだけど、

 どっしりした印象でしょう。あなたが生まれたとき、

 お祖父ちゃんは大喜びしてくれたの。あなたが学校に上がったら、

 これをあげるんだと楽しみにしていたのよ」

ぼくは黙ったままうなずいた。

小学校に上がってまもなく、

お父さんがお祖父ちゃんの形見だと言って、

この机をここへ運んできてくれた。

右側の袖に引き出しが3つ、ついている。


夕食後、

部屋へ戻ると、異変が起きていた。

びんの口から縄ばしごが垂れて、

本箱の3段目に届いている。

2段めに当たるところに、

マドロス姿の小人がいて、

目を輝かせてぼくを見ていた。

ぼくの人差し指ぐらいしかなかったが、

白い鼻ひげを蓄えて威厳のオーラを放っていた。

「お祖父ちゃんだ」

と、ぼくは直感した。

お祖父ちゃんは、

縄ばしごから片手と片足を離して、

巧みな仕草で自分の下の縄ばしごに

触れるよう指示した。

ぼくは、

お祖父ちゃんから10センチぐらい下の縄ばしごの段に、

左手の人差し指を突っ込むように置いた。


ヒュ~ン ヒュルヒュルヒュルヒュル ヒュ~ン

ブランコのように揺れる縄ばしごに、

ぼくは両手両足でしがみついていた。

「渡洋彦よ、しっかりおれについてこい!」

ぼくは上にいるお祖父ちゃんに、

1段1段しっかり上がってついていった。

光景は一変していた。

僕の部屋は大波が逆巻く荒海になっていた。

容赦なく襲いかかる吹雪にも似た飛沫で、

見通しは利かなかった。

本箱はオーバーハングした大断崖に変わり、

縦に大きな亀裂が走っている。

揺られながら、

ぼくはお祖父ちゃんの足運びに合わせて、

1段1段しっかり上がっていった。

そのお祖父ちゃんの姿が見えなくなった。

ぼくは焦ったが、あわてなかった。

お祖父ちゃんが消えたあたりまで上がると、

洞窟が現れた。

お祖父ちゃんは洞窟の床の窪みに左足を入れ、

右足を踏ん張り膝を曲げて、

僕に手を差し伸べてくれた。


洞窟は天然のものに人手をかけて、

歩きやすくしたようだった。

途中で右斜めに曲がり、

なだらかな下り坂になった。

お祖父ちゃんは、

小型のカンテラで足許を照らしながら、

イタリア語で「サンタ・ルチア」を歌った。

洞窟に共鳴してエコーが効いた歌い方になった。

「大航海時代の乗組員によく歌われたそうだ」

歌い終えて、お祖父ちゃんは僕を振り返った。

洞窟の出口が見えてきた。

しだいに、その出口が大きくなってくる。

空と海が見えてきた。

海は凪いでいるようだった。


岩を削った岸壁に、

2隻の船が接岸していた。

1隻は外洋型のクルーザーで、

もう1隻は、

お祖父ちゃんの2本マストのスクーナーだった。

僕はお祖父ちゃんについて岸壁に入った。

左右に高い断崖が迫る入江で、

その中ほどに数隻が停泊していた。

2隻のクルーザーと、

1隻のクルージング用の大型ヨットだった。

お祖父ちゃんの船の甲板で

4人の船員が作業していたが、

お祖父ちゃんに気づくと、

いっせいに声をかけてきた。

1人が中国語だったが、

他の3人は英語だった。

お祖父ちゃんのあとに従って甲板へ上がった。

甲板の下にキャビンがある造りだった。

後部に舵輪がある。

その舵輪を磨いていた船員が僕に会釈をして、

お祖父ちゃんに場所を譲った。

舵輪を船首に向いて操作するコーナーで、

お祖父ちゃんはそのコーナーに入り、

両手で舵輪を握った。

「立ったままでな、シケ気味のときもずぶ濡れになって

 こいつを操作するんだ。ただし、帆走のときだよ。

 ディーゼルエンジンで操船のときは、

 甲板下の操舵室で舵を取るんだ」

お祖父ちゃんは嬉しそうだった。

少し先の海面へ、

ミサゴがダイビングして魚を捕まえ、

翼を力強く羽ばたかせて舞い上がった。

「キャビンを案内しよう」

船尾近くにある甲板からの船員用乗降口から、

チーク材をふんだんに使い、

内装にも粋を凝らしたキャビンに下りた。

「まだ遊覧船仕様になる前のキャビンだよ」

小パーティーが可能な食堂、

三重奏ができるステージを持った休憩室。

ダブルベッドが置かれた寝室、

さらに、ゲストルームが3室。

甲板下に小規模の宮殿を収めた、

と言えばうなずける。

質素な別区画に、

3つ4つの部屋が並んでいた。

「おれの部屋だ」

お祖父ちゃんは、

1つの部屋のドアを開けて、

ぼくを先に入れた。

ベッドと、机と、

テーブルセットがコンパクトに配置されていた。

「あっ」

ぼくは机を見て小さく叫んだ。

僕の部屋にあるお祖父ちゃんの形見の机だった。

お祖父ちゃんは椅子にかけると、

いちばん下の引き出しを開けた。

書類や、ノート類の下から1通の封筒を取り出した。

「はい」

お祖父ちゃんはそれをぼくに渡した。

何も書かれていない茶色の封筒で、

便箋のような中身の存在が指に伝わってきた。

「大事に持って帰ってくれ。今はリアルタイムで

 グローバルな生き方ができる時代になったな。

 渡洋彦は知見を世界に広く求めるといい。

 きみのいとこや、はとこたちは、中東、

 ヨーロッパに散って活躍しているだろう。

 将来はどんどん会って見聞を蓄えたらいい。

 おれの話もお前が聞かせてやってくれ」

お祖父ちゃんは立ち上がった。

「この船はまもなく出航する。その前にお前を送ろう」


お祖父ちゃんに連れられて、

岸壁から断崖に挟まれた細道を

くねくねとしばく行くと、

岩間を清水が流れていた。

それを辿っていくと滝があった。

振り仰ぐと目がくらんだ。

ドドドド~ッ、

と落下して霧のようなしぶきを上げている。

「この滝は間欠泉のように、一瞬止まる。

 このとき、しぶきをかいくぐって、

 まっすぐ駆けろ。怖がらなくていい。

 お父さん、お母さんには

 今日のことを話さないでいいぞ」

お祖父ちゃんがその言葉を言い終えて、

すぐに、その一瞬はきた。

「今だ、駆けろ!」

お祖父ちゃんの叫びに、

ぼくは弾かれたように飛び出した。

一瞬、気を失ったように感じた。


ぼくは自分の部屋のなかで呆然としていた。

本当にお祖父ちゃんに会ったのだろうか。

貰った封筒は大事に持っている。

ぼくはそれを机に置いて椅子にかけた。

ドアがノックされた。

はい。と返事をすると、

お母さんが、続いて、お父さんが入ってきた。

「さっき、メロンを持っていったのに、

 いなかったわ。どこへ行っていたの?」

お父さんが、あれっ、と声を上げて

お母さんを追い越して机の上の封筒を取り上げた。

「お祖父ちゃんがよく使っていた封筒だよ」

お父さんは中身を取り出した。

四つ折りにした白い紙が出てきた。

お父さんは広げて机に置いた。

筆書きで大きく、

「渡洋彦、と書かれていた。

「お祖父ちゃんにきみの命名を頼んだとき、

 すぐに書いてくれたんだよ。その後、

 これは見当たらなかった。そのときは

 気づかなかったけれど、表にもともと何か書いてあったんだな」

お父さんは、

ぼくの名前が書かれた紙をひっくり返した。

英語の細かい字でびっしりと、

氏名と住所のようなものが箇条書きされていた。

「お祖母ちゃんの字だ。お祖母ちゃんの実家や、

 親戚の住所録だ。しっかり連絡をとってみよう。

 渡洋彦、きみのいとこだとか、はとこだとかが

 みんなわかってくるぞ」

お父さんは少し興奮したようだった。

「でも、これ、どこから出てきたんだ?」

お父さんはぼくの顔を見た。

ぼくは黙っていちばん下の引き出しに手をやった。

「そうか。きみに渡す前によく調べたつもりだったが、

 その上の引き出しの底にでも貼ってあったんだ」

お父さんは独りで納得して大きくうなずいた。


もう少し大きくなったら、

中東や、ヨーロッパの親戚を訪ねまわって、

グローバルに生きるために必要なことを身につけていこう、

とぼくは心に決めた。