ゼノブレ3の各話毎に纏めていこうと思っていたけど、
忙しくて毎回まとめているとプレイする時間が無くなるということで
ストーリーをちまちま進めていました。
やはり本作は生きることに対する考え方がいろいろと詰まっており
その辺を考えたことがある人には響く箇所が多いんじゃないかな?
と思います。
ということでプレイしながら感じたことをダラダラと。
サブタイトルは適当につけたものです。
(注:ネタバレちょいとポロリもあるよ!)
「アクヤク」
「メビウスたちは酷い」という話に対し、
リクがそれはアクヤク、つまり悪い人と返します。
それを聞いたマナナが「じゃあノア達も人を殺しているからアクヤクも?」と。
「それは仕方なく…」「仕方なければアクヤクじゃないも?」
善や悪はある価値観での位置づけにすぎずそれは一方的ではないんですよね。
まあ、よく言われる話ではあるんですがゼノブレ3で出てきて、おおっ!となりました。
「行きつく先は自死」
上の話の続きだったかもしれないけど、
「自分が悪い」そう考えることの行きつく先は「自分さえ居なければ良い」
という話が出てくる。
これには「今の世界は良くない」「今の世界はもういやだ」という考えも
セットである必要はあると思うんだけどね。
全て自己責任論が嫌いだっただけに、この話は強い印象を残すことになりました。
「敵とは」
ランツがリクに自分もノアのような強力な力が欲しいと言い出し、
それはヨランを倒すためかと聞かれて言葉に詰まるランツ。
なぜそのような力が欲しいのか?「ヨランは敵だから」
どうして敵と言えるのか?ヨランがそう言ったのか?
またもやランツは言葉に詰まる。
敵というのも自分がそう決めているだけ、話し合わないことにはわからないよなあ、と。
ただ、味方の顔をして命を奪いにくるヤツもいるわけで、難しいよね。
そこは自分の命を奪おうとする行為には徹底的に抗うということで良いのかも。
「永遠の今と託す想い」
ゼノブレ3のテーマなのかな?
メビウス(∞:永遠)とウロボロス(尾を喰らう蛇、螺旋構造を上から見ているという説がある)
という対比で表しているけど、自分が望む世界にループを繰り返して留まり続けるのか
未来へ思いを託しつつ未来へ未来へと進むのか、本当に人としてありたいのはどの姿?と問われているような。
NはMといつまでも一緒に居られることを望んで「永遠の今」を選択してしまった。
でもMは永遠でなかったとしてもNと共に生きることができ、
二人の想いを未来へ繋ぐことができれば良かった。
本音を言えばもっと共に生きる時間があれば嬉しい。
でも、時間が永遠でないことを知っているし、哀しみがあることも知っているから
その中で得られる共に生きる喜びと想いを未来に繋ぐ喜びを感じられるのだろうとも思う。
「永遠の今」を望むことは「未来へ繋ぐ想い」を閉ざすことにもなるんだよね。
とは言え、そんな一度切りの人生に不満を感じ、何度もやり直せる人生を望む者もいるし、
何もしないで静かに人生を終えたい人もいるし、未来のために命を懸ける人もいる。
どれが正しいと言うことはできないけど、未来に想いを繋ぐ生き方が俺は好きだ。
他にもコロニータオの話も書きたかった気がするんだけど
4話~6話は展開も激しく内容も濃かったので(ムービー長すぎだし)
このへんで終わっておこうかな。
しかし魔剣(だっけ?)「ラッキーセブン」絡みのエピソードはアツい。
そこには当然リクが絡んでくるんだけど、リクかっこよすぎやで。
「ノアはまだラッキーセブンを抜いていないも」