僕は自称ピーターパン症候群です。

 

 いつまでも心がマッサラの子供でいたい。

 実際は76歳で心は濁流に洗われているのに。

 でも、天国に旅立っても子供でいたい。

 生まれ変わってきても子供でいたい。

 

 こんな僕に根っから向いていることはライフワークにしている

 読み聞かせ活動しかなかったかもしれない。

 子供たちと接したとたん子供目線になっている。

 よくしたもので子供たちは鋭敏にそれを捉え、

 対等の目線になっている。

 

 読み聞かせをやっているのに子供たちが落ち着いて聞いてくれない。

 そういう相談をよく受ける。

 (さあ、読み聞かせてあげるからね。静かにしてしっかり聞かなきゃだめよ)

 これって上から目線でしょう。

 子供たちにしてみれば押しつけになるの。

 読み聞かせる口調にもそれがにじみ出る。

 (みんなで楽しい世界へ飛んでこうよ、僕が読むからさ)

 同じ目線でやれば物語世界を一緒に広げるんだ、という気持ちになってくれる。

 

 僕には息子が2人いる。

 長男はこの夏、44歳になった。

 次男は8月半ばに40歳になる。

 長男はカメラマンで、先頃遅ればせながら結婚した。嫁さんは通信系会社に勤めており、

 共稼ぎになる。

 次男はずっとシングルを楽しんできており、去年春の統一地方選挙で武蔵野市議に当選し、

 政治家としての道を歩みだした。

 この次男は警察沙汰になるなどヤンチャな時期もあった。

 タクシードライバーになって水を得た魚のように実績を挙げ、

 カリスマタクシードライバーとしてメディアに取り上げられるまでになった。

 タクシー業界に特化したコンサル業を始めて一応の成功を収めての市議転身だった。

 

 自称ピーターパン症候群なら、この2人の息子が幼い頃は、

 同じ目線でいい遊び相手になれたはずである。

 ところが、そうはならなかった。

 

 流行作家として月々数100枚の原稿を書く傍ら、講演、イベント、テレビラジオ出演など、

 多忙な生活に明け暮れていた。

 仕事が終われば銀座、六本木に繰り出していた。

 家族がいることを忘れている時間が多かった。

 父親としては大いに失格だった。

 

 僕は父41歳、母40歳のときに末っ子として生まれている。

 15歳年長の兄がいたが、終戦の年に20歳で戦死している。

 それで男子は僕だけになったことと、その僕が虚弱だったこともあって、

 2人の姉たちに言わせると、僕は両親に溺愛されて育ったらしい。

 しかし、溺愛は当の僕から見れば不当な干渉そのものだったかもしれない。

 小学校の遠足には必ず父が付き添ってきた。

 僕に歩き疲れの気配を見てとると、僕の前に回って屈み、

 「さあ、おぶされ」

 だったもの。

 僕にだって小学生なりの見栄はあったもの。

 みんなになんだ、あいつ、と思われながらも疲れたからおぶさったけど、

 なんでこうなるの、とえらく惨めになった。

 

 そういう風に育って人の親になって、子供たちには干渉せず自分たちの思うようにさせよう、

 という気持ちが強く働くようになった。

 妻は子供たちに愛あるゆえに干渉するしさ、厳しく当たったし、

 父親はゆるーくていいんじゃないかというバランス感覚もあったのかな。

 ただ、本職はもの書きだから、必死にものを書いている背中は見せたい、

 という思いは人一倍あったのかなあ。

 

 まだ仕事部屋が自宅にあって次男が3,4歳の頃、

 仕事部屋のドアが開いて誰かが入ってきた。気配で次男と察したが、

 そのときの僕は憑きものがついたようにペンを走らせていた。

 まだ原稿用紙に書いていた時代で、調子が出ると1,2時間はそういう状態になる。

 だから、次男に声をかけられなかった。

 1分も経ってだろうか。そっとドアが閉められる音が聞こえた。

 今もこのときのことはよく思い起こされる。

 あのときだけ父親として何かを伝えられたかな、と。

 

 

 息子たちが本当に困ったらどんなことでも相談に乗るようにしている。

 そんなことは子供たちには1度も言っていなかったが、長男が1度、

 次男が2度、妻に内緒で相談にきた。

 どれもこれも僕にとって比較的お安い御用だったので聞き入れてやったよ。

 息子たちがどちらも成人していた時期のことだったけど。

 

 それ以前で長男が思春期を迎えた頃から、僕は思い出したようにしか自宅に戻らなかった。

 7年も続いたかなあ。菊池寛の「父帰る」の主人公のような感じになってね。

 これは父親としても夫としても完全に失格でした。

 でも、都心に事務所を構えていたから非常の際の連絡はとれた。

 次男が高校に入り、チーマーの頭をやっていたときのこと、

 妻から次男が主催するパーティーにヤクザが乗り込んでくるらしいんだけど、どうしよう、

 と相談の連絡が入った。

 妻に会場近くで様子を見てもらい、ヤクザが乗り込んできたらすぐに駆けつけられるよう

 準備を整えた。

 体を張って次男を守るつもりだった。アメリカのような銃社会だったら、ライフルと拳銃2丁は 

 用意していったろうね。堅気がヤクザと渡りあうにはど根性を見せつけなきゃ通用しないの。

 でも、ヤクザは現れずことなきを得た。

 

 いつのまにか息子たちは大人になっていたんだなあ。

 「パパは男としてはありかもしれないけど、父親としては失格だよな」

 嫌味ではなく、次男が言ったことがある。

 ピーターパン症候群としてはあり、と言ってほしかったけど。

 

さて、子供目線の僕としてはそろそろ2人の背中を見て大いに学びたいものである。