目に見えるものは
解るから
信じる
見えないものは
解らないから
信じない
信じがたい
って
区別してること
ありますか?
写真では写るものは
信じる?
形になっているから
見えるものになるかしら?
では
感じることは
どうだろう?
直感は?
大切にしていること
ありますよね
人の気持ちはどうでしょう?
見えない
自分の感情は?
感じている、思っている
けれど
見えないですね。
確かなものではありません。
見えないから
怖がるものでもありません。
プラーナが一面に見えて
競技が見えなくなったことがあります。
とても綺麗で 美しい世界が
目の前にありました。
普段、そればかり見ていたら
競技場が見えなかったように
他のことは見えなくなるかもしれません。
可視化出来たら
どこにあるかはわかるけど
返って怖くないですか?
311のあと
放射性物質が見えないから
怖い
と言われている方がいましたが、
見えたら
どうしていいか
解らなくなるかもしれません。
電磁波も然り。
不思議な世界にいるのかもしれません。
その人
それぞれが捉えているだけ
その世界がある
同じ風景を眺めていても
感じ方も
人、それぞれ
当たり前と言われている
常識さえも
人によって
違います。
面白いですね。
同じ時間を過ごしているのに。
見えなかったらない
その思いも
人それぞれですが
見えないものの方が
多いのかもしれません。
こころはどこにある?
と
質問すると
大抵の人は
胸を差します。
でも、身体には
こころという臓器はありません。
解剖しても現れない。
でも、みんな
こころ
があることは知っている
面白いことだと思いませんか?
に
こだわらず
自分がどう捉えているか
を理解してみましょう。
よくわからないけど
知っていることも
それぞれの中にあります。
いてください。
そのことについて
知ることで怖さがなくなるなら
知る 体験をしていきましょう。
人は
頭で理解しても
実感が伴わないと
腑には落ちません。
体験を通じて
自分の腑に落ち、理解ができます。
目に見えることが
望ましいことではないと思うのです。
この何もない空間にも
プラーナがあり
微生物がいて
放射性物質や電磁波や
もしかしたら
不成仏霊もいるかもしれません。
全部が見えていたら
気が狂うかも知れませんね
見える、見えない
の判断は
必要ないと思いませんか?
あるものはある
ないものはない
解るものは解る
解らないものはわからない
でも、解るようになりたいのか
わからないままでいいのか
それも
自分で決めていけること
ここだけは解りたいけど
他のことはいいや
なんて
自分の都合よくはいかないようです。
何を感じるのか
どこを見ているのか
自分なのか
他人なのか
いろいろありますが
答えは
自分の中にあります。
自分の素直な望みに
耳を傾けていきましょう。
生きられる喜びに
生きていられるから
できることを
生きているうちに
楽しみながら
時を過ごしていきましょう
真剣に
でも
余裕を持って
shizuko