人生を「航海」に例えた名言は多い。松下幸之助氏もこんな言葉を残している。「風が吹けば波が立ち、波が激しければしぶきを受ける。
波を受け、しぶきをかぶっても、舵取りさえ確かなら目的の港に入ることができる」(『松翁論語』PHP研究所)
ある壮年部員の話。
彼を襲ったのは烈風と言ってもいいだろう。
コロナ禍により業績が悪化した勤務先で、200人の希望退職者を募る発表があった。
59歳の彼は該当者にされた。
“40年間、真面目に働いた結果がこれか”と落胆した。
だが彼は、どうなろうとも最後まで「信心根本に職場で実証を示しきる」との自身の信念を貫くと決意した。
後日、工場長に呼ばれた。
「あなたには、いてもらわないと困る」。
嵐の中でも、人生のかじを手放さなかった彼は、波浪を乗り越えた。
池田先生は「航海」と「漂流」の違いとして“明確な航路があるかないか”“出発点に帰ってくるか否か”を挙げる。
学会という“生命の母港”から船出し、
時代と社会の荒波が猛る大海原を、
師匠という羅針盤を抱いて進み、母港に帰る。
これが希望・勝利の航海である。
満足な装備もない、いにしえの大航海時代。
船乗りたちを未知の海に挑ませたのは、何より、
彼らの「勇気」だったという。(代)
名字の言>2020.12。9
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< 四季の励まし >
~「向上の人」こそ偉大!~ 池田大作先生
人間の幸福といっても、自分の臆病や怠惰などの弱さと戦い、
勝つことから始まる。
人間革命とは、自己自身に、勝利していくことである。
大事なことは、
強盛な信心に励み、大功徳を受け、生活も豊かになり、
幸福に満ち満ちた、悠々たる大境涯に、なっていくことである。
そのための学会の活動である。
「人と比べる」よりも、「きのうの自分」と比べてどうか。
「きのうの自分」より、「きょうの自分」、
「きょうの自分」より、「あすの自分」を見よ――
そう生き抜く「向上の人」こそ、
偉大なる人生の山を、登りきれる人である。
「栄光の旗」は「努力の風」にこそ、悠々と、はためく。
人間革命とは、一面からいえば
「一流の人間」に、成長することでもある。
一流の人は、「力」とともに「人格」も立派だ。
誠実である。
何ごとも、薄っぺらな策ではなく、
自分の全人格で、ぶつかっていくことだ。
「勇気」が「慈悲」に通ずる――戸田先生の至言である。
真実を語り、正義を叫び抜く。
折伏の功徳は、限りなく大きい。
自分が得をする。相手も得をする。
そして一家一族へ、社会へと、
福運は、幾重にも広がっていく。
広宣流布のために動こう――その心が功徳を生む。
対話の秋である。
にこやかな笑顔で、陽気に歌を口ずさむように、
快活に進もう!
< 四季の励まし >
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「祈禱抄」日蓮大聖人御書P1351
大地はささばはづるるとも虚空(おおぞら)をつなぐ者はありとも・
潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・
法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず
~通解~
大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、
潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、
法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。
~池田先生の指導~同志への指針
広宣流布のために戦う「法華経の行者」の祈りには、
広大無辺(こうだいむへん)の力がある。
これが御本仏のお約束である。
祈り抜き、祈り切る。
そして行動を貫(つらぬ)き通す時、無限の智慧(ちえ)が湧(わ)く。
十界のいかなる衆生も諸天善神となって、
仏の陣列(じんれつ)を護(まも)りに護る。
戦う題目に勝るものはない。
不退(ふたい)の信力・行力こそ、
不可能を可能にしゆく仏力・法力の原動力なのだ。
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「兵衛志殿御返事」日蓮大聖人御書P1091
必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり
~通解~
(凡夫が仏になる時には)必ず三障四魔という障(さわ)りが現れるので、賢者(けんじゃ)は喜び、愚者(ぐしゃ)は退(しりぞ)くのである。
~池田先生の指導~同志への指針
苦難の時にこそ、人間の「真価」が現れる。
逆境であるほど、いよいよ“負けじ魂”で挑むのが、
大聖人直結の賢者である。
妙法は、全てを前進の力に転じゆける絶対の法則なのだ。
広布の大闘争の中に偉大な人間革命があり、宿命転換がある。
わが愛する青年たちよ、朗らかな「創価の賢者」たれ!
皆の青春凱歌を信じ、祈っている。
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「御義口伝 」日蓮大聖人御書全集P751.
過去(かこ)現在(げんざい)の末法(まっぽう)の法華経の行者を
軽賎する王臣(おうしん)万民(ばんみん)始(はじ)めは
事(こと)なきやうにて終(つい)にほろびざるは候はず
~通解~
過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑(けいべつ)し、
いやしめる権力者と民衆は、はじめは何事もないようであっても、
ついには滅(ほろ)びない者はない。
「富木殿御書」日蓮大聖人御書全集P969
夫れ賢人は安きに居て危き嘆き、侫人は危きに居て安きを嘆く
~通解~
賢人は安全な所に居ても危険に備え、
邪で愚かな人は危険な状態であっても安穏だと思う。
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リンク、修正しました。
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