シン・ウルトラマン、シン・仮面ライダーの先にシン・宇宙戦艦ヤマトはあるか | 波動砲口形状研究

シン・ウルトラマン、シン・仮面ライダーの先にシン・宇宙戦艦ヤマトはあるか

ウルトラマンが放送されたのが私が生まれる前のこと。私は幼稚園時代は仮面ライダーに夢中になったものの、ヤマトに感化されるやいなや毎回現れる怪獣、怪人をヒーローが倒すフォーマットを子供っぽいと切り捨てる生意気な小学生になった。そのくせ大人になって同じフォーマットのエヴァに熱中したのだから救われないのだが。

 

ともあれそういう事情でウルトラマンに対する思い入れは何もなく、映画に登場する怪獣の元ネタも全然知らない私がウルトラマンを見るとどうなるかというと、劇中ずっとブンッ、ブンッという音が聞こえる。

 

これが何かというと、「長年のファンの皆さん、あなたが見たかった懐かしのあのシーンやあのプロットをほら、こんなにド直球に、あるいはこんなに洗練した形で、お見せしちゃいますよ」という作り手のサービス精神がことごとく空振りになる音だ。

 

フェチにおもねる描写にも乗れず、山本耕史の「私の好きな言葉です」も初回から「あ、これでコスるつもりだな」と身構えてしまうともう、自分に届くものが何もない。

 

こうなると肝心のテーマ、物語の本筋というべきところが頼りなのだが、そこで上滑りがある。それに関してはこの方が言語化してくれている。だから私の感想はこの方の感想からウルトラマンへの思い入れ部分をバッサリ削除したらほぼそのままというような感じだ。

 

そのうえで、本題。来年にはシン・仮面ライダーが公開される。

庵野秀明はヤマトもシン化し、自分のオタク人生の総決算をしようとするだろうか。

 

私はずっと「してほしい」と思っていたのだが、シン・ウルトラマンを見ての今の時点での気持ちとしては、「うーん、べつにいいかも…」に傾いている。

 

映画開始早々、「シン・ゴジラ」のタイトルが現れ、それを突き破るように「シン・ウルトラマン」のタイトルが現れる。ついで、突如日本に連続して現れるようになった怪獣との数々の苦闘を経てカトク隊の創設に至る経緯が駆け足で紹介される。このように映画の冒頭はシンゴジラからウルトラマンへとつなげるブリッジといえる構成だ。

 

もしこの調子でシン・仮面ライダーが他の“シン”との繋がりを示唆する設定を与えられているならば、庵野秀明がオタクとしての自分を生んだすべてを今度はシン庵野ワールドの要素として吞み込み返そうとしていることになる。そうなると、シン・ヤマトもその流れから免れないことになるが…

 

そんなことしなくていいよ?

 

まあシンヤマトが妄想でしかない現時点でそんな心配をしても本来しょうがないのだが、次の懸念。

 

地上波エヴァの優れたところは、視聴者の情動を悲喜こもごも盛り上げる、その上手さにあった。私にとっては無印のヤマトもこの情動の盛り上がりによって忘れられない存在になった作品だ。

 

ところがシンゴジ、シンエヴァと連続して私はこうした物語に酔う経験をしていない。先に述べた上滑りによってそこにシンウルトラが加わった。

 

仮にシンヤマトがつくられたとしても、一番大事で一番期待したいところが自分に響かないとなると、2199とあまり変わらないことになる。

 

まあ、シンライダー次第では手のひら返しでやっぱりシンヤマトやってほしい、妄想がはかどるなあ、もあるかもしれないわけで、このあたりはまだ今後のお楽しみということにしたい。

 

来月にはククルスドアンですな。ここ数年ほんとすごいことになってるなあ。そしてこういう1エピソード切り取りでの映画化もありなんだという事実がね。なんかほら可能性の広がりをね。