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(画像の猫はロシアンブルーではなく、物語の内容とも関係ありません)

街の小さな画廊で開いた母の遺作展は、

あと1時間ほどで終わろうとしていた。

最終日の今日は17時に終了して、

作品の搬出をしなければならない。

入場者が途切れたので、

私は見納めのように9つの作品を見て回った。

みな小品でもっとも大きいもので6号だった。

9作のうち8作は花を描いている。

そのうちの7作は小川の畔で見つけた

野草の花を描いているのに、

1作だけは一輪挿しのカーネーションだった。


その作品の前で、

私はしばらく見入った。

ツイッターの告知だけで、

案内状は出さなかったのに、

3日間の会期で100人以上の人が訪れてくれた。

新興住宅都市の駅前で、

よく流行っているレストランに併設された

小ギャラリーだったことが幸いしたのだろう。

「生命力で訴えてくるわね。まるで、絵の中で生きているよう」

「今現在の光合成が伝わってくるわ」

そういった称賛の声は、

この一輪挿しのカーネーションの前では上がらなかった。

でも、私にとっては特別な絵だった。

2年前の5月、

私は留学先のスコットランドから一時帰国した。

たまたま母の日で、

駅前商店街の花屋の前で、

花売り娘に扮した店員から

サービスのカーネーションを一輪もらった。

母にあげると、

ガラスの一輪挿しに挿して、

早速、絵筆を振るいだした。


時差ボケで寝不足だった私は、

久々に自室のベッドで昼寝をした。

2時間あまりで目覚めてアトリエに行ってみると、

すでに絵は完成していた。

つやつやと輝く花の表面に、

私の影が射したようだった。

私は実物と見比べるために、

ゆっくり視線を回していった。

母はその私を見て微笑んだ。


母はシングルマザーとして私を育てた。

私立の女子校の英語教師をしていた。

しかし、

満50歳で退職した。

母には私を出産した直後に

発症した心臓の持病があって、

主治医に生きて50代なかばだろう、

と告げられていた。

退職してから絵を書き始めた。


順路で最後に展示されている絵は、

唯一動物の絵でロシアンブルーの猫の絵だった。

その絵の前に立って私は腕時計を見た。

あと15分ほどでクローズの時間だった。

利休色を深みのあるブルーが侵食中

のような毛並みの調和が素晴らしい。

角度を変えて見ると、

毛並みの色合いが変化するようだった。

やや斜め上を見上げた双眸は、

奥深くから妖しいほど美しく輝いていた。

足音が聞こえた。

「お嬢様ですね?」

おそらく最後の入場者になる人は、

ほぼ母と同年輩で髪の毛を紫色に染めていた。

「はい」

うなずきながら私は絵に視線を戻した。

「このロシアンブルーの飼い主のお方ですね。

 去年の5月に帰国したら、このロシアンブルーと

 母がじゃれあっていました。留学先に戻って1ヵ

  月ほどして

 母は亡くなりました」

「そうでしたか。絵が完成したと連絡がきたので、

 私がこの子を引き取りにお伺いしたときは

 まだお元気そうでしたが」

ロシアンブルーの飼い主だった彼女は、

その絵にあごをしゃくった。

「母の許を訪れた日、この子はもういなかったの

 ではないですか?」

「はい。逃げられたと言われました。その無責任な

 態度に腹が立ち、口論になりました」

「ご迷惑をおかけしました。画像つきの告知のツイートを

 見ていただいたのですね。必ずお見えになると思っていました」

「左耳の先端がない絵の画像でしたから、ハッと気づきました」

「これを見ていただけますか」

私はお守り袋風の小袋から出した

枯れた樹皮のかけらのようなものを、

左の掌に乗せた。

「母が絵筆を振るったときに、この子がいつも乗
 っていた椅子の上で見つけました」

「左耳の先端部分ですね.やはり、描き残しだった    
  んですね」

最後の入場者の彼女は声をかすらせて言った。

「母が一輪挿しのカーネーションを短時間で

 描きあげたとき、一輪挿しの花瓶だけが残されていました。

 そのときに、もしや、と思ったんです」

「そうですか」

彼女はうなずいて絵に見入り、

深い溜め息をついた。


「きっと、お母様はこの子の生命力を吸い上げて

 描かれていたんですね」

「はい、自分の生命力を足しながら」

私の声は歌うようだったと思う。