仕事が忙しくてblogもなかなか更新できず、ゼノブレ3のネタも溜まってたりしますが、
久しぶりに改めて「ぼくらの16bitエンズ・トリガー」を聴いて、ええなあと思ったのでその想いを綴ります。
ほんま大好きなんでCD化してください、sasakureさん。
だいたい曲を聴くときはその曲全体の世界観よりも、部分部分の歌詞が響いてそこからイメージが広がることが多い。
で、16bitシリーズはそういう箇所が特に多いんだよね。
かつちょっと厨二っぽさがあってグッと来たりもする。
もう感じたことを書いてしまええええ!
ということで、歌詞転載だらけ妄想全開で展開していきます、よ!
もしよければ↑リピート再生しながら読んでくださいな。
暗澹(あんたん)、不埒な空が落ちてくる
淘汰されてく
『ゲームの話さ?』
なんて、不快な 嘘をかき鳴らす?
いきなり出てくる「淘汰されてく」という言葉。
今、人間が淘汰されている最中である、そう感じているので気にかかる。
操作されてる
ヒトも意思も四肢もほら全て
人の意思って意外と自分の思い通りになっていないもので、
ちょっとした報道や広告、音楽なんかにコントロールされてしまいます。
特に最近は自分の感情すらコントロールされて生まれたものじゃないか?
なんて思ったりしたんですね。
簡単に言うと音楽は人の感情を揺さぶるので、
特定の揺さぶりと特定の事象を想像させる歌詞を組み合わせれば
特定の事象が発生した時に反射的に特定の感情を発せられるのでは?
なんて考えたりね(笑)
嗚呼、目眩が日々を置いてゆく
淘汰されてく
セイギもギセイもまた ひとつゲームが始まり、終わってく
操作してゆく
ヒトも意思も四肢もほら全て
改めて気づいたセイギとギセイのアナグラム。
正義って一方的なもので必ず犠牲がついてまわるなあなんて。
そして一部の人間にとっては正義の名の下に行われる戦争はゲーム。
また始まり終わっていく。そしてヒトを操作していく。
どれだけの愛が消えるのだろう?
どれだけの愛を消すのだろう?
仲間を“置き去り”にしてただ一人で
奔(はし)る、この表情(かお)なんて
見せられたもんじゃ無いな
さて、kafさんの「愛」の定義は「大事に感じること」。
どれだけの大事に感じるという想いが消えていくのだろう
それをどれだけ消すのだろう。
そうして仲間を大事に想うこともなく仲間を捨て
ただ一人で奔走するそんな表情は人に見せられるようないい顔じゃないだろうね。
終末を謳(うた)う ぼくらの16bit銃爪(シックスティーンビットトリガー)。
聞こえるか?守りたいものの叫びが!
ざわめく感情も失った愛も全部
“置き去り”にでも出来たら善かったのさ!
で、サビでこれ。
あんなこと言っておいて、これ。
「守りたいものの叫び」が聞こえるんだろうね、たぶん。
だから感情もざわめくし、失ったはずの愛があることも感じて辛いから
「“置き去り”にでも出来たら善かった」なんて思っちゃうんだろうね。
終末を謳う ぼくらの16bit銃爪。
涙も枯れる程 イデアに蝕(の)まれて
止め処亡く 放射される 命の銃爪。
運命さえ“操作する”事がいま出来たのなら!
イデア…難しいやないかい!
これはちょっと表現できないので個々の感覚で感じるとして(笑)
運命さえ操作したいという強い思いを感じるのだ。
嗚呼、不甲斐ない エゴを見失う
淘汰されてく 仲間も秩序も
なんて、不正だ Z(なに)も解らずに
操作されていた
エゴを見失うっていうのはkaf的には割と響く言葉で
エゴ=エゴイズムと解釈されやすいんだけど、これはエゴ=自我だと思う。
で、自我を見失ってしまっているんだよね。
これって今の世界に多く見られて、かつ自我をなくさせたい人達もいると感じるから
この辺から凄く自分に響いてくるんだよ。
そして、なんてことでしょう!
仲間も秩序も淘汰され、何も解らずに操作されてしまっていたなんて!
そしてZがなぜ「なに」なのかがわからない。
関係ないけどZ世代のZの意味がわからない。
ということでWikipediaから。
Z世代(ゼットせだい)、ジェネレーションZ(英: the generation Z)とは、アメリカ合衆国をはじめ世界各国において概ね1990年代中盤から2000年代終盤、または2010年代序盤までに生まれた世代のことである[1][2]。生まれながらにしてデジタルネイティブである初の世代である。Y世代(ミレニアル世代とも)に続く世代であることから「Z」の名が付いている。
続き
イデアの波に蝕まれていた
アルトとエゴが交差していた
イデアの波に蝕まれていた
アルトとエゴが交差していた
アルトというのはなんじゃ?となるんだけど、ネットで見た解釈ではアルトイズムではないかと。
[altruism]利他主義.愛他主義.愛他心.利他的行為.オルトルイズムともいう.⇔エゴイズム.
ここではエゴと対になるもの、つまり「自我以外」と解釈かなあ。
で、このフレーズは「ぼくらの16bit戦争」との繋がりを意識させる(その後と思わせる)
ためのパートかなあと。
これがあるから16bit戦争のイメージも重なってこの後盛り上がるんだよね。
ちなみにエンズトリガーは人、16bit戦争は機械側の曲かな?と思える。
で、この辺で流れるピアノリフは「ワンダーラスト」との繋がりをイメージさせる。
(以前の記事でも書いたけど)
一度この辺を纏める妄想がしたいかな。
終末を謳う ぼくらの16bit銃爪。
聞こえるか?叩きつける鼓動が!
終末を足搔いて喚く硝子の雨に
かき消されそうになっても、まだ―
「終末を足搔いて喚く硝子の雨」は終末感のある中足掻いて足掻いて
戦闘が激しく描写かな?と思うんだけど、「叩きつける鼓動」、
これは命の鼓動、つまり心臓の鼓動なんじゃないかな?
だから戦闘の激しさに命の鼓動が「かき消されそうになっても」
尽きずに鳴らし続ける!
終末を謳う ぼくらの16bit銃爪。
創られた機械(もの)が愛を謳う星で
忙しない世界に抗い、終わらせようか
現実と云う、理不尽なゲームを!
「創られた機械(もの)が愛を謳う星で」
もしも、この惑星でAIが世界を支配していたら!なんて妄想が…
この世界は忙しなく、現実は理不尽だと感じている人も多いかもしれませんね。
そんな中、強いエゴが「終わらせよう!」と強い衝動として出てくる!
終末を謳う ぼくらの16bit銃爪。
聞こえるか?守りたいものの叫びが!
終末を足搔く 少年は宙を仰ぐ
運命さえ“操作する”うたがそっと響いていた
最後の大サビで再び出てくる「聞こえるか?守りたいものの叫びが!」
ここで守りたいものの叫びを聞いて足掻く。
そこにそっと響いてくる「運命さえ“操作する”うた」…
結末がどうなったか。
そこまでは全く想像はできないけど、なんとなくバッドエンドではないんだよね。
たぶんこの「うた」はワンダーラストのうた。
「終わらないうたを歌おう。ボクが終わってしまう前に」
とは言え終末だからなあ。
でも、終末=バッドエンドじゃないよね。
なんかとりあえず感じたことを書けた。
かなり出し切った気がするぞ!
