読売新聞の「本よみうり堂 著者来店」の記事がネットにも掲載されました! +ちょっと弁解 | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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『絶望名人カフカの人生論』『絶望読書』『絶望図書館』、NHK『絶望名言』などの頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)です。
文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

読売新聞の「本よみうり堂」
「著者来店」の記事が、
ネット上にも掲載されました。
ありがたいことです。

http://www.yomiuri.co.jp/book/raiten/20120116-OYT8T00853.htm?from=yolsp

とてもいい記事で、
その点でもありがたいことです。
記者の方は、じつに熱心に話を聞いてくださいました。
とても感謝しています。

……

ただ、私自身の発言が、
ちょっと舌足らずでした。

「自分以上に絶望している言葉を読むと、まだまだ底はあるぞ、と思って元気が出た」
と私は発言しています。

これに対して、Twitterのほうで、こういうつぶやきがありました。

「自分より絶望しているカフカに希望をもらうらしい。
 そんなわけで不幸な人間が必要なわけね。
 不幸な人間を踏み台に、みな生きていけばいい」

私の発言の仕方では、
こう誤解されるのも無理はありません。

他にもこんなふうに思われた方がいらっしゃるかもしれないので、
ちょっとだけ弁解させてください。

この言葉の真意ですが、
カフカの絶望っぷりというのは、
本当に名人レベルで、
突き抜けているのです。
とても私なんかの半端な絶望では及びもつきません。
その突き抜け方があまりにスゴイくて、
笑ってしまうほどで、
とても救いになるのです。
これはちょっと説明が難しいのですが、
読んでいただければ、すぐにわかるはずです。

決して、
自分よりもカフカのほうが不幸で、
「自分よりも不幸な人がいる。
 自分はまだマシだ」
と思って安心する、ということではありません。

だいたい、カフカは不幸ではありません。

私は自分が難病になったときに、愛読していたわけですが、
カフカは自分では病弱と言っていますが、
じつはそうとう健康です。
水泳したりボートを漕いだり、元気いっぱいです。
最終的には結核になりますが、
それはカフカ自身も言っているように、自分で引き寄せたものです。
難病でベッドの上の自分からすれば、
カフカのほうが不幸とはとても思えません。

カフカは会社でも出世しています。
就職も無理と言われた私からすれば、
カフカのほうが不幸とは思えません。

その他の点でも、
裕福な家庭に生まれたり、
親友にめぐまれたり、
女性にモテたり、
カフカの人生は決して不幸ではないのです。

たしかにカフカは生きている間に有名になれませんでした。
それはとても不幸なことです。
でも、
「生きている間に世界的に有名になれなかったら、
 自分よりカフカのほうが不幸だ」
と私に思えるわけがありません。

ですから、カフカのほうが不幸で、安心するなんことは、
とてもできるわけがありませんし、
まったくちがうのです。

では、カフカはなぜそんなに絶望していたのか?
他の人から見れば、じつはうらやましいくらいの人生かもしれません。
それでもカフカが絶望していたのは、
カフカがあまりにも過敏であったからです。

私はあとがきの中でカフカを「坑道のカナリヤ」に例えましたが、
誰も苦しまない段階で、カフカだけは苦しむのです。
カネッティという作家はカフカについて、こう言っています。
「一見ごく平凡な事態にあっても彼は、
 他の人たちがその破壊の仕業によって初めて経験できることを
 経験したのである」
「大多数の人たちとは言わないが、
 多くの人たちが無力なのだ。
 しかしカフカは己が無力をたえず意識していて、
 他の人たちがまだ安全だと思っているところでそれを感じていた」

そのような鋭敏さを持ったことは
不幸と言えなくもないかもしれませんが、
それこそがカフカの書く力のもとであり、
カフカ自身も、
「ぼくの弱さ──もっともこういう観点からすれば、じつは巨大な力なのだが──」
と言っています。

今回の本を読んで、
カフカを踏み台にできる人などいないと思います。
絶望しているときに、
いっしょに絶望してくれる、
自分以上に絶望してくれる、
ありがたい友なのです。

共感して泣いたとしても、
あきれて爆笑したとしても、
いずれにしても、
みんなきっと、
カフカのことを好きになるのではないかと、
そう思います。