9月11日に公開された映画「窮鼠はチーズの夢を見る」。
出だしは好調、評判も上々のようで、中には「追い窮鼠」する人(リピーター)も。
私も、映画のその後が気になって、原作漫画を買ってしまいました!
漫画と映画、両方に触れて、それぞれの良さに気付いたところを、今回は書いてみようかと思います。



ちなみに、映画単独のレビューはこちら



さて、映画のタイトルは「窮鼠はチーズの夢を見る」(以下「窮鼠」)ですが、原作漫画は続編に「俎上の鯉は二度跳ねる」(以下「俎上」)があり、今回はその二篇をまとめて一本の映画にしているんですね。
漫画の初出が2004年、完結が2009年ということで、かなり前の作品でありながら、まったく古い感じはしませんでした。
ただ、10年以上前のオリジナル版のコミックスはちょっと手に入りにくいようで、私は「窮鼠」と「俎上」、そして今回の映画化に当たり11年振りに描き下ろされたという「ハミングバード・ラプソディ」が全て一冊になった、オールインワン・エディションというのを買いましたよ。
もうね、辞書みたいに分厚いやつ!


漫画や小説って、映画に比べると、やっぱり心理描写が丁寧というか、細かいですよね。
映画でも、成田凌さんが演じた今ヶ瀬は、かなりペチャクチャと自分の考えや気持ちを口に出していましたが、漫画ではそれに輪をかけて喋る喋る…。
まるで機関銃のように喋り倒しているのですが、それって、おそらく今ヶ瀬の不安な心の表れなんでしょうね。
相手から言われる前に、聞かされる前に、それが事実であろうが妄想であろうが関係なしに、先回りしてバーッと喋って理論武装しないと、彼の心は不安で押し潰されてしまうんだろうな、と思いました。


対して大倉忠義さんが演じた恭一は、どちらかと言うと無口な方なんですが、その分、漫画だと物凄くモノローグが多いんですよね。
あまり喋らない分、頭の中では色んなことをゴチャゴチャと考えている。
漫画では時々、ブラック恭一・ホワイト恭一・グレー恭一の3人が脳内会議をするコメディタッチな部分もあるんですが、これが同じ作者の別の作品「脳内ポイズンベリー」の元になったのかな?
とにかく、そのモノローグを読んでいると、映画のあのシーンで本当は恭一がどんなことを考えていたのか、その深い部分まで理解することが出来て良かったと思います。


その一方で、あれは映画ならではの表現だったな、と思える部分もあって。
例えば、今ヶ瀬と恭一が2人で恭一の部屋に消えた後、かなり長い間を持って、画面に部屋のドアだけが映されていたシーン。
あれなんかは漫画の止め絵では出来ない表現だし、想像を掻き立てられる手法でした。

また、漫画ならではの「都合の良い展開」も、映画ではきちんと「必然」に置き換えられていて、そこにも丁寧な映画作りが窺えました。
具体的に言うと、恭一と夏生が中華屋で食事しているところに、今ヶ瀬が元カレと一緒に現れるシーンですよね。
漫画では、恭一と夏生はたまたま街で再会したその足で食事に来ていて、そこに今ヶ瀬が出くわすのは、本当に全くの偶然なんですよ。
それを映画では、恭一と夏生が再会した日と食事をする日を別にしていて、今ヶ瀬は恭一の携帯を見て2人が食事の約束をしている事を知るんですね。
で、そこに元カレを連れて、偶然を装い現れる。
映画はこのシーンの前にも今ヶ瀬が恭一の携帯を勝手に見る描写があるので、恭一にも「また俺の携帯見たんだろ」とバレちゃうんだけど、ここは違和感のない展開になっている上に、今ヶ瀬のストーカー気質まで浮き彫りにしていて、一石二鳥で上手いなと思いました。

それに、漫画を読んでみて改めて思ったのが、成田凌さんの演技はやっぱり凄かったんだな、ということ。
漫画って、「恥ずかしい」時や「嬉しい」時、「照れている」時などの表現方法の一つとして、人物の頬の辺りに斜線をいくつか描き込めば、顔を赤らめている風に見えるじゃないですか。
でも実際に演技で顔を赤らめるって、なかなか出来ないと思うんですよ。
と言うか、普通に生活していても、分かりやすく顔を赤らめることって滅多にない。
だからこそ、目の微かな揺れや表情筋の細かな動きで、感情を表現するしかなくて。
映画での今ヶ瀬の表情の一つ一つ、その素晴らしさは、やはり成田凌さんの演技力の賜物でしたね。


実は、映画を観終わって出て行く時に聞こえて来た会話で、「今ヶ瀬はもっとカッコイイ人にやって欲しかった」という感想があって…。
私は、成田凌さんの今ヶ瀬、凄く良かったと思ったんですが、漫画を読んでみると、確かにちょっと見た目のイメージは違うんですよね。
ここで、冒頭に載せたポスター写真の話なんですが、あれは原作者の水城せとなさんが、映画のメインビジュアルをイラスト化したものなんだそうです。
通常のポスターと並べてみると、こんな感じ。


成田凌さんって、イケメンかイケメンでないかで言うと、そりゃあイケメンの部類に入るとは思うんですが、誰が見てもイケメンか個性的なイケメンかで言ったら、後者になると思うんですね。
漫画の今ヶ瀬は、誰が見てもイケメン、しかも超絶イケメンの部類。
だから原作ファンの方が映画を観たら、イメージが違うと思うこともあるかも知れない。
かく言う私も、漫画の今ヶ瀬のビジュアルを知った後、とあるドラマを見ていて、「うおっ、この人、めっちゃ今ヶ瀬っぽい!」と思った人がいたんですよ。
それがこの人なんですけど下矢印


さあ、何のドラマでしょ?
清水尋也さん、という俳優さんです。
ここから泣き崩れて行く顔が凄く良くて、私の中では今ヶ瀬にイメージがピッタリ重なったんですが…。
そんな風に、ビジュアル面だけなら、それぞれの中に「この人!」と思う俳優さんはいると思うんです。
でも、成田凌さんほど繊細に今ヶ瀬を演じられた俳優さんは、きっと他にはいないと思う。
原作のある映画のキャスティングって、本当に難しいんだろうなと思います。
イメージだけならいくらでも合う人はいるだろうし、今が旬の人を起用する手もあるだろうけど、本当に質の良い映画にしようと思ったら、そのキャラクターを演じ切れる俳優さんを選ぶのが、やっぱり一番大事なんですよね。
その点で言うなら、この役は成田凌さんにしか出来なかった
私はそう思います。
…ま、個人的に清水尋也さんも今後注目して行きますけどね^_^

さあ、そして最大の議題であるラストシーンについて!
ここからはネタバレありますので、知りたくない方はご注意下さい。


映画では、恭一が婚約者と別れてまで、出て行ってしまった今ヶ瀬を待つ決意をするところで終わっていました。
実は漫画は、もう少し分かりやすいハッピーエンドです。
恭一が婚約者に別れ話をしに行っている間に、今ヶ瀬は案の定逃げ出して、いなくなってしまうんだけど、恭一はそこで諦めずに今ヶ瀬を追い掛けるんですよね。
そして今ヶ瀬に、「指輪を買うよ」と約束をする。
それでどうなるってわけじゃないけど、何かの証くらいにはなるだろ」と。


このラストを期待していた原作ファンの方は、もしかしたら映画のラストシーンは物足りなかったかも知れません。
でもよく考えたら、映画の恭一の方が凄く思い切ったことをしてるんですよ。
だって、今ヶ瀬がいなくなった後で、もう一度戻って来る保証すらないのに、婚約者と別れるんですよ?
今まで誘われるままに女をフラフラ渡り歩いていた恭一が、今ヶ瀬のために、自ら1人でいる決意をしたんです。
それまでの恭一の中には、絶対になかった選択肢
今ヶ瀬がもう一度、あと一度だけ、性懲りもなく恭一の前に姿を見せれば、2人は結ばれるわけですよ。

思えば、恋愛を描いた漫画で、ハッピーエンドにならない作品って、そうそうないですよね。
相手が病気や事故で死んでしまうような悲恋ものなら別ですが、私の知る限り、失恋して終わる恋愛漫画なんて読んだことないです。
だから漫画の「窮鼠」の方も、恭一が「指輪を買うよ」と言う前の2人のやり取りは壮絶で、それを踏まえてのハッピーエンドなので、あれはあれで凄く感動したし、良かったと思います。
でも、映画のラストシーンの方が、私は好きでした。
一見ハッピーエンドでないように見えて、実はこれ以上ないハッピーエンド。
だって、今ヶ瀬は必ずまた、恭一の前に現れると思えるから。
そしてその時は、もうお互いに、お互いだけのものだから。
それがいつになるかは、誰にも分からないけれど…。
この余韻のある終わり方は、映画だからこそ出来たものなのかなと思います。


まあとにかく、漫画も映画も、素晴らしい作品だったと思います。
粘着質でストーカー気質、執着心と嫉妬心の塊である、厄介な今ヶ瀬。
誰のことも傷付けたくないが故に来る者拒まず、それが結局誰かを傷付けていることに気付かぬまま生きて来た、優しくて残酷な恭一。
この、愛すべき2人の物語。
漫画はとにかく壮絶で、最後は2人ともボロボロだけど、凄く読み応えがありました。
映画は壮絶さを残しながらも、行定勲監督の手腕と映像美で、洗練された印象です。
どちらも、心からオススメできる作品です。