ここにあったんだよ

僕が育った 旧国鉄の官舎

雑草が生い茂った更地なっているけれど

更地になる前は8階建ての集合住宅が数棟建っていた

その集合住宅が建てられる前は、

木造平屋の官舎が30戸前後建っていたんだ

その1戸が我が家だった

 

よみがえるんだよ

当時の生活がまぼろしのように

少し経って色がついて音が出て

気がつくとその生活の中にいる

廊下の窓の素通しのガラス面は

外と内の温度差でいつも薄く曇っていた

 

兄がアと声を出して兄の指がアと書いた

僕も真似してアと声を出して

兄が書いたところより低いガラス面にアと書いた

それを何度か繰り返してイに移る

そうして兄は僕にカタカナを教えてくれた

それからひらがなに入った

 

途中までだったんだよ

た行までいったんだろうか

そのあたりの記憶はないんだ

当時20歳の兄は当時5歳の僕に

ひらがなを途中まで教えて兵隊に行った

その年の8月15日が終戦だけど

兄が戦死したのは8月23日の未明のことだったらしい

旧満州(現中国東北部)の荒野で終戦を知らず

戦い続けてのことだったと言われる

 

あれから71年だよ

僕はアと声を出してガラスにアと書いた

「兄ちゃん、ちゃんと覚えてるからね」

声をかけても隣に兄はいない

「兄ちゃん、ひらがなの続きは学校に入って覚えたよ」