〽右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年……。

西南戦争の激戦地であった熊本・田原坂での激闘を歌った

民謡「田原坂」の一節である▼。

 

田原坂の戦いで、官軍の兵士は、

1日に32万発もの大量の弾丸を使用したとされ、

そのため銃弾同士が空中でぶつかり合うことも多かったという。

 

戦争から1世紀以上が経過した今も、

現地では当時の銃弾が発見されることがある。

 

1968年(昭和43年)、池田先生は田原坂を訪問。

西南戦争で犠牲となった人々に追善の祈りをささげ、

弾痕が残る建物に足を運んだ。その史跡の持ち主に、先生は語った。

 

「『田原坂』の歌は、実は私の恩師が大好きで、

私もこの歌を通して、青年に革命の精神を教えています」

 

戸田先生は「田原坂」に合わせ、自ら舞うことがあった。

青年と共に歌い、感極まることもあった。

 

ある時には、冒頭の歌詞になぞらえて、こう訴えた。

「学会は『右手に慈悲、左手に哲学』で進むのだ」

 

「慈悲」の行動とは、単なる「同情」とは違う。

 

友の苦悩に思いをはせ、無事安穏を真剣に祈り、

その人が立ち上がるまでエールを送り続けていくことだ。

 

コロナ禍に加え、九州はじめ各地が豪雨被害に見舞われる今、

私たちは慈悲の旗を高く掲げ、逆境の坂を共々に乗り越えていきたい。(澪)

 

          名字の言>2020.5.15

          聖教新聞「SEIKYO ONLINE」

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*教学*

テーマ:恩に報いる   2020年7月14日

 

「世に四恩あり 之を知るを人倫となづけ 知らざるを畜生とす」

(御書491ページ)

 

――恩を知り、恩に報いることこそ、人としての道です。


池田先生は

「恩に報いる生き方のなかに、真実の偉大さがあり、

人間としての完成がある」

「最高の報恩の道を教えたのが仏法である」と教えてくださいました。

 

今回は。「恩に報いる」をテーマに学んでいきましょう。

 

開目抄
仏法を学せん人・知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし(御書192ページ)


【通解】

仏法を修学する人が、恩を知り、恩を報ずることがなくてよいはずがない。仏弟子は、必ず四恩を知って、知恩・報恩の誠を尽くすべきである。


                         *~*
日蓮大聖人は、「開目抄」「報恩抄」をはじめ、諸御抄で、

恩を知り、恩に報いる大切さを教えられています。

 

その基盤となっている考え方に、

“森羅万象は互いに支えあって存在している”という

縁起の思想があります。


経典における「報恩」の原語は、サンスクリット(古代インドの文語)の

「クリタ・ジュニャー」と考えられています。

「なされたこと」(クリタ)を「知る」(ジュニャー)という意味です。


多くの人々のおかげで今の自分があることに、

感謝できる自分に成長し、今度は自分が皆のために尽くしていく――。

 

真の「報恩」とは、

人間性豊かな感情の発露としての振る舞いであるといえるでしょう。


大聖人は「大恩に報いるためには、仏法を学び究め、

真の智者となって、恩ある人々を導いていかなければならない」

(御書293ページ、趣意)と、

民衆救済の誓願を立てられ、妙法弘通の御生涯を貫かれました。

 

この御本仏のお心を受け継ぎ、万人成仏の法を自ら実践し、

友人に弘めているのが、私たち創価学会員です。

 

全ての人の幸福を願い、世界に希望の光を送っていく――

これこそ人間性輝く報恩の生き方です。

 

池田先生は

「報恩の人生に、行き詰まりはありません。

父母や師匠をはじめ、今の自分を築かせてくれた一切の人々への

感謝と報恩の決意が、自身を向上させる原動力となります」

と教えられています。


「御書895ページ」

恩をしらぬ人となりて後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ不便に候へ


【通解】(退転した女性門下が)恩を知らない人間となって、

後生に悪道に堕ちることがかわいそうでならない。


                     *~*

日蓮大聖人は、知恩・報恩の大切さを説くとともに、

不知恩・忘恩の輩を「不知恩の畜生」(御書204ページ)と

厳しく糾弾されています。

 

大聖人が佐渡流罪に処せられた時、

疑いを起こして信仰を捨てただけでなく、

大聖人を賢しげに批判する門下が現れました。


そうした輩に対し

「こうした愚か者たちが、念仏者よりも長く

阿鼻地獄にいるであろうことは不憫としか言いようがない」

(同960ページ、通解)と述べられています。

 

退転者の本質について、大聖人は、

 

「臆病で、教えたこともすぐ忘れ、

そのうえに欲が深く、疑いが多い者たち」であるとし、

「漆の塗り物に水をかけて、空中に振って水が落ちるようなもの

(教えたことが何も残っていない)である」(同1191ページ、通解)

と喝破されています。


創価学会の歴史を振り返ってみても、

戸田先生の事業が最大の苦境に陥った時、

 

それまで大変にお世話になり、

口を開けば「先生、先生」と慕っていたにもかかわらず、

手のひらを返したように先生を罵りながら去った者がいました。

 

退転者の本質とは、いつの世も、全く、変わらない。

 

 

そうした中、必死に戸田先生を支え守ったのが池田先生です。

 

不知恩・忘恩の輩を退け、知恩・報恩を大事にする、

まっとうな社会を築いていくことは、

民衆の境涯を高めていくことにもなります。

 

どんなことがあろうとも、感謝の心を忘れず、

師弟の道を断固、貫いていく――。

不退転の生き方こそ、真の報恩の道にほかならないのです。

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「四条金吾殿御返事」日蓮大聖人御書全集P1136

 

此の経をききうくる人は多し、まことにき受くる如(ごと)くに大難来(だいなんきた)れども憶持不忘(おくじふもう)の人は希(まれ)なるなり、受くるは・やすく持(たも)つはかたし・さる間(あいだ)・成仏は持つにあり​​​​​​
                        
~通解~
この法華経を聞き受ける人は多い。しかし、実際に聞き受けた通りに大難が来た時に、此経難持(しきょうなんじ)の教えを常に心にとどめて忘れない人(憶持不忘の人)はまれである。
「受ける」ことは易(やさ)しく、「持(たも)つ」ことは難(むずか)しい。ゆえに、成仏は持ち続けることにある。

~池田先生の指導~同志への指針


打ち続く苦難に思わず弱音(よわね)をもらした、

四条金吾への激励の御聖訓である。

「此の経は持ち難し」──

信仰を貫(つらぬ)く勇者(ゆうじゃ)が忘れてはならぬ覚悟(かくご)だ。


この師匠の仰せのままに奮(ふる)い立ち、

負けじ魂(たましい)の勝利の実証を示していった。

これが金吾の「人間革命」である。


信心は、何があろうと持(たも)ち通す挑戦だ。

良き同志と励まし合い、不退(ふたい)の勇気で、

一生成仏の境涯を開きゆくのだ。

 

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