カフカの言葉遣い(2)同じことは同じ言葉で | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

作家のクンデラがこういうことを書いています。

「トルストイが skazal (『言った』)と書いているところで、
 翻訳では
『発言した』
『言い返した』
『繰り返した』
『叫んだ』
『話し終えた』
 その他が用いられている。
 翻訳者は同義語がほんとうにお好きである。
(私は同義語という概念そのものを否定する。
 一語一語が固有の意味をもっており、
 意味の置き換えができないからだ)」

なぜこういうことが起きるかというと、
「同じ言葉をくり返さないほうが、いい文章」
というひとつの美意識があるからです。

たとえば、原文が、
「あっちを見て、こっちを見て、そっちを見た」
だったとすると、つい、
「あっちを見て、こっちを眺め、そっちを見詰めた」
とやってしまいたくなります。
そのほうが美しい文章に感じられるからです。

逆に言えば、
「あっちを見て、こっちを見て、そっちを見た」
のままだと、なんだか小学生の作文のようで、
「翻訳がよくない」などと言われてしまいそうだから、
ということもあるでしょう。

この美意識自体の是非は別にして、
作者が同じ言葉を使っている場合には、
同じ言葉を使うべきというのは、
基本的にはそれはそうでしょう。

同じ言葉をくり返すことには、
さまざまな効果もあります。
ひとつには、リズムが生じますし、
くり返される言葉は印象に残りますし、
わかりやすくもなります(同じことをいろんな言葉で言うよりも)。

「フェンテスの散文の美しさは語彙の豊富さと結びついているが、
 ヘミングウェイのそれは語彙の限定と結びついているのだ」(クンデラ)

そして、カフカの場合は、
完全に後者です。
前回述べたように、カフカは、
日常生活で誰でもが使うような言葉しか使いません。
美文調ではなく、
ストイックな文章の中に、
新しい美しさがあります。

そして、
“同じことは同じ言葉で”ということが、
とくに言えます。

たとえば、
「彼女はなにかを探していた、そして彼は何かを探していた」
という言い方をします。
「彼女はなにかを探していた、そして彼のほうもまた、同じだった」
とは言いません。

じつはこの“同じことは同じ言葉で”というのは、
世界中の昔話に共通するルールなのです。
それはいったいどういうことなのか?
次回、書いてみたいと思います。