お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家には、

赤いポストがある。

くわしく言うと、

庭が広くて、

絵本館という絵本専門のカワイイ図書館があるんだけど、

その入口の脇に、

赤いポストは置かれている。

お祖父ちゃんたちの家と僕んちは、

歩いて5分しか離れていない。


学校の帰りに、

お祖父ちゃんたちの家へ寄ると、

お祖父ちゃんは赤いポストを磨いていた。

僕がそばに行くと、

お祖父ちゃんはこう言った。

「これは郵便差出箱1号丸型と言ってな、

 お祖父ちゃんが郵便配達を始めた頃は、

 まだあちこちに立っていて使われていたんだよ」

「ゆうびんさしだしばこ、ってポストのこと?」

「そうだよ。それが正確な名称なんだ。

 2号、3号、4号などが次々に生まれたから、

 この丸型の1号は、1つまた1つと姿を消していった。

 さみしかったなあ。いつの間にかみんな姿を消していたよ」

お祖父ちゃんは磨く手を休めて、

2秒ぐらい、さみしそうな笑顔を浮かべた。

お祖父ちゃんのお父さんの代まで農家だった。

お祖父ちゃんは郵便局に勤めた。

お祖母ちゃんは、

長く絵本の読み聞かせ活動をやっていた。

お祖父ちゃんは退職して、

その活動を手伝いはじめて、

自分の発案で庭にプレハブの絵本館を建てて、

地域の親子に開放した。

僕もお母さんと一緒によくきて利用した。

誰でも好きな絵本を手に、

読み聞かせをしていいことになっている。

今もお祖母ちゃんが読み聞かせている声が聞こえる。

お得意の「はじめてのおるすばん」だった。

「トン坊がいちばん馴染んでいるポストは13号あたりかなあ。

 左側の差し入れ口が定形用で、右側の差し入れ口が

 大型サイズ用になっている」

お祖父ちゃんは磨き終えて立ち上がった。

赤い色は1ヶ月ほど前に塗り替えたばかりなので、

日差しにつやつやと輝いた。

絵本館から親子が次々に出てきた。

お母さんや、子どもがハガキ大の紙片を

赤いポストに差し入れていく。

子どもは背伸びして差し入れていくケースが多かった。

ハガキ大の紙片には読み聞かせの感想や、

そろえてほしい絵本のタイトルが書かれている。

「このポストはどうしてここにあるの?」

僕は気になっていたことを訊いた。

「ずっと郵便局の倉庫に1つだけしまわれていたものなんだ。

 廃棄処分になって廃棄されないままになっていたのかな。

 退職するときに記念にほしいとお願いしたら、

 局長が上の判断を仰ぐと言った。しばらくして、

 許可が下りたから取りにこいということになったんだよ」

絵本館から、あとかたづけを終えたお祖母ちゃんが出てきた。

「あれ、トン坊、きていたの?」

お祖母ちゃんが顔中で笑った。

僕の名は都久馬、愛称トン坊。

お祖父ちゃんは屈んで、

赤いポストの取り出し口からハガキ大の紙片を取り集めていた。

「トン坊、おやつをあげよう。母屋へおいで」

僕はおばあちゃんと一緒に母屋へ歩いた。

もともとは農家だったから、

広い庭には花壇や、野菜畑もあるし、

小さな竹やぶもあった。


リビングルームでバウムクーヘンと、

紅茶のおやつを味わっていると、

お祖父ちゃんが入ってきた。

「こんなのがポストに入っていたんだ」

お祖父ちゃんはテーブルの上に、

ハガキ大の封筒を置いた。

切手は貼られていない。

宛名は橋本忠司様になっていて、

宛先は隣接の市のもので、

番地は2丁目1232番地だった。

「旧番地なんだよ。旧番地が今のように、

 ◯丁目〇〇番〇〇号表記になったのは、

 この地域では50年以上も前のことなんだよ」

お祖父ちゃんは封筒の裏を返した。

差出人は島岡多香子になっている。

差出人の住所はここの住所や、

僕んちの住所と途中まで同じで、

番地はやはり旧番地だった。

「古いものにしては保存がいい。大事にしまっていたものが

 出てきたので、投函したのかな」

お祖父ちゃんは首を傾げた。

「でも、あのポストは記念の置き物でしょう。それに

 50年以上も前の手紙を誰が何のために出したのかしら?」

お祖母ちゃんが手紙を手に取り、

裏表を確かめながらつぶやいた。

「お隣の市の旧番地なら調べれば今の番地はすぐにわかる。

 よし、配達してあげよう」

お祖父ちゃんは、好奇心をたたえた目になった。


それから4、5日経って、

僕はまたお祖父ちゃん、お祖母ちゃんの家を訪れた。

お祖父ちゃんがプライベートで郵便配達をした

結果がどうなったか。

それを知りたかった。

お祖父ちゃんは、

絵本館で絵本の整理をしていた。

お祖母ちゃんの蔵書だった絵本と、

利用者の人たちが寄贈してくれた絵本を合わせて、

今は1500冊を超えていた。

絵本のタイトルであいうえお順に棚に並べなおす。

作業を手伝いながら、僕はさっそく訊いた。

「ねえ、ちゃんと配達したの?」

「したよ」

「宛名の男の人は生きていた?」

「うん、生きていたけれど、施設に入っている

 とわかった。トン坊よりちょっと上の女の子が

 留守番をしていて、橋本忠司さんのお孫さんだったよ。

 お祖母ちゃんは60歳ぐらいで病気で亡くなったらしい。

 長女の人がお婿さんを迎えてあとを継いだようだよ。

 表札には橋本忠司名義も入っていたので助かった」

「どんな内容の手紙だったんだろ?」

「お孫さんに事情を話して手紙を渡したら、たしかに

 受け取りました、と大人びた挨拶をしてくれたな」

「じゃ、それで終わったんだ」

僕はちょっとがっかりした。

もっとドラマがあっていいのに。

「昨日、こんな手紙が赤いポストに投函されていた」

 お祖父ちゃんはカーディガンのポケットから、

 二つ折りにされた封筒を取り出した。

宛名は、島岡多香子様、だった。

番地は今の表記になっている。

差出人は、橋本忠司、となっていた。

差出人住所の番地も今の表記のものだった。

「旧番地の横に今の番地を入れておいたからな。

 さて、これも配達しなきゃいけないかな。

 きちんと書いてあるが、若さが感じられる。

 あのお孫さんが代筆したのかな」

お祖父ちゃんの声は、

僕の耳には入らなかった。

その手紙の筆跡に心当たりがあったからだ。

岸 亜鶴沙ちゃんの筆跡に間違いない。

あづさ(亜鶴沙)ちゃんは、

僕より2学年上の小学6年生で、

隣の市の小学校に通っている。

駅前にある絵画教室で一緒だった。

「お祖父ちゃん、この手紙、僕に配達させてくれないかな」

僕の言葉にお祖父ちゃんは、

つかの間、僕を見つめてからうなずいた。

「何か事情があるらしいな。いいだろう」


その2日後、

僕が赤いポストの前へいくと、

その脇にお祖父ちゃんとお祖母ちゃんはもう立っていた。

「時間までにはあと2人くるからね。待ってね」

お祖父ちゃんとお祖母ちゃんも少し緊張していた。

40代の男の人がまず現れて、

次いで亜鶴沙ちゃんが急ぎ足で現れた。

「ああ、橋本忠司さんのお孫さんだ」

お祖父ちゃんが笑顔を見せた。

「こちら、島岡多香子さんの息子さんです」

僕はみんなに向かって紹介した。

「55,6年前の母の手紙を配達して有り難うございました」

島岡多香子の息子は、

お祖父ちゃんに頭を下げると、みんなに向けて

話しだした。

「うちの母と橋本忠司様は、ペンフレンドだったようですね。

 ネットもケータイもないはるか昔のことで、

 その頃は若者向けの雑誌があって、

 そういう雑誌には巻末のほうに文通欄があって、

 それを介して文通が始まったようです。

 出すつもりで出しそびれたものだったのか、

 あの手紙はこの赤いポストに投函された日に、

 どこからか出てきたもののようです。

 それでこちらへ投函にきたようです」

「どうして切手も貼らず、また、普通のポストへ

 投函されなかったのですか?」

お祖母ちゃんが尋ねた。

「実を言えば、母は認知症で要介護2です。

 胸がときめく思いのみがよみがえり、

 その思いに任せて徘徊状態で、こちらのポストを

 見つけたようです。このポストは、母の青春の思い出

 と重なるのでしょう」

「なるほど」

「祖父がいただいた手紙の内容を知る人間は、

 私だけですね。何かの訳があると思ったので、

 私が開封しました。祖父は脳梗塞の後遺症があって、

 よく理解できないし、両親に見せると、そのまま、

 なかったことにされそうだったので」

理路整然とした小6女子の言葉に、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、

それに橋本忠司の息子は黙ってうなずいた。

「母の手紙の内容はどんなものだったんですか?」

「え~と、お申し出は有り難いのですが、お見合いの話もあるので

 それはお断りしたい、というような~」

「なるほど」

島岡多香子の息子は大きくうなずいた。

「元気な頃の母から、ペンフレンドだったけれど、

 結婚を前提につきあいたいと申し込まれたことがある、

 という話を聞きました。その頃、一昨年に他界した

 父との見合い話が進んでいました。手紙は出さないでも

 察してくれる、と母は判断したものだと思います」

「トン坊が届けた手紙には何が書いてあったんですか?」

お祖父ちゃんがちらっと僕を見てから、

島岡多香子の息子を見た。

「母は結婚して父の姓になりましたが、

 一人娘だったので父は、母と共に早くに祖父母と

 同居しました。それで手紙が着いたんですね」

「表札に多香子さんの名も入っていたので、ここで

 間違いないと思ったんです」

僕は少し得意そうに胸を張った。

「祖父名義の返事の手紙には、今の祖父の施設での生活を

 そのまま書きました」

亜鶴沙の言葉に、

島岡多香子の息子はニコっと笑って、こう言った。

「母にその通りに読んで聞かせました。意味はよく取れなかった

 はずですが、終始ニコニコして、読み終えたら本当にうれしそうに、

 声を上げて笑いましたよ」

僕も含めて、みんな笑顔になった。


何だかとてもいいことをしたような心地になった。