間質性肺炎の父(番外編その2) | 人間万事塞翁が馬

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~単身赴任中の夫と、こども3人を育てる、40代専業主婦のブログ~
2022年にアメブロを開始して少しの記事をアップしましたが、介護や育児に追われて更新できずにいました。2024年これから本格的に更新していこうと思います。2022年にアップしたブログは一旦削除しました。

間質性肺炎の父をみていている中で、感じたこと、得た事で【感染症予防】【食事】について、少しまとめたいと思います。

 

*お願い*

私は患者でもなく医療従事者でもありません。

あくまで患者である父を見守った家族の視点からまとめた個人的な意見であることをご了承ください。一切の責任は負いかねます。

 

 

◆感染症予防◆

コロナなど感染症は命取りです。

父は孫(私の子どもたち)を溺愛していました。孫と一緒に過ごす時間は幸せそうでした。しかし私の子どもたちが少しでも鼻水や咳の症状がある時は、父と過ごさせないようにしていました。子どもたちに風邪症状がなくても、父が我が家に来るときはマスクをして過ごしていました。

私も、父に万が一でも風邪をうつしてはいけないと、とても神経を使っていました。コロナが少しでも感染増加傾向の時は、外出も自粛していました。子どもたちには、少し窮屈な生活だったと思います。

 

更に、免疫抑制剤を服薬していましたので、感染症予防は気を使っていました。

 

感染症にかからないようにと、コロナが流行し始めたときからずっと外食すらしていませんでした。

仕方なかったのですが。

 

本当に気が抜けない生活でした。

 

 

◆食事◆

筋肉の低下を予防する為に、タンパク質をとるように心がけていました。

食事は母が用意してくれていましたが、食事量が落ちてからは、とても気を使ってカロリーの維持、タンパク質を多めにしていました。デザートに父の好きなフルーツゼリーを作ったり。一回の食事でいろんなものが食べられるよう品数を増やして作っていました。母の支えは本当に尊敬に値するものでした。

 

体重が減少傾向になってきてからは、主治医の勧めで、病院の栄養指導を受けていました。

 

栄養指導では直近三日分の食事内容を用紙に記入し栄養士に提出します。栄養士はカロリーやたんぱく質量を計算して、補足分の補い方やメニューなどを指導してくれました。自分では接種できているようで計算してみると足りていなかったりするので、主治医の勧めで頻繁に栄養指導をしていただき、よかったと思います。

 

不足分のカロリーを高カロリー栄養食で補っていました。最初はフルーツフレーバーのドリンクやゼリーを接種していましたが、血糖値があがってきてしまい、栄養士さんのすすめで、「テルミール麦茶味」を飲んでいました。補食としてや、食後のデザートの代わりとしてです。私も試飲しましたが、香ばしい麦茶と牛乳を合わせたような味です。少し甘味もあります。

テルミール麦茶をつかったレシピも栄養士さんが教えてくれたりもしました。

 

のちに父が急性増悪で入院した際も、栄養士の方が病室を訪れてくれました。おかゆ→白米への変更や、入院中のテルミールの提供など、とても配慮してくれました。栄養指導の時の栄養士さんは毎回同じではありませんでしたが、頻繁に担当してくれた方がいて、良く父の愚痴を聞いたり、励ましてくださっていました。

有難い存在でした。

 

肺機能が落ちてくると呼吸回数、脈拍も多くなり、カロリーが必要になってきます。カロリーがとれないと、どんどん痩せていきます。

補助食品で不足分のカロリーを補うことは大切でした。

 

父はよくバナナなども食べいました。

朝食後のデザートでバナナ半分とヨーグルトはほぼ毎朝でした。

入院していた際も、医師に許可をとって、バナナをおやつや、食後に食べていました。

急性増悪を起こして入院していたので、暑い時期でしたので、大好きなメロン、桃、梨、スイカなどカットしたものをお見舞いで持っていくと、喜んで食べていました。

 

タンパク質が多めが良いというので、しばらくオイコスを食べていたのですが、少しすると軟便になってしまい、オイコスは食べなくなりました。結果的には時期的なものだったのか?オイコスのせいかのか?はわかりません。

 

酸素濃縮器で流量7でいれていても、頑張って食べていました。

亡くなる前の日の夜まで、頑張って食べていました。

救急病棟でCPAP(シーパップ)をMAXでいれていてもです。

吸入しながらでは苦しくて食べられなくなる人も多いそうですが、とにかく食事は頑張って食べていました。

食べないと元気になれないと思っていて、少し無理してでも食べている様子でした。