漁港の肉子ちゃん | 波動砲口形状研究

漁港の肉子ちゃん

「薄情もんが田舎の町に後足で砂ばかけよるって言われてさ
出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ」

中島みゆきの「ファイト」の歌詞は、日本の田舎の陰湿な残忍さを刃のように突き付けてくる。

創作物に現れる田舎、地方はしばしば極端な描かれ方をされる。

極端の片方がこの「ファイト」のような、昔ながらの人間関係、上下関係に縛られ、排他的で、不自由さに満ちたディストピア。

そして反対の極端が豊かな自然、暖かい人々、古き良き風習で都会から落ち延びて来た人をやさしく包むユートピアだ。

地方で生まれ育った私のような人間が時々創作物に感じる違和感のひとつなのだが、まあ遠くの地にこことは大分違うユートピア、あるいはディストピアがある、とというのは、人間が抱きやすい世界観なのかもしれない。山のあなたの空遠く、というやつだ。

「漁港の肉子ちゃん」はユートピア譚の方だ。舞台は日本海側の小さな漁港ということになっているが、著者は東日本大震災で被災する前の石巻を旅した際にこの物語の着想を得たという。

かつての石巻の町並みは津波で押し流されてしまい、距離だけでなく、時間的にも過去という遠く隔たった存在になった。こうなるとユートピアとして描かれるのはもはや必然だ。

主人公は漁港の焼き肉屋で働くお母さんの肉子ちゃんと娘のキクりん。

物語はキクりんの目線で語られる。周りの大人は皆やさしいが、思春期を迎えているキクりんの日常はなかなか平穏ではない。

二人が東京からこの漁港に流れ着いた経緯。

クラスの女子たちの勢力争い。

唐突に変顔をする謎の少年。

「皆殺しの日ィー!」と叫ぶペンギン。

ゆらぐキクりんの心を、この物語におけるもうひとつの理想の存在である、どこまでも明るく、人の良い肉子ちゃんが支える。
 

海は時として荒れるが、やがては凪いで陽光が差す。そんな物語だ。文章もユーモラスで楽しい。素直にファンタジーを楽しむつもりで読むべき小説だ。

 

私のように、そんな理想の田舎ってそうないよなあなどというひねくれた目線をもってはいけない。

 

この本、いつの間にか家にあったので読んだのだが(嫁さんが買っていたらしい)読んだ後映画の宣伝を見たら謎の少年二宮君が二枚目に描かれていてびっくりした。あの二枚目顔じゃあ小説での奇行は大分マイルドに変えられてるんだろうなあ。