なにが(はれのひ)だよ。
成人式で振り袖姿になるのを
何年も前から楽しみにしている女の子は意外に多いのよ。
当節は振り袖を着るのは一生一度だもの。
それが成人式の日。
それが当節の娘心。
親御さんもその日が楽しみで
それに備えての貯えをやっていた家庭も多かったと思う。
倹しく暮らしていても
我が娘の晴れ姿はパアーッと輝いてほしいもの。
月々の積み立てで振り袖一式が整い
当日の着付けも任せてくださいということなら
親としても余計な気を遣わず
その日を待つことができる。

それなのに
もしも もしもだよ。
はれのひ事件の責任者に
この娘心親心を初めからないがしろにする意図があったら
罪深いよねえ。
これだけ投資すれば3年で倍になります
などと物欲に訴えてのことじゃないんだもの。
食いものにされた娘心親心の傷はそうそう癒されないだろうよ。
せめてもの救いは
心ある人たちの善意でかなりの数のお嬢さんが
無事晴れ姿を成人式に披露できたこと。

江戸時代もその礎が定まり
江戸の街も100万の賑わいに近づいた
17世紀半ばの明暦年間
4代将軍家綱の御代に後々までも
通称の振り袖火事の名で知られる大火が起きた。
江戸の町の大半を焼き
死者3万とも10万とも伝えられる
江戸期最大の大火だった。

振り袖火事と通称されるようになったのには
振り袖と娘心にまつわる因縁話が伝わっているためだ。

江戸麻布の裕福な質屋の娘が
母親と寺詣で帰途
どこかの寺小姓らしい美男子とすれ違った。
以来
娘は恋煩いで日夜煩悶するようになる。
不憫に思った両親は
そのときの寺小姓が着ていたものと同じ柄で
娘に振袖を作ってやった。
娘は毎夜その振袖をかき抱いて悶え
やがて死に至った。
両親は棺の上にその振袖をかけて野辺の送りを行った。
当時は棺の上に置かれたものは
寺男が自由にしていい風習だった。
寺男はその振袖を換金した。
その振袖を購入した家の娘が着ると
間もなく病に伏して死んだ。
その振袖はまた棺の上に置かれ
同じ寺の寺男がまた換金した。
すると
その振袖を着た家の娘がまたまた間もなく死んだ。
3度 その振袖は棺の上にかけられて
同じ寺に運ばれた。
これは因縁だと寺の僧も寺男も気味悪く思い
その振袖を護摩を焚いて燃やすことにした。
振り袖は火が移ると
人が着たように立ち上がった。
不思議な狂風が巻き起こり
振り袖は空高くに舞いあがり
江戸の町々を焼いていった。

それが振り袖火事の起こりと伝えられる。

はれのひの振袖騒動は
成人式が終わったから終わるものではない。
これからことの一部始終が明らかにされなければいけない。

傷ついた娘心親心はそれでも癒されないだろう。

平成最後の年に縁起でもない汚点をつけた罪は大きい。