毎日新聞『「フナ!」子どもら、伝統の「堀干し」に夢中 町面積の14%占め』 | 千客酩酊

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「フナ!」子どもら、伝統の「堀干し」に夢中 町面積の14%占め

2/8(木) 15:51配信
毎日新聞

泥の底に残った魚を夢中で捕まえる子どもたち=福岡県大木町で2024年1月27日、足立旬子撮影

 堀(水路)の水を抜いて底の泥をかきだす「堀干し」は、福岡県大木町の冬の風物詩だ。地元の公民館長だった中村勝さん(72)は、それを後世に残そうと活動している。「堀は町の大切な財産。堀を大切にする気持ちを子どもたちに引き継いでいきたい」

【「珍しい」で食べないで 危険な魚こんなに】

 「あっ、ナマズがいる!」「フナだ!」。1月下旬、クリークの里石丸山公園で「堀干し」の体験イベントが開かれると、堀の底では子どもたちの元気な声が響き渡った。

 町内をはり巡らすように流れる堀は、町の総面積の約14%を占める。こうなったのは、町の成り立ちと関係している。

 町は有明海の干潟だった場所。先人は稲作をするため、堀を造って水を確保した。

 ただ、堀は川に比べて流れが少なく、泥や水草がたまりやすい。1960年代ごろまでは、農繁期が終わり冬になると、地域の人たちが協力して堀の水を抜き、泥をかき出して底を乾かした。

 取り出した泥は、田んぼの肥料として活用された。捕った魚は半焼きした後、かまどの上にぶら下げて燻製(くんせい)にした。中村さんは「農家にとって堀干しは楽しみの一つでもあった」と話す。

 大きく変化したのは70年代だ。土地改良事業によって、堀は直線的な水路に変わっていった。泥の代わりに化学肥料が普及したこともあり、堀干しをする地域はなくなっていった。

 そんな状況に危機感を持ったのが、中村さんだった。約20年前、当時移り住んできた住民から言われた一言が、今も耳に残っている。

 「堀は汚いから埋めて、側溝にすればいいのに」

 中村さんにとって、堀は泳ぎを覚え、魚やタニシを捕った懐かしい遊び場だ。若い人たちが堀と疎遠になっていることが残念でならなかった。この一言がきっかけで、堀干しを復活させる活動を始めた。

 公園での「堀干し」の体験イベントは、かつての冬の風物詩を子どもたちに知ってもらおうと、約10年前から開いている。今年は地元の小中学生約10人が参加した。

 胴長をはき、泥に足を取られながらも、水がなくなって姿を現したフナやコイなどを網を使って夢中ですくっていた。魚の「避難」が終わると、今度は泥だ。バケツですくってベルトコンベアのような機械を使って、堀の外の畑に上げた。

 町立大溝小6年の野口涼太朗さん(12)は、「いつもは、危ないから堀に近づいてはいけないと言われているけど、きょうは魚をいっぱい取れて楽しかった」と話し、笑顔を見せた。中村さんは子どもたちの様子に目を細めた。

 堀には現在、田んぼがなくなって全国的に希少となったタナゴ類などが生息している。【足立旬子】
 

個人の意見

今日、長年飼育してきたマブナが死んだ。
水槽を片づけたのに、無意識に水槽を見てしまい「もう、いないんだ」と感じる。

寂しい限りだ。