カフカの未発表の原稿が公開に!? というニュースが! | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

私は気づいていなかったのですが、

親切な方から教えていただきました!

 

「カフカの未発表の原稿が公開されるかも」

というニュースが出ています。

(今のところ日本のサイトにはまだ記事がないようです)

https://www.theguardian.com/books/2019/apr/17/unseen-kafka-works-may-soon-be-revealed-after-kafkaesque-trial

 

 

この件は、そもそもどういうことかと言うと、

カフカは「自分の遺稿はすべて焼いてくれ」と、

親友のブロートに頼んだわけですが、

ブロートはそれを焼かずに保存し、出版しました。

この件についてはこちらに。

 

ブロートはナチスがプラハに侵攻してくる、その前夜に、

カフカの遺稿をトランクに詰め込んで脱出します。

まさに危機一髪でした。

カフカの作品はナチスの「有害図書」のリストに入っていたので、もし見つかっていたら焼却されていたでしょう。

 

(ちなみに、カフカの遺稿のすべてをブロートが持っていたわけではなく、最後の恋人のドーラが、カフカに言われるままに焼却してしまったものもあります。ブロートの場合とは逆に、カフカの原稿を焼いたことで、ドーラは非難されました。

 また、最晩年の原稿は、ゲシュタポに押収されてしまい、それは行方不明のままです)

 

ブロートは、亡くなるときに、自分の女性秘書に、

「カフカの原稿は、自分の死後、

 すべてイスラエルの大学か公的機関に寄贈するように」

と遺言しました。

しかし、この遺言もまた守られず、

この女性秘書は原稿を自分で持っていました。

 

そして、この女性秘書は原稿の一部を売却します。

1988年、『訴訟(審判)』の生原稿が、

ロンドンのサザビーズで競売にかけられ、

20世紀文学としては最高の約2億5千万円で落札され、

1990年、西ドイツでついに公開されました。

 

『訴訟(審判)』はすでに出版されていた作品ですが、

それはブロートが編集したもので、

カフカの生原稿は、

研究者たちでさえ、一度も目にしたことがなかったのです。

 

じつは、私のいちばん最初の本は、

この生原稿から、初めて日本語に翻訳したものです。

 

その女性秘書はなんと101歳まで長生きするですが、

2008年に亡くなった後、

原稿は、この秘書の二人の娘が相続します。

 

この二人の娘は、原稿をイスラエルとスイスの銀行の貸金庫に保管し、

その一部をコレクターに売却していたと言われています。

それも、キロ○円というふうに、重さで売っていたとか……。

(カフカの遺稿が、区分の難しい、断片的な草稿であったからでしょう)

もしそれが本当なら、それらの「コレクターに売られてしまった遺稿」は、もう簡単には世の中に出てこないかもしれません……。

 

そして、2009年、裁判が始まります。

イスラエルが、ブロートの遺言通りに、原稿を渡すよう要求し、

秘書の娘たちは「原稿はブロートから自分たちの母親への贈り物だった」と反論しました。

 

2016年8月に、イスラエル最高裁は、

「遺稿の所有権はイスラエル国立図書館にある」

との判断を下しました。

 

そして、イスラエルの銀行の貸金庫にあった原稿を押収し、

スイスの銀行の貸金庫にあった原稿についても、

今回、スイスの裁判所が、

イスラエルの最高裁の判決を承認した、

というのが、今回のニュースです。

 

裁判の開始から10年。

ついに決着がついたということなのでしょう。

 

その間に、秘書の二人の娘はすでに亡くなっていて、

原稿は孫娘が相続していたようです。

 

残る問題は、

イスラエル国立図書館が、

原稿を、どの程度、どのように公開してくれるのか、

ということです。

 

以前は、
web上で公開するという意向でしたが、

すべての原稿が、

そうやって公開されるといいですね!

 

それを翻訳する場合は、どうなるんでしょうね?

パブリック・ドメインになるといいのですが。

 

さて、いつ、どういう原稿が、まず公開されるでしょう。

待ち遠しいですね。