カフカ自身による、自分の作品に対する言葉 | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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『絶望名人カフカの人生論』『絶望読書』『絶望図書館』、NHK『絶望名言』などの頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)です。
文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

昨日は「カフカをめぐる 作家たちの言葉」をご紹介しましたが、
今日はカフカ自身による、自分の作品に対する言葉を引用してみたいと思います。


『変身』に対するひどい嫌悪。
 とても読めたものじゃない結末。
 ほとんど底の底まで不完全だ。
 当時、出張旅行で邪魔されなかったら、
 もっとずっとよくなっていただろうに……。
(日記)


 ぼくの生活は以前から、
 書く試み、それもたいてい失敗した試みから成り立っていました。
 書かないときは、
 ぼくは床に横たわり、箒で掃き出されて当然といった状態になるのでした。
(日記)


 ぼくの生活はただ書くことのために準備されているのです。
 時間は短いし、
 体力はないし、
 勤めはおそろしく不快だし、
 住居は騒がしいし、
 快適でまともな暮らしができないなら、
 トリックでも使って切り抜ける道を見つけるしかありません。
(日記)


 ぼくはじつを言うと、
 物語ることができない。
 それどころか、ほとんどものを言うこともできない。
 物語るときはたいてい、
 初めて立ち上がって歩こうとする幼児のような気持ちになる。
(日記)


 とにかく作品そのものは、
 底の知れない悪作です。
 その悪作である理由を一行ずつ証明してあげることもできます。
(ミレナへの手紙)


 文学者としてのぼくの運命は、非常に単純だ。
 夢見がちな内面生活を描写することが人生の中心となり、
 他のすべてのことを二の次にしてしまった。
 ぼくの生活はおそろしくいじけたものになり、いじけることをやめない。
 内面生活の描写以外、他のどんなことも、ぼくを満足させられないのだ。
 しかし今や、描写をするためのぼくの力は、まったく当てにならず、
 おそらく永久に失われてしまったようなのだ。
(日記)


昨日の「カフカをめぐる 作家たちの言葉」と比べると、
あまりにも対照的ですね。