サクラチルは不合格通知だけど
戦争中は
華々しく散って靖国で咲いて会おう
が特攻隊員や 玉砕覚悟の要衝の島の
守備隊切り込み隊員の合言葉だった
終戦の年の3月25日
僕は5歳になった
その5歳の目が見る銃後の民の覚悟は
滑稽じみていた
奇怪な叫びをあげながら
竹槍を構えて疾走し 藁人形を突き刺す
砂を入れたバケツをリレーし
最後の番の人が屋根にいて
その砂をまく
上空を我がもの顔に
B29の大編隊が飛び去るのや
グラマンや P51が乱舞して
機銃掃射をするのを見てる
5歳でも解るよ
竹槍なんて変だって
僕の1歳上は国民学校一年生
鬼畜米英と教えられ
1億総玉砕と刷り込まれ
大人の竹槍の半分ぐらいの長さで
細くて可愛い竹槍を握らされ
突撃訓練をやっていた
当時の5歳は幼稚園なんかなかったから
何か違和感を覚えて
父母や 兄姉たちを見ていた
学齢前の5歳は敵愾心の空白世代だった
このことは大人になって
同世代と戦争の思い出を語りあったとき
多くの者が感じた感覚だった
あれから72年
夏の花火を見るたびに
終戦後に旧満州で戦死した兄を想い
兄ちゃん パッと散ったんだね
と語りかけながら
常にとても虚しくなった
今年も
そう〜