観劇blogのつづきのつづきです
これ以降 ネタバレ要素を多分に含みますので
引き続き DVD観劇や大阪・韓国公演のご観劇をお考えの方々は
くれぐれもご注意下さいませ
意外にもぐッと心を捕まれて
鮮明に記憶に残ッているのは
デスノートの捜査に関わる日本の刑事たちが
命を危険にさらしても一線に残るか
家族を守るために一線から去るかの
究極の決断をする場面
これは何か特別の演出効果を用いているわけではないのだけど
痛切な心情を描写した率直かつ繊細な歌詞と
脇を固める演者様たちの表現力との 相互作用で
不覚にもほろりと涙がこぼれそうになッたわよ
それから見事な心理描写と言えば
もうひとつ
夜神総一郎が
我が息子のキラ疑惑を認めたくない一心で
切実な親心を歌い上げる あの独唱の場面もまた
見所のひとつに数えたいわね
ただ 加賀宮の耳が壊れてるだけなのかもしれないけど
鹿賀丈史様の荘厳かつ重厚なバリトンが
音響との相性のためか あまり2階席まで響かず
そのあたりがとても残念だッたのよね…
まあそれは座席位置や会場設備の都合もあるので
とやかく言うほどのことではないにせよ
何よりもやもや感満載だッたのは
■ミサミサの「第二のキラ」としての側面が
あまり丁寧に描かれなかッたこと
■デスノートの所有権を放棄したあとの
ミサミサの位置付けが不明瞭であッたこと
■ノートで臨終の状況まで操作したわりには Lの死の演出にひねりがなく 中途半端にあッけないので 物語上のLの存在意義が確立されきらず 消化不良だッたこと…
■さらにこれにつづくライトの死に様も 終焉に向かわせるためのどたばた演出に見えてしまい 若干の無理矢理感に満ちていたこと
そして最大のもやもやが
■舞台上にライトとLの亡骸が2体横たわるまま 物語は淡々とフィナーレを迎え 拍手喝采の中でむくりと2体の亡骸が起き上がり 何事もなかッたのように 客席へ頭を垂れるという 型破り過ぎる幕引き!!!
何この実験的かつ前衛的な演出!!!
コンテンポラリーバレエの公演じゃないんだから!!!
パンフレットの栗山先生のお言葉によると
「すべてが通り過ぎたあと、再び何事もなかったように青白く空ろな、始まりの情景に戻った舞台に向き合う観客は、そこに何を見出だすのだろう。」
「『答え』などない残酷な世界を映し出す『答え』のない舞台。黒い『ノート』に導かれ、混迷する人と世界の片鱗に触れる、そんな時間を共有していただけたら、と思う。」
ということらしいけど
半ば弁明にも聴こえるわよね…
(この点についてはまた改めて さらに詳細に述べるわね)
今回は演出と構成の切り口から
執筆させて頂きました
次回以降は 主要キャストやスタッフお一人お一人についての講評を 述べさせて頂きます
つづく