今回の投稿は、東日本大震災の被災地である岩手県宮古市から、宮古港湾運送株式会社の小野寺秋子さんです。
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昭和50年代初頭、私は関西で商社の内定を頂いたものの、海外勤務を母に反対され辞退。
故郷で就活中、今の会社で英語が話せる人材を募集していると聞き面接。
男子希望と言われましたが、地元で就職する大卒男子は少なく、採用されました。
本当は男性を採用したかったという言葉が胸に刺さり、肩身の狭い思いをしていたところ、先輩の男性職員が入院し、急遽、現場業務を手伝うことになったのです。
当時の私は女の子だから出来ないとは決して言わない、言われてはいけないと思い、仕事を覚えるのに夢中でした。
当初は物珍しさもあり、からかわれたり、相手にされなかったりと散々でしたが、船長や税関の職員の方々も、女性だからと馬鹿にされないよう一生懸命勉強しろと、熱心に指導して下さいました。
その後、男女雇用機会均等法が施行され、自分なりに考えました。
体力は均等ではないのだから、極め細やかな配慮、サービスの提供、男性とは違った視点から仕事の注意点、安全性の確保などに目を向けるようにしよう。
そう考えてからは、肩から力が抜け精神的にも安定して仕事ができるようになりました。
平成23年3月。
津波の避難のシミュレーションはしていましたが、あの時社内で感じる揺れは今までに体験したことが無い強さと長さでした。
従業員全員を避難させ、人員数を確認後退去。
当時の記憶はまるで夢の中にいるようでした。
いち早く避難したお陰で現場の従業員は全員無事でしたが、自宅が海沿いにある従業員の最終の安否が確認できるまでの4日間は不安で押しつぶされそうでした。
社屋は屋根しか原形をとどめず、荷役機械は全滅、重機、車輛も全半壊。
何も残らなかった埠頭を見て、呆然としましたが、一人の犠牲者も出なかったことが確認できた時、次に進まなければという思いが強く湧きました。
振り返り嘆いても事態は変わらない、大勢の従業員の生活を維持する為には何が出来るのか。
会社の女性陣は、女性本来の生命力の逞しさと母性で打ちひしがれる男性従業員を鼓舞し、援助物資の配達、従業員の家族や生活の配慮等、機敏に行動してくれました。
今日会社が営業を維持し、復興に向け社員一丸となり前進しているのも、彼女達の奮闘があればこそと思います。
震災後、海が怖くはないかとよく尋ねられます。
海は平安の時もあれば、荒れ狂う時もあります。
常に海の恵みの恩恵を受けて育った浜の者にとっては、怖いとか怖くないではなく、いかに自然に対処すべきかを心掛けるようにしています。
災害を生き抜いた者は犠牲者の尊い命に報いる為にも、下を向かず前を向き、故郷の復興を願い、希望を抱き次世代の人々に教訓を伝える責務があると思っています。
男女に拘らず自分の出来る事を一途に努力すれば、きっと思いは周囲の人々に通じる。
元始女性は太陽だったと詠われましたが、特に被災地では女性の笑顔は太陽にも勝ります。
子育てや介護と仕事、女性を取り巻く環境はまだまだ充分に整ってはいませんが、やまない雨は無いと念じ、笑顔で頑張りましょう。
被災地 岩手県宮古市より
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◆次回予告
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次回の投稿は、一児の母でプロゴルファーとしても活躍中の東尾理子さんです。
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