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終戦の翌年1946年4月に小学校に上がった僕は、

その年のうちに数回、

鉄道員の父に連れられ東京都下の町から都内へ行った。

もちろん、父には用事があったからで、僕を連れていっても差し支えはなかったところだったのだろう。

もしかしたら、僕に戦後の東京を見させておきたかったのかもしれない。

一面の焼け野原、それもその都度違う焼け野原を見ることになった。

堅牢なビルは焼け崩れずに呆然と突っ立っていた。

焼け野原はまだ手付かずのところもあったが、

瓦礫が片付けられて、ポツポツとバラック住宅が立っていた。

鶏小屋に近いものもあったかな。 広々とした焼け野原を父に手を引かれて歩き回ったこともある。

やや高台のところに立って、父が遠くを指差しながら、

「あれは浅草の松屋だよ。ほらこっちこっち、あの丸い建物は両国の国技館だ」

と、焼け残った大きな建物の説明をしてくれた。

焼け野原は遠くまで見通せる。

地平線があるんだよ。

何もないからなのだろう。

何かを作りたいっていう気持ちが生まれるのよ。何もないから素直に夢を描けたんじゃないだろうか。

何かを作りたいといっても、

その何かはまったくイメージできなかった。

でも、何かを作れるんじゃないか、と焼け野原はそういう気持ちにさせてくれたんだ。

だから、僕の世代が大人になって社会に出たら、

何かを作るということに関しては熱中できたし、

真面目にやった。

高度経済成長の先発の担い手は僕らより前の世代だったが、

中継ぎは僕ら世代だったと思う。

どんどんものができて市場に溢れてきた。

ビルや、大きな施設の建物は、

みるみるうちに雨後の竹の子のような状態で出現していった。

 

その日本が30年間も長い長い不況に陥るとは思わなかった。

急に物価高の世の中になって、

人々の収入が増えたのかというとそうではないものな。

ごく少数の恵まれた人たちの収入は増えても、

多くの人々が増えない収入にあえいでいるように見える。

まだ不況は続いているんだってことか。

Z世代 という括りがあって、

その先頭世代は現役首相に爆発物を投げつけたK容疑者の世代。

生まれたときから不況で、先の見通しはつかなかった。

どっちを向いても夢は描けなかった。

漠然とした不安は常にある。

しかし、とりあえずは親世代がまともに働くし、

ものは豊かに溢れている。

それだけに、ひもじい思いはしなかった。

将来は何になりたいと問われれば、

小首を傾げてサラリーマンと答える。

Z世代でもまだ子ども世代の1部は、

収入が何億とか、何千万円で世の中を騒がせることもできるユーチューバーになりたいと思っている。

漠然とした不安が刹那的な願望を育てるのかも知れない。

 

元首相を手製の銃器で銃撃して死に至らしめたY容疑者は41歳。

この世代はバブル崩壊の直撃を経験している。

子ども世代のときや、思春期に家庭の不幸を味わった人が少なくない。

両親世代の1部はギャンブルに凝り多額の借金を抱えたり、

怪しい宗教にはまって長年にわたり分不相応の寄付を行ってきた。

その無理がバブルの崩壊で一気に噴き上げ、

多くの家庭が崩壊の憂き目に遭った。

家庭の状態がいいときにはいい思いもしただけに、

この世代は自分の家庭を崩壊に追いやったものに対する怒りや、

憎しみが強い。

Z世代の1部に見られるが、クールで感情の起伏があまり目立たない側面とは対極をなしている。

K容疑者はまだ黙秘状態で、警察でも感情の起伏は見せないらしい。爆発物を投げつけた相手に対し、激しい怒りや、憎しみを抱いていたとも思われない。

先の見えない沈滞した社会を覚醒させるために騒がせたかったのか。

Y容疑者はやや筋違いの気もするが、

元首相を元凶と見なし怒りと憎しみを爆発せたのだろう。

 

考えてみると、僕らの世代は夢も描けたし、

高度成長の恩恵にも浴して幸せだったのかな、

と後発世代に申し訳ない思いもある。