もう3年前になるんだ。

オイラ、

3,4歳にかけて耳の病気を患い、

聴力の大半を失った時期があるのよ。


治療しても完治はしなかったけどな。

学校の身体検査では、

軽度の難聴とされるまでには回復した。

でも、

今でもそうだけど、

声の低い人に声をかけられても

聴き取れないことが多いのよ。

「あいつ、シカトしやがって」

などと、誤解されるんだよな。


義務教育の音楽の実技の試験ではな、

声が出ねえの。

先生にうながされて、

やっと声を絞りだしても

蚊の鳴くようなような声だろ。

音程もメロディーもねえからな、

(何だよ、あいつ)ってことで、

クラス中がシーンと静まり返ったものよ。


自分の机に戻るとき、

ミジメこの上なかったぜ。


音痴という劣等感が

オイラの心でふんぞり返りやがって、

何度、その心をハンマーで潰そうと思ったことか。


社会人になったら、

カラオケづきあいってもんがあるだろ。

仕事だとお得意先とのな。


オイラ営業畑だろ。

そういうつきあいでオイラだけ歌わない、

ってことはできないわけよ。


蚊の鳴くような声で歌って、

何度、座をしらけさせてきたことか。


これではまずいと自覚してな、

ある日、

自分自身を駆り立てて、

独りでカラオケボックスへ行ったのよ。

店員は、1人用の部屋はございませんので、

と数人用のボックスへ案内してくれた。


カラオケ機器の操作を教わってよ、

よく耳にする歌を入れて、

モニターに出る歌詞に合わせ歌ってみたさ。

でも、やっぱ、

蚊の鳴くような声しか出ねえのよ。


仕方ねえからさ、

売り上げを少しでも上げてやろうと、

飲むだけにしていたの。


何杯目かのときかな、

店員がこう言うのよ。

「大部屋で、(音痴よサラバ)の皆様が

 歌っていらっしゃいます。お客様のことを

 お話したら、ぜひ、ご一緒にどうぞ、

 とおっしゃっていますが…」

「その(音痴よサラバ)って何だい?」

「音痴の人は肩身が狭い。ならば、音痴だけが集まって

 思う存分歌おうや、という会のようです」

オイラは興味を覚えて、

大部屋へ連れていってもらったの。


まだ20歳前後の若いのが陶酔してよ、

金属を切り裂くような声で歌ってたよ。

音程なんか無きに等しいけど、

ちゃんと抑揚があって歌だとは解る。

聴いている人達は、拍手したり、声をかけたり、

踊ったりで、大いに楽しんでいる。


会長のチョビ髭さんが、

「まっ、しばらく見学されてから」

と、席へ案内してくれた。

入れ代わり立ち代わりして、

会員の人が歌ったのよ。

ロックあり、ド演歌あり、ジャズあり、民謡ありで、

それぞれ好きに歌ったけれど、

みんな惜しげもなく声を出し、

陶酔して歌うんだな。

言うまでもないが、

音程は大きく外れ、

勝手にメロディーを作って歌っているよう。


でもよ、

みんな感情はたっぷり出している。

意外性がそれぞれにあって笑え、

うなずけて楽しいんだ。


「そろそろ、歌ってみますか?」

チョビ髭がやってきてすすめた。

「BTSの(Let Go)あたりを好きに歌ってみますか」

小さなステージに上げられて、

「会員候補です」

と、紹介されたんだよ。

15,6人だけど、

爆発的な拍手が起きて、

「愉快に頑張れ!」

「地球を割るつもりで歌え!」

などと、熱い声援が飛んできた。


オイラ、やけに落ち着いてんの。

前奏が始まり、

大画面に歌詞が流れた。

それいけっ!!!

全員が声を揃えて叫んだ。


♪ さよならの~


これオイラの声かよ、

って思うぐらい大きな声が出た。

あとはみんなの手拍子や、

声援もあって

気がついたら歌い終えていた。

「大型新会員の誕生で~ス!」

チョビ髭がオイラの右手を掴んでかざし、

大声を張り上げた。


それが3年前のことで、以来、

オイラは、(音痴よサラバ)の

模範的な会員になったのよ。

メキメキ腕を上げ、

というのもおかしいが、

パンチの効いた楽曲を

怒涛のように歌えるようになった。


なかでも、

欅坂じゃねえか、

今は櫻坂46かよ、その「ガラスを割れ!」は、

得意中の得意でさ、

和紙の照明の、

その和紙の部分をピリピリ震わせるほどよ。


お得意先との飲み会ではな、

オイラの歌を聴くと、

勇気と元気が出ると喜ばれるようになった。


営業成績も上がったぜ。


そんなときにコロナ禍が始まった。

まいったぜ。

(音痴よサラバ)の例会は無期限延期になるし、

週に3日はオンラインでの営業になった。


オイラ、うつ気味になったのよ。

何しろ、1部屋のアパート暮らしでは
声張り上げて歌えねえだろ。

我慢しろ、と自分に言い聞かせているんだけどな、

喉の奥のあたりがムズムズして、

大声の歌詞が飛び出そうなんだって。


深夜に皇居1周のジョギングをやって、

半蔵門のあたりでムズムズがきて、

ついに歌詞が飛び出したんだな、

(ガラスを割れ!)のな。


♪ Oh,oh,oh,oh,oh,oh~


ってやっていたら、

すぐにパトカーがやってきて

事情聴取されたんだよ。


もはや我慢も限界だと思ったときに、

やっとチョビ髭から連絡がきた。

奥多摩の山中で青空カラオケ会をやるという。

オイラは2つ返事で参加することにした。



その日は快晴だった。

奥多摩駅で降りてみんなと落ち合い、

現場までハイキング同様になった。

山林を抜けて少し草地になった現場につくと、

先遣隊がカラオケ機器の設置をして待っていた。

すぐに青空下での例会は始まった。


3番手のオイラが歌うときは、

音痴の歌声を聞きつけたハイカー達が

遠巻きで見物していた。

オイラは、

喉の奥のムズムズ感に急き立てられるように、

中森明菜の「DESIRE」を歌いだした。


♪ Get Up,Get Up~


と快調に歌い出し、


♪ やりきれないほど~


というフレーズに入った途端、

喉の奥から跳ねるように、

何かがバッと飛び出した。

ほぼ長方形で少し反り返ったその何かは、

5,6メートルほどの高さで旋回を始めた。

ただ旋回しているんじゃない。

大きな声で凄え音痴に歌いながら、

旋回しているのよ。


オイラの声帯だ、

とオイラは息の音だけで叫んだ。

みんなあっけに取られて見上げている。


オイラの声帯は歌いながら旋回をやめて、

右手の樹林に向かって飛んでいく。

(おーい、オイラの声帯よう、戻ってこーい!)

オイラは声をなくした叫びを張り上げながら、

どうやら、久々に歌いだしたことで

パニックを起こしたらしいオイラの声帯を追って、

全速で駆けた。


(おーい、おーい、オイラの声帯よう、戻れえ~)






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