東京での取材のとき、
「言葉遣いがとても易しいが、
これも超訳なのか?」
という質問もされました。
本当は難解な言葉を、わかりやすく簡単にしたのではないか、
ということです。
これも、じつは、そんなことはしていません。
もともとカフカの文章というのは、
とても易しい言葉ばかりでできているのです。
たしかクンデラだったと思いますが(出典を忘れましたが)、
カフカは役所で使うような言葉しか使わない、
「役所で使う言葉で、詩を書いたのだ」
というようなことを言っていました。
そこがスゴイところだと思います。
カフカ自身も、ヤノーホという若者に、
「詩人は……読者に馴染み深い、一見平凡極まる言葉を使うのです」
と言っています。
(ヤノーホの聞き伝えですが)
曖昧な表現や情緒的な表現も使いません。
「カフカは合理的で論理的な日常語に終始する」(エムリヒ)
しかし、
「この方法を通じて彼は非凡な詩的効果を達成しえたのであった」(ナボコフ)
今回、訳す上で、
易しい言葉遣いするように心がけました。
でも、それは超訳ということではなく、
カフカがそういう言葉遣いをする人だからなのです。
せっかくのカフカの易しい言葉遣いを、
難しい言葉にしてしまわないよう気をつけただけです。
たとえばカフカは、決して次のような文章は書きません。
「呪術の致命的欠陥は、法則によって決定される現象の因果的連鎖についての全体的な想定のうちに存するのではなくて、その因果的連鎖を支配するところの特殊な法則の性質に関する全体的誤認のうちにある」
(ネットで「難しい文章」で検索して出てきた言葉です。
フレーザーという人の言葉だそうです)
カフカは難解と思われがちですが、
少なくとも、言葉遣いに関しては、
まったく難しくないのです。