あの子はいつもこの土手を通るんだよ。

下流にある街の始まりあたりに、

私立の女子の中高一貫校があるんだ。

あの子はそこに通っている。


体育着入れらしい布製のバッグに、

SHIZUKAと書かれていたから、

これからはシズちゃんと呼ぶよ。


シズちゃんはここから700メートルほど

上流にある車の修理工場のお嬢さんだ。

土手に沿ってちゃんとした道路があって、

その道を歩いていけば学校に着くのに、

シズちゃんは途中で土手に上がる。

土手道を通って200メートルほど行ったところで、

ちゃんとした道路へ戻るんだ。

帰りも途中で土手に上がり、

200メートルほど歩いて下りるのよ。


ところでシズちゃん、

この春から高等部へ進んだんだな。

新調のカバンに変わったもの。

なぜ200メートルほどだけ土手を歩くのかは、

対岸の土手を見ればうなずけるだろ。

対岸の土手の斜面には

芝生が植えられているんだが、

シズちゃんが歩く部分の対岸は

お花畑になっているのよ。

何の花かはおれには解らないが、

今もオレンジ色の花が真っ盛りだ。


シズちゃんは対岸を見ながら、

常にハミングして通る。

明るくて楽しそうで本当にいい子だよ。


でも、

そのシズちゃんがハミングもせずに、

考え込んだ表情や、

沈んだ顔色で通るようになった。

憂愁と表現したいが、

それより深刻そうなんで大いに気になる。

特に、

帰途のほうがうつむいて歩いているし、

落ち込みようがハンパないのよ。


ハハーン、とおれは大きくうなずいた。

片思いの恋患いにかかったんだ。

相手は他校の男子生徒か。

それとも、大学生か。

20代前半の新任の先生もあり得るな。


かわいそうだが、必要以上に心配はしなかったぜ。

本物の恋と巡りあうための

通過儀礼のようなもんだろ。


昨日の帰りのことだけどな、

暗い顔をして歩いてきたシズちゃんは、

この前で立ち止まり対岸を見ると、

声を上げて泣き出したのよ。

告白して受け入れてもらえなかったんだ、

とおれにはピンときた。

これでよかったんだ。

相手が新任の若い先生で受け入れられたら、

あとあとが心配になるじゃねえか。

ここはやっぱり、

「シズちゃん、僕だってシズちゃんのことは好きだよ。

 デリケートで清楚で小雨に可憐に揺れる

 白百合みたいだもの。でも、僕とシズちゃんは

 先生と教え子の関係なんだよ。シズちゃんは

 まだ15歳だよね。はっきりした恋愛関係になったら

 大変なことになるんだよ」

ということでピリオドを打たなきゃな。


シズちゃんはまだ泣いている。

おれは思わず声をかけようかと思ったよ。

シズちゃんは、

おれが近づく気配に振り向いて泣き止んだ。

おれに一瞥をくれると、

涙を振り払って駆け去っていく。

これでいいんだ、

とおれはあらためてうなずいた。


次の朝、

シズちゃんは土手を通らなかった。

ショックで休んだのだろうか。

それとも、珍しく、

ちゃんとした道路を通って登校したのかな。


いつもより遅い時間だったが、

シズちゃんが下流の土手に上がり、

こっちへ歩いてきた。

でも、様子が変だ。

少し駆けてぴょんと飛び上がって1回転し、

ワオ~ん、と雄叫びのように叫ぶ。

後ろ向きに歩いてクルリと180度向きを変え、

カエル跳びをしながら近づいてくる。

両眼からハラハラ涙を流して。


ヤベエな、とおれは思った。

ハラハラ泣きながら笑いやがるんだもの。

はははははは、と不安定な声でだよ。

おれのほぼ正面へきて、

お花畑をみて、エイエイ、オ~、って

拳にした右手を突き上げた。

これって精神錯乱一歩手前だぜ、

よほど心にダメージ受けたんだな。

おれは心から心配になって、

シズちゃんに近づいて声をかけた。


シズちゃんは振り向いた。

泣き笑いで顔がゆがんでいた。

「昨日も心配してくれてありがとう。

 告白したらひと晩考えさせてくれって。

 お断りされたと思ったの。今日の放課後、

 会ったらOKだって。嬉しくて、凄く嬉しくて、

 泣いたり笑ったり叫んだりしちゃった。

 カレって隣街の県立高校2年。サッカー部。

 今度、この土手へ連れてくるね」

おれに早口でまくしたてると、

下流へ一目散に駆けていった。


おれはみるみる遠ざかるその背中に、

「ニャンニャ(よかったね)」

と祝福を送った。


おれはノラ猫、名前はない。