永遠の無はあり得ません。

なぜなら永遠の無がありえるのなら、その無の永久性を以てして今この瞬間さえ成り立つ余地がなくなるからです。

 

永遠の無はそれが永遠であるが故に無以外の何かに転化することなく永遠に無であり続けるはずですが、しかし実際には「今この瞬間」が顕現しておりますので、その時点で既に無の永久性は崩れていると言えます。

 

故に信じている宗教の如何を問わずして、そこで語られる死後のあり様の是非を問う以前に少なくとも「永遠の無」だけはあり得ないと言えるでしょう。

その根拠は今この瞬間に知覚作用が生じているという事実、それ自体となります。

 

しかしながら通俗的な無神論者や科学的懐疑主義の方たちはこうした事実から目を背けます。

 

彼らはいわゆる形而上学的領域について肯定的に語ることを忌避しそこで語られること一切を迷信と決めつけますが、一方で永遠の無もそれが成り立つ余地がないと分かった以上は迷信の一種としか言い様がありません。

 

すなわち「永遠の無」は空理空論ということになります。


 

 

 

宗教的に生きると信仰に篤い自分、祈る自分に酔いやすくなります。

 

これぞまさしく「自己偶像化」であります。

 

自分の宗教的な立ち振る舞いに酔いしれては自尊心が大きくなって自己陶酔の状態に陥るようになるわけですね。

 

こうした心理は人間においてさほど珍しいものではありません。

 

各々方においては十分に留意されますように。