私は気づいていなかったのですが、
親切な方から教えていただきました!
「カフカの未発表の原稿が公開されるかも」
というニュースが出ています。
(今のところ日本のサイトにはまだ記事がないようです)
この件は、そもそもどういうことかと言うと、
カフカは「自分の遺稿はすべて焼いてくれ」と、
親友のブロートに頼んだわけですが、
ブロートはそれを焼かずに保存し、出版しました。
この件についてはこちらに。
ブロートはナチスがプラハに侵攻してくる、その前夜に、
カフカの遺稿をトランクに詰め込んで脱出します。
まさに危機一髪でした。
カフカの作品はナチスの「有害図書」のリストに入っていたので、もし見つかっていたら焼却されていたでしょう。
(ちなみに、カフカの遺稿のすべてをブロートが持っていたわけではなく、最後の恋人のドーラが、カフカに言われるままに焼却してしまったものもあります。ブロートの場合とは逆に、カフカの原稿を焼いたことで、ドーラは非難されました。
また、最晩年の原稿は、ゲシュタポに押収されてしまい、それは行方不明のままです)
ブロートは、亡くなるときに、自分の女性秘書に、
「カフカの原稿は、自分の死後、
すべてイスラエルの大学か公的機関に寄贈するように」
と遺言しました。
しかし、この遺言もまた守られず、
この女性秘書は原稿を自分で持っていました。
そして、この女性秘書は原稿の一部を売却します。
1988年、『訴訟(審判)』の生原稿が、
ロンドンのサザビーズで競売にかけられ、
20世紀文学としては最高の約2億5千万円で落札され、
1990年、西ドイツでついに公開されました。
『訴訟(審判)』はすでに出版されていた作品ですが、
それはブロートが編集したもので、
カフカの生原稿は、
研究者たちでさえ、一度も目にしたことがなかったのです。
じつは、私のいちばん最初の本は、
この生原稿から、初めて日本語に翻訳したものです。
その女性秘書はなんと101歳まで長生きするですが、
2008年に亡くなった後、
原稿は、この秘書の二人の娘が相続します。
この二人の娘は、原稿をイスラエルとスイスの銀行の貸金庫に保管し、
その一部をコレクターに売却していたと言われています。
それも、キロ○円というふうに、重さで売っていたとか……。
(カフカの遺稿が、区分の難しい、断片的な草稿であったからでしょう)
もしそれが本当なら、それらの「コレクターに売られてしまった遺稿」は、もう簡単には世の中に出てこないかもしれません……。
そして、2009年、裁判が始まります。
イスラエルが、ブロートの遺言通りに、原稿を渡すよう要求し、
秘書の娘たちは「原稿はブロートから自分たちの母親への贈り物だった」と反論しました。
2016年8月に、イスラエル最高裁は、
「遺稿の所有権はイスラエル国立図書館にある」
との判断を下しました。
そして、イスラエルの銀行の貸金庫にあった原稿を押収し、
スイスの銀行の貸金庫にあった原稿についても、
今回、スイスの裁判所が、
イスラエルの最高裁の判決を承認した、
というのが、今回のニュースです。
裁判の開始から10年。
ついに決着がついたということなのでしょう。
その間に、秘書の二人の娘はすでに亡くなっていて、
原稿は孫娘が相続していたようです。
残る問題は、
イスラエル国立図書館が、
原稿を、どの程度、どのように公開してくれるのか、
ということです。
以前は、
web上で公開するという意向でしたが、
すべての原稿が、
そうやって公開されるといいですね!
それを翻訳する場合は、どうなるんでしょうね?
パブリック・ドメインになるといいのですが。
さて、いつ、どういう原稿が、まず公開されるでしょう。
待ち遠しいですね。