姉川を挟んでの織田・徳川連合軍対朝倉・浅井n連合軍の対決は、
とびきり面白かった。
家康は浅井長政に与しようとして、
ギリギリの時間まで煩悶する。
嫌いな信長を討ち取る絶好の機会でもある。
家臣たちは今更裏切りはできない、
という者が大勢を占めている。
それでも家康は、どうするどうする、
と煩悶している。
この辺、関ヶ原の合戦における西軍小早川秀秋の煩悶に似ているかもしれない。
家康は約束の裏切りの行動になかなか出ない秀秋にしびれを切らせ、
鉄砲隊に鉄砲を撃ち込ませる挙に出て裏切りを催促した。
そのときの家康ではないが、
信長は腹を決めかねている家康の合戦開始を促して、猿秀吉に徳川の陣所に向けて鉄砲を撃ちかけさせた。
さすがの家康も腹を決めざるを得ず、
姉川を渡河中の浅井勢に向かって、自軍に、
「かかれ」と命じた。
そうなれば兵数に開きがある朝倉・浅井連合軍は勝ち目がない。
合戦開始まで家康、信長、秀吉の間でどんな駆け引きがあったかはわかっていない。歴史物好きの大河フアンはやり過ぎだと離れていくだろうが、僕は面白く視聴させてもらった。
本能寺の変まで史実では抑えようがない場面での劇画タッチを大いに楽しめそうだ。
おそらく、本能寺の変は家康と秀吉の連携プレーだと思う。いや、連携プレーとして描かれるだろう。信長の客として京畿の地をあちこち訪れている家康は、
信長に寝首をかかれる恐れを抱いていた。
明智光秀の計画は家康に味方をしてほしくて、
光秀から伝えられたのだろう。
毛利攻め最中の秀吉は家康よりの密書で、
光秀の計画を知り大返しの準備を始めた。
2万3万もの軍勢が山陽道から京畿の地へ大急ぎで返すためには兵糧、馬の餌なども含めて入念な事前の準備が必要だった。
あの奇跡的な大返しは、
家康と秀吉の合作だったと言っていい。
そんな描き方もするのではないだろうか。
視聴率のことは抜きにして、
史実に関係のないところでは劇画タッチを貫いてほしい。
小学生の孫が熱心に見ている、という知人の話も伝わってきた。
しびれて見ている10代のフアンも多いのではないか。