赤、白、黄色と並んで咲くチューリップが、花壇を彩る春が来た。
幼い頃に歌った童謡「チューリップ」が耳によみがえる。
この歌の誕生は90年前。
時同じく、この花の栽培に命を懸けた富山の青年農家がいた。
水野豊造氏だ。
北国の農家の生活を楽にすると誓い、
球根栽培の技術確立に情熱を注いだ。
戦争が始まり、“こんなご時世に”と非国民扱いされても、
平和の世には花が必要だと決して諦めなかった。
氏が逝いてから半世紀余、
富山は名実共に日本一のチューリップ王国となっている。
氏は生前、「チューリップは魂でつくるのだ。
心を込めれば、きっと人の心を打つ美しい花を咲かすことができる」
と語った。
花言葉の一つは「思いやり」である。
思いをやる――すなわち対象に向かって心を働かせ、
懸命に尽くした分だけ豊かに花開くのは、人間も同じだろう。
御書に、法華経は「花こそ心よと申す法門なり」(1597ページ)
と仰せだ。仏法(心)は現実(花)を離れた教えではない。
苦悩渦巻く現実社会を幸福の花園に変え、
自らの生活にも勝利の花を結ぶ生き方を説いている。
池田先生は「まことの『誓い』の種は、必ず花と咲いてゆく」とつづった。
わが地域わが人生に功徳満開の春を!
この誓願を貫く人でありたい。(恭)
名字の言>2021.3.26
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〈御文〉
煩悩の淤お泥でいの中に真如の仏あり我われ等ら衆生の事なり、今日蓮等らの類たぐい南無妙法蓮華経と唱え奉るを当体とうたい蓮華れんげの仏と云うなり
(御義口伝、740ページ)
〈通解〉
煩悩の淤泥の中に、ありのままの仏がいる。
それは、我々衆生のことである。
今、日蓮と門下が南無妙法蓮華経と唱え奉っているのを
当体蓮華の仏というのである。
池田先生が贈る指針
牧口先生が線を引き、大切にされた御金言である。
先生は戦時下の泥沼の如き現実社会に飛び込み、
苦悩の民衆が妙法の当体蓮華の生命を開花させゆく道を示された。
闇が深いほど暁は近い。胸中に希望の太陽を昇らせ、
抜苦与楽の励ましを! 時代の混迷を照らす立正安国の対話を!
ここにこそ真実の仏の生命が輝く。
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2021年3月26日(金)の聖教
◆わが友に贈る
飛躍の鍵は
課題を認識すること。
“越えるべき壁”は何か
一つ一つ明確にしよう!
勢いよく新年度へ!
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大白蓮華 2020年12月号 巻頭言
共に「希望」を共々に「勝利」を 池田大作
日蓮大聖人は、世が乱れ、民の困窮するなか、
信心の真心を尽くす弟子を讃えて、仰せになられている。
「福田(ふくでん)によきたねを下させ給うか、なみだもとどまらず」(1596ページ)
―― 生命の福田に、すばらしい善根の種を蒔かれたのかと、
厚い志に涙も止まりません、と。
コロナ堝という試練の一年、不屈の志を貫き通した、
わが創価の宝友への御賞賛と、私には拝されてならない。
御本仏の御照覧は、どんな時も絶対である。
苦難の続く四条金吾への御聖訓には、
「日蓮と殿と共に地獄に入る ならば釈迦仏・法華経も地獄にこそ・をはしまさずらめ」(1173ページ)と記されている。
たとえ地獄にあろうとも、 大聖人が一緒である。
何を恐れることがあろうか。必ず寂光土へ変えていける、
と励ましてくださっているのだ。
「御本仏と共に!」「妙法と共に!」「仏天と共に!」
―― これほど強く、深く、大きな希望があるだろうか。
最極の希望を抱いて、断じて負けてたまるかと、
金吾は勇猛に辛抱強く戦い切った。
そして、断固と勝って、 師弟の正義を打ち立て、
同志を勇気づけ、守り抜いたのだ。
大聖人が愛(め)でられた、この金吾の「負けじ魂」を、
時空を超えて蘇らせたのが、我らの学会精神に他ならない。
牧ロ先生、戸田先生は、
ご自身の不惜身命・死身弘法の大闘争を通して
厳然と示してくださった。
―― 広宣流布のため、立正安国のための創価の行動は、
一切が日蓮大聖人との「共戦」である。
この誇りとか希望に燃えて、祈り、守り合い、
励まし合っていくならば、
どんな戦いにも必ず勝利することができる、と。
聖教新間やオンライン等で世界が結ばれた今、
一人の 「人間革命」、一つの地域の「異体同心」の勝利が
直ちに内外の友の希望の光となり、新たな勝利の連鎖となる。
創立百周年を見つめ、「大願を立てん」(232ページ)と、
妙法の種を蒔(ま)き、「歓喜の中の大歓喜」を漲らせよう!
共々に「希望の中の大希望」「勝利の中の大勝利」で、
二十一世紀を照らし晴らそうではないか!
見るもよし
見ざるもよしと
広宣の
種蒔く宝友に
幸の万花を
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〈御文〉
此の文は煩悩即菩提生死即涅槃を説かれたり、法華の行者は貪欲は貪欲のまま瞋恚は瞋恚のまま愚癡は愚癡のまま普賢菩薩の行法なりと心得可きなり(御義口伝、785ページ)
〈通解〉
この文(法華経の結経である普賢経の「不断煩悩不離五欲」)は
「煩悩即菩提」「生死即涅槃」を説かれたものである。
法華経の行者は、貪欲は貪欲のまま、瞋恚は瞋恚のまま、
愚癡は愚癡のままで、
「普賢菩薩の行法」となると自覚していくべきである。
〈池田先生が贈る指針〉
「煩悩即菩提」の仏法である。
見栄や体裁などにとらわれず、ありのまま、
御本尊に祈りをぶつけていけばよいのだ。
なかんずく「広宣流布」の悩みは、尊き仏の悩みである。
法のため、人のため苦労した分、境涯を開き、人間革命できる。
どんな苦悩にも負けずに、自在の振る舞いで、
社会へ価値を創造していくのだ。
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「佐渡御書」日蓮大聖人御書全集P956
世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし
~通 解~
世間(せけん)の浅(あさ)いことには、命を失うことはあっても、
大事な仏法のために命を捨てることは難しい。
それ故に仏になる人もいないのである。
~池田先生の指導~同志への指針
人間として生を受けたことが、いかに尊貴(そんき)な福運か。
ゆえに「浅き事」に流されて、悔(く)いを残してはならない。
恩師は私に“若き命を「大事の仏法」に懸(か)けてみよ。
絶対に正しき人生を歩める”と約束くださった。
この70年の軌跡が、その証明である。
私も叫びたい。
“地涌の若人よ、広宣流布という壮大なロマンの勝利劇を、
思う存分に綴りゆけ!”と。
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「衆生身心御書」日蓮大聖人御書P1591
麻の中のよもぎ・つつの中のくちなは・よき人にむつぶもの・
なにとなけれども心も・ふるまひも・言(ことば)も・なをしくなるなり
~通解~
麻(あさ)の中に生(は)えた蓬(よもぎ)、筒(つつ)の中に入った蛇(へび)が真っすぐになるように、善人(ぜんじん)と親(した)しく交(まじ)わる者は、それだけでも心も行(おこな)いも言葉(ことば)も真っすぐになる。
~池田先生の指導~同志への指針
若き生命を成長と向上へ リードしてくれる、
未来本部、 21世紀使命会、教育本部はじめ、
尊き皆さま方の尽力(じんりょく)に、 心から感謝したい。
未来部への励(はげ)ましは次代を照(て)らす光となる。
若き魂(たましい)に蒔 (ま)いた希望の種(たね)が、
未来の大樹(だいじゅ)となる。
地涌の命を呼び覚(さ)ますのは、
地涌(じゆ)の触発(しょくはつ)しかない。
後継の若人の善(よ)き友となって一緒に前進し、
正義と平和 の連帯を広げゆこう!
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◆きょうの発心 破邪顕正 2019年10月11日
「南部六郎殿御書」日蓮大聖人御書P1374ページ
眠れる師子に手を付けざれば瞋らず 流にさをを立てざれば浪立たず
謗法を呵嘖せざれば留難なし
~通解~
眠っている師子に、こちらから手を付けなければ怒ることはない。
水の流れに棹を立てなければ、浪は立たない。
それと同様に、謗法を呵責しなければ難を受けることはない。
謗法を責めれば、難が競い起こるのは必定であるとの仰せです。
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リンク、修正しました。
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~蓮華~
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