東京大空襲でことごとく燃やし尽くされた一画があって

 無論 復興はゼロからのスタートになる

 さて 復興の1番手は何だったのか

 
 幹が焼けただれた1本の庭木だった

 幹からマッチ棒よりか細い枝が出て

 その枝が数葉の葉をつけたのである

 根が生きていたので復活できた


 確か広島の原爆被災地でも

 同様のケースがあったと記憶している


 東京大空襲が行われた1945年3月10日までに

 東京都市部の住民の疎開は学童を中心にかなり進んでいた

 それでも1夜で約10万人が犠牲になった

 
 樹木は人間のように疎開はできない

 焼けただれながらも復活した樹木は

 自分が焼死しそうになった原因を知らされて

 敵機や 敵国民を恨むだろうか

 樹木は人の心を持たない

 何ものをも恨むことなく

 無事息災である限り大きくなっていく

 
 疎開から戻った子供が両親たちの焼死を知って

 焼夷弾を落とした敵爆撃機の乗員を恨むだろうか

 終戦までは恨んだかもしれない

 時の政府や 大本営はこれこそ鬼畜である証拠として

 敵愾心を煽ったのだから

 しかし

 両親たちを焼死させられた子が長じて

 アメリカへ渡り 大空襲で東京を爆撃した機の乗員を殺し

 復讐を遂げた という話は聞いたことがない

 それを敢行するには憎しみをたぎらせ続けなければいけない

 費用も 準備期間に要する年数も半端でない

 憎悪を萎えさせる大義名分がある

 それは 戦争だったんだから仕方がない というものである

 個人で仕返しをするものではない という答えがある


 妻と いたいけない2人の子供を殺された人がいるとする

 その人は無慈悲な強盗殺人犯が

 1日も早く捕まることを願うだろう

 心は煮えくり返る憎しみの坩堝になっている

 掴まれば天国にいる妻子に報告し

 裁判で死刑になることを痛切に望むだろう

 死刑の判決が下った

 その人は喜んで天国の妻子に報告する

 それから実際にその死刑囚が死刑になるまでが長い

 上告等を繰り返す

 10年ほど経って死刑が執行されたことを知る

 その人はそのとき喜ぶだろうか

 そのときまで烈しい憎悪が維持できているだろうか

 その人の人生も大きく変化し

 再婚して子供までなしているかもしれない

 これで終わったか とホッとするに違いない

 人は憎しみを燃やし続けながら人生を豊かにはできない

 どこかで自分の気持ちと妥協して

 自分の人生を肯定できる方向へ向かわせる

 復讐は国がやったことだから

 という大義名分が伝家の宝刀としてイメージされていて

 憎しみと決別するときにはそれを抜くのである

 憎しみを捨てれば得るものは大きい

 烈しい憎悪に身を焼く思いをした人ほど

 そのことを知っている