おれ、

S県のA市に住んでるの。

A市は人口3万6,000人ぐらいだけれど、

古くからの温泉地で、

最盛期から見れば廃れたという人が多いけれど、

コロナ禍の最中としては、

頑張ってるところも多いのよ。

空いていてソーシャルディスタンスが取れるから、

ということでカップルの客や、

小人数の家族客が利用してくれる。

新幹線も1日に30本ぐらい停車するし。

宿のほうもそういう客を当てにして、

感染予防には万全の対策を講じている。

でも、

500人600人という団体客を相手にしていたところは、

やはり、火が消えているよ。


おれんちは柔道整復師系のマッサージ院なの。

おれは地元の高校3年だけれど、

進学はしないでオヤジの後を継ぐつもりでいる。

それで週に3回は放課後すぐに、

A駅を起点にしているローカル線に乗って、

4つ目のU駅で下りるのよ。

駅の近くでオヤジの先輩がマッサージ院をやっていて、

実習生としておれを仕込んでくれる。


あの子に気づいたのは、

1ヶ月あまり前だったかな。

A駅から3つ目のE駅ホームから乗ってきた子がいて、

少し変わっていて気になったのよ。

年齢はおれと同じぐらいかな。

野良着のようなくたくたの着物を着て、

草履を履いていた。

手製らしい布製のバッグを下げていて、

そのバッグは詰めたもので膨らんでいた。

髪はひっつめて後ろで束ね、

顔はキリッとかわいかった。

マスクはやってなかったぜ。

この時間は空いていて、

無人のボックス席もあるのに、

おれのいるボックス席にきて、

斜め向かいに腰を下ろしたのよ。

電車が発車すると、

眉根に細いシワを寄せた。

この路線は地形に起伏はあっても、

ずっと海沿いを走っている。

È駅を出ればすぐにやや長いトンネルに入り、

抜ければ間もなく、

おれが下りるU駅に着く。

その子はトンネルに入ると、

汽笛一声で始まる歌、何だっけ、

うん、「鉄道唱歌」か、

それをごく小声で歌い始めたのよ。

おれ、

ちょっと面食らって、

穴の開くほど見つめたぜ。

その子、動じることもなく歌い続けた。

トンネルを抜けてU駅に入ったので、

おれはドアに向かった。

その子も下りるらしく、

おれの後ろについてきた。

ドアが開いておれが下り、

その子もすぐに続いて下りた。

「ああ、やはり違うわ、コンチックショー」

その子はつぶやくと、

上りホームへ移るのか、

急ぎ足でホームの階段口へ向った。


それから毎週同じ曜日の同じ電車に、

その子はE駅ホームの同じ場所から乗った。

おれは判で捺したように、

同じボックス席に陣どるから、

その子もいつも斜め向かいに腰を下ろした。

いつもマスクはなしでさ、

「鉄道唱歌」を口ずさむ。

U駅で下りて、

またなの、

いい加減にして、

などとつぶやいて、

「コンチックショー」

って続けるんだよ。

そして、

急ぎ足で上りホームへ移っていく。

先週はおれ、かなり気にしたんだよ。

それでU駅で改札口を出てから、

その子の様子見ていたの。

上りホームに移った彼女は、

次の電車に乗って姿を消した。

おれ、待合室の壁の上部に掲げられている

U駅史のような額入りの古い写真を何枚か

ぼんやり見渡しながら、

「わけわかんねえ」

って思わずつぶやいたのよ。


そして今日も、

その子はE駅ホームのいつもの場所から

同じ電車に乗ってきて、

ボックス席にいるおれの筋向かいに腰を下ろした。

電車はトンネルに入った。

その子は「鉄道唱歌」を歌いだした。

途中で奇妙な感覚がおれを包んだ。

電車の振動が明瞭に体に伝わり、

レールの継ぎ目を越えるときの音が、

ゴトンゴトンと響いている。

「あっ!」

おれは叫びを発した。

ボックス席も通路も天井も一変しており、

照明も薄暗い。

窓の形式も両手を使って開閉する形式のものだった。

窓の外を濃い煙が流れている。

トンネルを抜けて、

その子は歌うのをやめた。

汽笛が鳴り響いてきた。

速度を急速に落としながら、

U駅に進入しゴトッと停止した。

おれは頭を混乱させながら、

立ち上がり半ば駆けながら、

前部のデッキドアに向った。

ドアを開けデッキを経てホームに飛び下りた。

前の方を見ると先頭は蒸気機関車だった。

年代ものの客車から、

その子も含めて3、4人下りてきた。

迷わずほとんど正面にある改札口に向かう。

その子はいちばん最後に向かいながら、

改札口の少し手前で振り返った。

邪気のない笑顔を浮かべている。

「やっとおうちに帰れるわ。あんたァも

 試行錯誤を繰り返さないかんよ。

 頑張ってな」

その子は軽く会釈すると、

おれに背中を見せて改札口を素早く抜けた。

おれは呆然と見送りながら、

改札口の佇まいも含め駅舎の風情にうなずいた。

駅舎の壁の上部に掲げられている額入りの

1枚に写っている駅舎そのものだった。

おそらくおれが今、

立っている位置から撮影したものだろう。

この路線は1935年に開通している。

当時の駅舎は戦後の1976年に建て替えられた。

汽車が出ていくと、

おれは上りホームに向った。

階段を登る跨線橋タイプではなく、

ホームについた階段を下りて

踏切のように渡るタイプだった。

線路を横断しながら、

おれはつい「鉄道唱歌」の1節を口ずさんだ。

でも、1節だけでもう歌詞が出ねえのよ。

どうしちゃったんだろ、おれ。

うちへ帰れるのか、おれ。

それはいつだいつだいつだ?

おれは上りホームに上がりながら小声で叫んだ。

「コンチックショー」