カフカと中島敦に関する覚書き | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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『絶望名人カフカの人生論』『絶望読書』『絶望図書館』、NHK『絶望名言』などの頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)です。
文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

日本の作家で、
カフカに近いと言われるのは、
安部公房でしょう。

しかし、その資質は大きく異なっています。
ぜんぜん別のタイプと言ってもいいくらいです。

そもそも、現代文学の作家で、
カフカの影響を受けていない人はほとんどいないわけで、
安部公房はとくにその影響が濃いということでしょう。

日本の作家で、
カフカにいちばん近いのは、
中島敦だと思います。

中島敦は、『絶望名人』でも書きましたが、
日本で最初期にカフカを翻訳した人でもあります。

その中島敦の、カフカとの関わりについて、
ちょっと書いておきたいと思います。
自分用のメモでもあります。

大阪大学大学院文学研究科の
「待兼山論叢 第37号 2003年 文学編」
「ツシタラは死なず ──中島敦のカフカ受容についての覚書き」三谷研爾
という論文からの情報です。

カフカの遺稿集の『万里の長城』が、
ドイツで出版されたのが1931年。
その英訳が出たのが1933年。
その英訳を中島敦が読んでいたのが、
1934~36年の時期であったようです。

中島敦の友人で、後に『中島敦全集』を編纂した、
東大名誉教授の氷上英庚によると、
中島敦は、『城』の英訳も読んでいたとのこと。

氷上英庚はドイツ文学者ですが、
それでもまだカフカの名前は耳にしたことがなかったそうです。
世界的なカフカブームはまだ起きておらず、
カフカの名前は、ドイツ文学の研究者の間でもまだあまり知られていなかったのです。

そんな早い時期に、中島敦は、すでにカフカに注目しています。
『狼疾記』の中で、カフカの『巣穴』についてふれ、
カフカの『罪、苦痛、希望および真実の道についての考察』の翻訳を試みています。

そして、中島敦の読んだ英訳には、
じつは、かなりとんでもない解説がついていました。


「カフカの全作品がかかわっている問題は、道徳的かつ精神的なものだ。
(中略)
 共同体における人閣の真の住置は最終的には、
 世俗的な法によってではなく、神的な法によって定められる。
 そして人聞は(中略)神から指示された佐置にいることを自覚したときにのみ、
 あるべき人生を生きることができる」

訳者による、こんな前書きがついていたのです。

中島敦もこの前書きは読んだでしょうし、
当時は、この前書き以外には、
カフカに関する情報はいっさいありませんでした。

にもかかわらず、
中島敦は、こうした宗教的な解釈に、まったく影響を受けていません。
極めて純粋にカフカの作品を読んでいます。

「此の作者は何時もこんな奇髄な小設ばかり書く。
 諌んで行くうちに、
 夢の中で正佳の分からないもののために脅されてゐるやうな気持が
 どうしても附織ってくるのである」

と中島敦は書いています。

作家と作家の、作品と読者の
素晴らしい出会いがここにあるように思います。