今日はカフカの誕生日昭和7年、日本で最初にカフカの論文を書いたのが、岡村弘! | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

「絶望名人カフカ」頭木ブログ

『絶望名人カフカの人生論』『絶望読書』『絶望図書館』、NHK『絶望名言』などの頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)です。
文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

今日はカフカの誕生日🎂

 

昭和7年、日本で最初にカフカの論文を書いたのが、岡村弘。

 

✍️「作家達にとっては彼等の明日の道を示してゐる作家でさへあるかも知れない」

 

と先見性が凄い!

 

昭和7年(1932年)は、カフカが亡くなって、わずか8年後。びっくりするほど早い。

岡村弘は、東京帝国大学文学部独文科。

卒論にカフカを選んだら、教授たちの不興を買い、2年ばかり就職にありつけなかったらしい。

ちなみに、カフカが日本で本格的に読まれるようになったのは、戦後のこと。

 

なお、カフカの『審判』を『訴訟』と訳したのは私が最初と思っていたら、昭和7年のこの論文の中で既に岡村弘が『訴訟』と訳していた。