あれほど上昇気流に乗っていたのに、
真っ逆さまに落ちていった。
運が尽きたのね。
世間話ではそういう言い方がまかり通っています。言われて、周りの人はほとんどがうなずきます。世間話となれば納得できるし、うなずいておけば角は立ちません。
でも、本当に運というものはあるのでしょうか。そして、その運が尽きることがあるのでしょうか。
道で宝くじを1枚拾ったとしましょう。
交番に届け出たが、落とし主は現れなかった。
やがて、拾得物の期限が訪れて、拾った人が受け取って念のため改めたところ、
それが1千万円の当選クジになったとしましょう。本人も家族も舞い上がって、
周りも運がいい運がいいと囃し立て、
みんな自分もあやかりたいものだと羨みます。
拾った人が普段通る道ではなかったのに、
そのときはたまたま道を変えてみただけなのに、
ということであれば、
どうしましょう。運の神様のお導きだ、
と周りはますます熱くもて囃すでしょう。
でも、この当選宝クジを拾うために真剣に努力したわけではありません。
だから、本人も家族も舞い上がります。
ところで、この家族は地道に食べ物屋をやっていたのですが、舞い上がったため、贅沢をしてしまい、食べ物屋のほうがおろそかになり、
客が減ってきました。
賞金の半ばで投資もしたのですが、
すべて失敗しました。
1年後には店を人手に渡すという最悪の結果になりました。
さて、これでも運がよかったのでしょうか。
その運が尽きたということでしょうか。
宝クジを拾ったのはたまたまのことです。
それに舞い上がり、
店を潰したのは自業自得の結果です。
運の良し悪しは関係ありません。
ある人がそれなりに努力も研究もしたし、
やることなすことがうまくいった。
周りは運がいい、ツイている人だと羨ましがりましたが、本当にそうでしょうか。
努力はしているのです。
でも、慧眼の人がその人の状態や、状況をよく見て、
このままではうまくいかなる、と助言を行ったそうです。
しかし当の本人は自分の力を信じました。
ところが、それからしばらくしてやることなすことがうまくいかなくなりました。
それなりに努力も研究もしたといっても、
やることなすことがうまくいったのは、
その人の実力能力を十分に反映したものではなくて、たまたま、
ツイていたのでしょうね。
勝負ごとによくあるじゃないですか。
ツキ続いたということです。
でも、それはたまたま巡り合わせたツキなのです。そのままやっていれば、
やってもやってもうまくいかなくなります。
そういうことでしょうね。
常に努力を惜しまず、常に自分の能力を把握して、常に無理をしない人は、
着実に実績を上げていきます。
その着実な、1ミリずつの実績が塵も積もれば山となる式の大きな実績として築き上げられていきます。
運もツキ関係なく、マイペースな努力や、
研究を怠りなくやって、
無理せず焦らなければ、
それだけの結果は必ず出ます。
言い換えれば、この人の運がツキなかった、
と言ってもおかしくないかもしれません。
本物の運が好むことをやってきた結果だ、
と思っても構わないのではないでしょうか。