「彼等は何処に在りや」

加賀海 士郎

 かれこれ四半世紀前のことである、筆者が初の本格的な随筆を著し自費出版したいと考えたことがあり、ある出版社へ見積照会した際に、見積回答書に同封されていた出版社の代表から暑いメッセージが届いた。

 

 そこに記された「自費出版経費見積書」の内容はしがないサラリーマンにとって右から左に捻出できるものではありませんでした、と言っても、書店流通本として1,000部製本するには3百万円程で事足りるし、別途、新聞広告を出すにはいささかの費用が掛かるが新聞社や放送局に売り込んで記事や話題として貰えればPRは無料で済ますこともできない事ではないと教えてくれました。

 

 「出版の相談」の返答と題する書状には、まず、【原稿の感想】として次の記述がありました。

・「加賀海士郎」さんは、正しく今の50代の男性が持つ「人生美学」の実践者です。人生を、それこそ脇目もふらずひた走り続けた典型的な姿が、そこにあるからです。この激動する世の中を、生きて来られたことに自信を持ちながら、同時に、「人生の忘れ物があるはずだ」と、焦燥の念を持つのも、この世代の持つ特徴かも知れません。(私もこの世代だから、そう言えるのかも知れません。)

・その思いは、文面を通して伝わってきます。文章は、加賀(筆者の名を加賀 海士郎と誤解)さんの人間性そのものが現れていて、清明で、理路整然としています。

 

 この感想は多分に営業的社交辞令が含まれていると思いますが、褒められて悪い気はしないものです。その感想に続けて、出版社として素人にも分るように【本にする要諦】が記されていました。

・加賀さんの原稿では1頁の字数は520字で全頁は324頁になりますが、実際作る本は、1頁=40字×16~18行が望ましいので240頁くらいになります。

・ただ、文章の段落が比較的少なく、1頁に字が詰まり過ぎているので、読み辛くなっていますが、編集の手(1頁字数を増やす、句読点や段落を付けること)を加えれば問題ありません。

・また、出来る限り「業界用語」や「抽象的な言葉」は避けるか、説明を加えることが、大切です。(編集時に構成します)

 

 続いて、【本づくりの過程】として①原稿つくり②原稿整理③編集④著者初校正⑤編集者校正⑥最終著者校正⑦表紙、帯文作成⑧最終校正編集チェック⑨印刷⑩完成の過程があり、本ができるまで、最短で2ヶ月半、最長で5ヶ月が必要とありました。

その上で、【どんな本にするか。読者は誰】を想定するか?サジェスチョン(出版社の提案)が述べられていました。字数、頁数、装丁などの他、ターゲットは友人や知人になりますが、一往「こんな本もできる」という意味で『書店流通本』も考えられるとして「私家本」と『書店流通本』の違いについても資料が示されていました。(詳細は割愛しますが、自費出版の一種ですが、文字通り自費で作った本を書店で売る本です。勿論自分で販売しても構わない)

その他、加賀海(ここでは正しく表記されているが書き手が異なるかも)さんの提示されたタイトルは、どちらかと言えば「サブタイトル」に適当です。後日じっくり考えましょう。なお、『書書店流通本は当然価格をつけますが、「私家本」も価格をつけてもいいのです。「私家本」は発行部数はいくらでも良いが途中から書店で売ることはほとんど不可能に近いです。一方、『書店流通本』の場合は発行部数は500部以上という事になるとのことでした。

 

 結局、筆者は資金的に対応困難なことから、次のような返書をせざるを得ませんでした。

  当時、筆者は50代半ば、サラリーマンとしては峠を越えた辺りでこの先、ひょっとすると役員の末席に加わり、通常の60歳定年より少し長く現役を続けることになるかもしれないというサラリーマン人生の晩年に差し掛かっていましたので、もう暫くすれば退職金を手にして第二の人生に踏み出すことになるかもとの思いが頭の中をよぎっていました。

 と同時に、世の中が進歩していたお陰で、必ずしも紙の本にしなくても既に本の体裁を整えてデジタル書籍という形で知人友人にはほぼ費用をかけることなく配信が出来ましたので、幾人かの知人には押し売り同然に送り付けて読んで貰っていました。

 

 私はその頃、『会社はなぜ変われないか』(柴田昌治著 1998年日経新聞社刊)の「読者の集い」に、ある同僚に誘われて参加し企業改革活動に大いなる関心を持っていました。その同僚は私より一世代ほど若く、資産家の跡取りで関西の名門私学を卒業後、私とは対極の主力事業部門の企画管理畑から海外事業部門で育ったのだろう。

 初めて知り合ったのは私が地方工場の資材購買部門から本社購買部へ転出してからのことだった。世の中が大競争時代と呼ばれグローバリズムという潮流が渦巻きその奔流に適応していかなければ勝ち残れない厳しい経営環境が、否が応にも思い切った企業合同(M&A)や世界的なサプライチエーンの構築などを課題として突き付けてきた。

 私は本社購買部にあって、これまでの集中購買方式では機動性に欠け、ICT(情報通信技術)を駆使した事業部門ごとの分散購買にして工場別の自習度を高めない事にはこれからのビジネススピードについていけないと自らの足元が揺らぐことも承知の上で業務改革を主張していました。

 一方、彼は業界トップと言われる「老舗」に胡坐をかいていてはこの大競争時代を生き抜けないとと考え、海外事業部門の立場から事業そのものの見直しや世界を股に掛けたサプライチエーンの再構築など、現状打破を念頭に全社調達委員会という資材購買関連部門の合同会議(情報交換会)に参加していたのです。

 その二人が意気投合し、読者の集いに参加するうちに、益々「老舗」「業界トップ」に胡坐をかく企業風土に危機感を覚え、何とかして風土改革を進めたいと話し合っていたのです。その彼が私に本を書けと背中を押したこともあって、生意気にも当時のベストセラーの向こうを張るように『会社の向こうに何を見る』と題した本を著そうとしたのです。

 私はその中で、これまで企業戦士と称されるほど自らの属する会社に忠節を誓い猪突猛進するように頑張ってきた団塊の世代以降の企業人に向けて、「不幸にして自らの拠り所とする会社が自分の意に反する方向に舵を切ったと感じたならば、その舵を反転させる努力をすべきだ。場合によっては多勢の周囲を敵に回したとしても、自らの信じる道を貫くべきだ」と、持論を叫んでいたのです。

 

 つまり、私は大学を卒業して以来、縁あって選んだ会社というものを信じて無我夢中で働いて来たが、人生の終盤に差し掛かった時、何のために生まれてきたのか?生きること、働くことを考えた時、ふと芽生えた疑問が私を衝き動かし、自分の人生を見つめ直させ始めたのです。

 そしてその想いは幸せとは何かという素朴な問いかけになり、これからの生き方をとことん考えるようになっていったのです。その結果、これまで当然のこととして受け止めていた常識的な会社人間が会社どっぷりの生活から距離を置いて、人間として素直に幸せになる事を希求し始めるのですが見出した答えはごく平凡な何でもない事でした。

 

 結局、幸せに繋がる生き方とは、人間の内奥にインストールされた人としての本質的な欲求(本質的価値観)に従って生きることではないだろうか?

人は誰しも、常に『成長発展し続けたい。』『一人前として認められ、自立したい。』『他の役に立つ有為な存在でありたい。』等の本質的欲求を内包しているが、その事に気付かなかったり、眠ったままになっている人が少なくない。それどころか、これらとは別の、他から刷り込まれた価値観を本質的なものと思い込み行動している人も多いのではないだろうか。自分の人生を自分のものとするために、今一度、自分自身を見詰め直し、自分が本当に価値があると思う生き方を見つけようではありませんか。

 実は、その著作の「筆者紹介」にはかなり克明に筆者の自分史を記しており、早世したエリート社員との関わりや筆者の上に覆いかぶさる社長(ボス)との関係も、彼らが存命中にはとても公開できなかった秘話が認めてあるのです。既に冥界の住人の彼らも眉を潜めているかもしれません。

 

何のために?生きること、働くこと~会社の向こうに何を見る?「筆者紹介 その五」 | 加賀海士郎の部屋❝学水舎❞ (ameblo.jp)

 ここでは筆者紹介の最後の章を紹介しているが、関心がある方は記事を遡ってご覧頂きたい。

 

 元々は士郎が何故、独特の価値観を持つに到ったかを理解して頂く為に、どうしても彼の生い立ちを示したかったということだが、彼自身、平凡に思える人生でも、長い人生の中には幾つもの絵になる感動的なシーンがあるものだと痛感させられた訳である。決して士郎の人生が特別数奇なものであったとは思えない。む しろどんなに平凡と思われる人にも、幾つかの感動シーンがあり、それを連ねれば見事なまでの人生ドラマになることに気付かされた訳である。

 そのドラマがどんなに意義深い価値有るものであるかは、その人自身が決めるものであり、士郎の生い立ちを必要以上につぶさに紹介したのは、全ての人にこれまでの自分の人生ドラマを振り返ると共に、一度しかない、やり直しの利かない人生を大切にして欲しいと訴えたかったからに他ならない。

平成十一年三月吉日

 

 その後も筆者は『会社の向こうに何を見る』を引きずり、「何のために?生きること、働くこと」を問い続け、この初めて手掛けた大作に終止符を打ったのはそれからかれこれ二十年後のことだった。その結びの言葉は、次のようになっていた。

 

 本書内で紹介した『ミッションステートメント(私の願い)』を士郎がとりまとめたのは平成十年十月十日であるが、奇しくも丁度その頃、彼が後に携わる大阪本社工場移転に伴う跡地売却の為の土壌環境調査が進められていた。

彼は購買部長として業務改革を手掛けており、自ら提唱した集中購買を事業部門別の分散購買に転換しICTを活用したサプライチーンマネジメント(S・C・M)構築の促進に励んでいたが、その活動はいわば本社購買部門のリストラクチュアリングでもあった。

 

・・・渦中にいた時は言葉では言い尽くせない大変な思いをしたのだが、それはまた望んでも得られない貴重な体験でもあったとあれから二十年経った今だから言えるのだろう。 

 時は流れ、世の中は技術進歩が格段に進み、随分様変わりしたが、人間そのもの、その本質はほとんど変わっていないようだ。

いま読み返してみても本書の言わんとするところは決して陳腐化した戯言とは思えない。

 筆者としては次代に伝えるつもりで、せめて身近に接する子や孫たちに本書を手に取って読んでもらいたいと思う。そして自分自身で考え行動して欲しいと願っている。 

平成三十一年 大寒の候(了)

 こうして筆者にとって最初の大作『何のために? 生きること、働くこと~会社の向こうに何を見る?』は奇しくも元号が「平成」から「令和」に改元する年に終止符を打ったのである。

 あれから五年の歳月が流れたが、士郎は相変わらず、永遠の命題ともいうべき“何のために生きる”その答えを探し続けていた。そして、この五年の間に書き上げたのが『人生劇場~輪廻転生』であった。

 

 その冒頭には「口上」と題して次のように説いている。

ドラマはいずれ終幕が訪れる。出番の終わった役者は速やかに退場しなければならない。人生劇場の退場者はその後どうなるのか?
殺伐とした世相、いつ大鎌を持った死神が眼前に現れるか知れない。しかし、「死」はそれほど恐れるべきものではなく生の延長線上にあり、その後の世界へと続く魂流転の旅の始まりである。
読者にとって、本書が生命の流れに想いを巡らし、いまを生きる知恵とする手引きとなれば望外の喜びである。 加賀海 士郎

 

 さて、年賀状の整理をしていて見つけた四半世紀前の懐かしい書状に一期一会の大切さを改めて思い知らされ、徒然なるままに今は話すことも逢うことも叶わぬ書簡だけでの知り合いに想いを馳せて、何とか縁が繋げられないかと無い知恵を絞ってみたが一向に前に進まず、このままでは終われないのだが、ブログもあまり長々と続くとアップロードできなくなるので前編はこの辺りで一旦、区切りをつけて続きは改めて後編としてまとめようと思う。

(令和六年春は名のみの頃、後編に続く)