そんな時代だったんだよ。

仕事はいくらでもあったさ。

でも、日給計算で休めば引かれる。

今で言えば、非正規社員のさらに下の下。

今は外国人が担っている仕事だったら、

いくらでもあった。

1つの大企業を中心に、 

2次、3次、4次、5次下請けがピラミッドを構成していた。

そのピラミッドの底辺は、

季節労働者や、長期バイトの人が支えていた。

それでよかったらいくらでもあった、

という時代だったのよ。

当時の転職者は、

いくつかの転職を経て、

やがて、そういうところに落ちてきた。

大企業や、中堅企業の正規社員が、

何かの事情で転職をしたとする。

おそらく、それまで勤めていたところよりも、

格は落ちるところに勤めたはずだ。

当時のしっかりした会社は、

年功序列を重んじるところがほとんどだった。

ちゃんと勤めてさえいれば、

年金もつくし退職金ももらえる。

子会社にポストも用意してくれた。

人材としてスカウトされた場合を除いて、

転職者は嫌われた。

それでも、転職して自分の力を大いに試そう、

という人もいた。

しかし、現実は厳しく転職先で思うようにいかないと、

また転職する結果になった。

でも、上のステージへの転職は極めて稀で、

下のステージへ下りざるを得なかった。

そんな時代に、オイラは、

約10年で20種類の転職をする羽目になった。

上のステージへは、

決して浮かばれない転職ばかりだった。

でも振り返ってみると、

初期は営業の仕事ばかりで、

頭を下げるのが嫌で嫌でたまらなかった。

いつの間に調査関係の仕事について、

興信所や、探偵社をいくつか経験した。

この仕事は頭を下げなくてもよかった。

向こうが頭を下げることが多かった。

いろんなことを調べられるので、

それなりに興味が尽きなかった。

でも、ちょっと違うなあ。

そんな感じがあった。

この頃、小説雑誌新人賞へ初応募を行った。

それが2次予選を通過して、

何年かしたら受賞できそうな思いになった。

それから、建設業界紙の記者、週刊誌の記者、

テレビ番組案内誌のリライターなどを経て、

フリーライターとして独立した。

仕事は切れ目なくあった。

天はこれをやれってことかな、

ということで7年かかったけれど、

某小説雑誌の新人賞を受賞することができた。

その4年後は直木賞をいただくことができた。

ものを書くという転職に巡りあった、

という確信は今でも100%はない。

運命の女神のいたずらで、

たまたま運よくたどり着けたのかもしれない。

ただ言えることは、

転職者に世間が厳しい目を向けている時代に、

悪戦苦闘しながら、何とかなるさ、

などと時にほざいていたことだった。

 

今は転職が

その人の真価を発揮しやすい時代になっている。

もちろん、30過ぎても40過ぎても定職につけない人はいる。

しかし、勤めていたところで堅実にスキルを身につけ能力を養えば、

それを高く買ってくれる会社は、

断然多くなっている。

年功序列制度は残っていても、

厳しく運用するところは、

あまり見られなくなった。

オイラの知る限りでも、

転職するたびに高収入を得る人が多く見られる。

オイラの時代のオイラのような職を転々的な転職は、

本当に少なくなっている。

自分のスキルと能力に自信がある人は、

どんどん転職をするといい。

自分を認めてくれるところこそ最高の勤務先だ。

大変良い時代になったと思うが、

それだけまがいものでないデキル転職者が増えてきたのだろう。

能力豊かな転職者に期待している会社も多い。

 

人生、真面目が勝つ時代になったのだ。