Uさんの居場所


この後、徐々にUさんは元のUさんに戻っていった。


食事は日によってムラがある、元気がいい日もあれば、少し落ち込んでいるように見える日もある、とはいってももう90歳を超えた彼女には体がきついと感じることもあるのだろう。


そう察して、無理せず、押し付けず、ご本人のペースで、そして最低限(またはそれ以上に)の栄養を取れるように、必要に応じて必要なことだけ、支援できていると感じていた。


そんなある日のことだった。


突然、先週のことである。

夜眠らない日があった。

次の日も、とてもテンションが高く、しきりに玄関を探し、玄関にたどり着いたら外へ行き、「どこか」を探して車を走らせた。

帰ってきても降りようとせず、まだ「どこか」に行きたいようにそわそわしていた。


やっとホームに入ってきても、なにやら落ち着かず、目が合うと

『いやーこんなところにきちまってナ・・・・・。大変だな』

とむしろ私たちを気遣う様子が感じられた。


彼女は若い頃、奉公に出ていたらしく、そのころに戻っているんじやないかと思うような言葉が聴かれていた。


その日の夜も、その辺のものをひっくり返して何かを探すなど、落ち着かない状態が続いていた。

でも切羽詰った様子ではなく、時折笑顔も見られいわゆる周辺症状といっていいものかどうか首をかしげた。


何が原因なのか、一所懸命考える。

いつも傍にいるスタッフには「これ」といって思い当たる節がないという。


何かの体調の変化の前兆なのか?

何かわからないが、Uさんの『身』に何かが起こっているのではないか?という変な勘が働いた。

『なんだろう?』


しかし翌日には何事もなかったかのように元に戻っていた。


そして、昨日のことだった。

その日のメール報告の内容を見てびっくりした。


Uさんが丁度眠れなかった日に、Uさんが一番かわいがっていた弟様が亡くなったのだという。

Uさんには伝えていないが、ご家族がスタッフへ報告してくれた。


これだ!!


きっとこのことに違いない。


勘があたった。


大好きなお姉さんに何かを伝えにきたのかもしれない。

大好きな弟に会いに行きたかったのかもしれない。


他の方でも、いままでにもこんなことはあった。

理由のつかない事実。

解明できない行動。


家族の絆。


家族の繋がり。


家族の愛。


そのときの想いを想像すると胸が熱くなる。


先週この素敵な赤レンガ庁舎で研修をしてきた。



グループホーム「花縁」物語


歴史を感じさせる環境の下、みんなが頭を凝らして考えたのが『ケアマネジメント』のことだった。


このとき、講師として参加させていただいた私には考えさせられることが多くあった。


グループホームでのケアプラン。


これを今一度整理してみてはどうだろうか?



今回みんなが習ったのはケアマネジメントの方法である。


それぞれが事例を持ち寄り、自分のケアマネジメント過程において振り返り、法の下適切なケアマネジメントを遂行することを学ぶ場であった。


グループホームというところは、『認知症対応型』なだけに、認知症による周辺j症状いわゆるBPSDへの対応、対処法を実践している場面が多いように思う。


どうしてそんな行動をとるのだろう?

どうしてそういったのだろう?

なにか困っているところはないのだろうか?


そんな風にいつもいつも考えて、無数のアンテナを立てて、関係ある情報を拾おう!気付こう!としているのである。


センター方式も結局はそういうことで、症状(発言)をクローズアップするところから始まっている。


その結果、グループホームのケアマネたちは症状の改善に終始してはいないだろうか。

症状が落ち着くプラン。

症状への対策プラン。


だからマネジメント論になると混乱してくるのである。


利用者の自立を支えるプランでなければならないのに、症状の緩和のためのアセスメントや対策を考えるだけにとどまっている。

そんなプランが多いような気がしたのである。


ケアプランはあくまでもご本人のものであり、ライフデザインだとも言われているのだから、ご本人がどんな人生の生活設計をしたいと思い、どうしたらそれが実現できるかの計画書でなければならない。


そうであるならば、症状の緩和はあくまでもその最低限必要な手段であって、本当は「生きる姿」が表現されていなければならない。

と思ったのである。


『生活介護』とついているのは、その部分なのではないのだろうか。


自分で自分のことが言えなくなって、または対処できなくなってしまうから、『今わたしはこうしたい』を実行できずにいることを、『支援』という形で手助けすることになるから、その人の通ってきた人生を知らなくてはいけなくなる、その上で今できること・できないことを知らなくてはいけなくなるわけです。


お年寄りが自分の人生を生きるための支援者としてのアセスメントなわけです。


だから、『生きること』が表現されるプランがいいのだと思うわけです。


症状の緩和は、あくまでもそのために支障となる部分だから必要なわけで・・・・・



BPSDの緩和と、生きること支援を混同しないように、きちんと分けて、目標を掲げたいものだ。


それをグループホームという専門職の集団の場で、意識し自覚していってはどうだろうか?!!


それが本当の意味での地域密着型サービスの目的ではないのかと思ったのである。


うちのつよしくん。


グループホーム「花縁」物語


先週の月曜日から体調を崩していた。


元気がなくて、ふらついて、食事を食べない。


便が軟くて、おなかがクルクル言っていて、全然吠えない。


私たちが家に帰っても、全然起きないし、全然喜ばない。


もう高齢犬だから、そろそろその時が近づいてきたのかと思ったりもした。



日に日に元気を取り戻しているようにも見えたけど、ちょうど狂犬病の予防注射もあったことだから、病院を受診してみた。


それに後ろ足の付け根に大きなこぶのようなものがあるのを発見したので見てもらうことにした。


そうしたら、まず便が軟いことと元気がないことに関しては、おなかを壊したことで不調になったのか、不調だったからおなかが下ったのか定かではないが、高齢犬なので季節の変わり目などの気温の変化がある時期は体調を崩しやすいらしい。

何を食べてもいいけれど、おかゆや脂肪分の少ないものなど、おなかにやさしいものをあげていればいいとのこと。

そして下痢止めの注射をしてくれた。


そしておなかのこぶだけど・・・

これは精巣腫瘍で癌の可能性が高いとのこと。


2個ある精巣の一つが降りてきておらず、体内に残っていて、こういう場合おなかに残った精巣は癌になる可能性が高いという。

結構な大きさである。


でもいまこれは悪いことはしておらず、今元気がないのはおなかを悪くしているせい。


もし、悪さをするとしたら『貧血』になるのだという。

今は舌の色も良好だし、心臓の音も、肺の音も、特に問題ないという。


つよし君は17歳。

人間でいうと90歳くらい。

この年齢で手術をするかどうか?


先生は麻酔の副作用の危険性を危惧した。

もしかしたら、この腫瘍が悪さをする前に天国に行くかもしれません。

でもどうしても手術をしてほしいと言われればしないとはいいません。

しかし手術の最中になくなる場合もあります。

どうかご家族で話し合ってみてください。


いまこの病院に通っている、この大きさの犬の中でも最高齢だと言われた。


そして、もしまた下痢をするようならご家族の方が薬を取りに来てくれてもいいですよ。

このくらい高齢になると、病院に来ることだけでもストレスになりますから、無理してこなくてもいいですよ。

そう言ってくれた。


人間と同じだ。



あまりにも食事が減ったし、元気がないし、ふらついているし、寝てばかりいるし・・・

もう完全に最後なのかもしれないなんて思ったけれど、

今日私が帰ったら、1週間ぶりにすごーく喜んだ。

そして1週間ぶりにわんわんわんわん・・・吠えたんだ。


食事もむしゃむしゃ食べて、すっかり復活したようだ。


この際だから100歳を目指そうか!!つよし君!!!




11月10日静内にて行われた、北海道GH協会主催の北海道大会(事例検討会)で発表してきました。


幻聴を通して考える心理的サインとケアの実践


グループホーム「花縁」物語

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うちのスタッフが頑張りました。


この事例を多くの人に知ってもらいたいと思い発表しました。


このおじいさんの生きる姿を紐解いていった結果浮き彫りになった人生の軌跡。


認知症になって現れたその表現は、昔の彼の誇るべき姿そのものだった。


彼がその頃のように、誇りを持って生きられるように支えることが私たちの役割なんだろう。



先日ケアマネの基礎研修の講師をさせていただいた。


それも道庁の赤レンガ庁舎で行われた。


北海道に住んでいながら、赤レンガ庁舎に入ったのは初めて・・・


こんなに素敵なところだったよ。



グループホーム「花縁」物語


丁度、紅葉の景色が最高でした。



グループホーム「花縁」物語

玄関のアップ。


グループホーム「花縁」物語

玄関の中から見た外の景色。



グループホーム「花縁」物語

そして、大きな古時計。



グループホーム「花縁」物語

研修会場もレトロな雰囲気のたたずまい。


こんな場所では、なかなかできないよね。



気分が良かったなぁ・・・・・


うちのおまごちゃん。


グループホーム「花縁」物語


にこにこしながら、コロコロしてます。


上手でしょう!!



とにかく、ばばばかしてます。


めんこくってしかたないです。


この子はきっとあたまがいいです。


この子はきっとやさしいです。


この子はきっと・・・・・。


こんなふうにばばばかしてます。



たぶんこのかわいらしさは宇宙的感情。


無条件に愛しい。


細胞の遺伝子がつながっているから。


理屈ではなく心が震える。


生まれてきてくれてありがとう。




今日、キッズ・サポーター養成講座をしてきました。

小学校5年生に認知症のことをお話して来ました。



グループホーム「花縁」物語


お話に加えて、劇もやってきました。

おじいさんの劇と、おばあさんの劇です。



グループホーム「花縁」物語



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花縁キャラバン・メイトチーム5名による認知症劇です。

シナリオはすでに用意されていて、花縁流にちょこっとアレンジしたもので行ってきました。


ちなみに私は「家に帰ります」というおばあさん役をしてきました。

なかなか楽しかったです。


花縁にいるおばあさんをモデルにさせていただきました。

花縁にいたおばあさんの前掛けをお借りして演じてきました。


またどこかでやりたいです。

花縁オリジナルの脚本による劇をね!


子供たちはこのテキストとキーホルダーがもらえます。



グループホーム「花縁」物語





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苫小牧市のギュッティー君のケースに入ったキーホルダーです。


キミたちも今日からキッズ・サポーターですよ。


困っている人がいたら上手に答えてあげてくださいね。


今日はありがとうございました。




本日、大運動会が開催されました。


かねてから、あちこちのお年寄りが集まって交流できる場所を作りたいと思っていました。


自分が通っている、または住んでいる場所の人たちとの関わりだけでなく、近所の同じようなところに通っていたり、住んでいたりする人たちと、互いに交わって情報交換できたり、知り合いになって年寄り同士の地域の交流ができればいいと思っていました。


私たちは研修や、懇親会などで、他の事業所のスタッフと話をする機会があるけれど、主人公であるお年寄りにはいっさいそんな機会は与えられないでしょう。


お年寄りのための事業所サービスであるのだから、お年寄りの地域交流を一番に展開してみたいよね。


全国各地いろんなところで『運動会』をやっているという話を聞いて、「それは面白い」とひそかに考えていました。


どんな風にやろうかと・・・・・

今年度市内の小規模多機能事業所が連絡会を立ち上げました。

まだまだ小さい小さい集団ですが、小さいからこそできるかもしれない。


そこで、今回は小規模多機能連絡協議会で行うことにしました。


年をとったり、認知症になってしまうことで、外に出るのが億劫になり、誰かのお手伝いをもらわないと出られない毎日を送っていることが多くなります。


どうせわからないから、どうせ覚えてないから、行っても混乱するし疲れるだけ・・・・・


そんなことを言う人もいます。


でも、何をしているかわからなかったり、参加したくないと思っていたりしても、誰かがそこで笑っていたり、楽しそうに拍手が沸いたり、若い子達が元気良く踊っていたりするのを見て一瞬でも笑顔になる。


ほんの瞬間瞬間でも笑顔になる。


忘れてしまってもいい。

あのときあの瞬間楽しいと笑ったとこは事実だから。


その瞬間瞬間の笑顔だけで十分なのではないですかね。


外部の人と触れ合うことなく、毎日ホームの中だけで過ごしていくのではなく、できるだけ外の空気を吸い、この世の中がどんな風になっているのか知ることが、些細な刺激となり、頭の活性化にもなるのではないのかな。


そんな仲間たちが終結して今日は約120名の方たちに参加していただきました。


自分の住んでいる地域にこんな人たちが同じような暮らしをしているということを互いに触れ合うことができた時間になりました。



こんな風に真剣になるんだよ。



グループホーム「花縁」物語

ちょっと見づらいけれど『玉入れ』をしているところ。

絶対負けない!!



グループホーム「花縁」物語

これは高校生のチアリーディング。

若い子を見るとみんな目つきが違う。



グループホーム「花縁」物語

手作り(桜ユニット作)の優勝旗・・・赤組の優勝でした。


いままで見たことのなかった顔を、表情を見せてくれました。


参加してくれた方たちは

『楽しかったわ』

『また来年も!っていう気持ちになったわ』

『来年まで生きてなくっちゃ』

なーんて言ってくれました。


それが何よりうれしいです。


できれば来年もやりたいです。




6年ほど前に初めて東京ディズニーランドに行ったときのこと。


わたしはそこのスタッフに釘付けになった。


パレードやアトラクションのことはあまり覚えてないけど、スタッフの動きが忘れられなかった。


それはパレードが始まる前の準備段階の出来事だった。


パレードのために道を開け、お客さんたちが公平に観れるように誘導するものだった。


パレードの通り道は決まっており、その道からお客さんたちを撤退させ、前のほうの列の人が立たないように見守り、外観を損ねるような人がいたら丁寧に説明し、何度も何度もお話してわかっていただく。


そしてパレードが、そこにいる人たち全てにとってすばらしいパフォーマンスへと繋がるように黒子に徹していた。


そう、スタッフたちはまるでいないかのように目立たぬところに隠れるようにパレードを作り上げていた。


それにひたすらに感動し、スタッフばかりを見ていた。


遊びに来ているお客さんのためのパレードではあるけれど、そのお客さんの協力なくして質の高いパフォーマンスはありえない。

高いお金を払っているお客さんにも、気持ちよく同じビジョンを求めて、最高のショーを一緒に作り上げていく姿がすばらしいとおもった。



グループホーム「花縁」物語



最近この本に出会った。


いつか知りたいと思っていたからすぐ手にした。


表紙にもあるとおり、「9割がバイトでも最高のスタッフに育つ」んです。


あのときのあのスタッフの仕事振りの訳がわかった。


この本には私たちが実践したいと思うことが沢山書かれている。


昨日の記事の『点人類』を育てる上でも大きなヒントになるでしょう。


たとえば

「人は、自分が扱われたように人を扱う」

「見て覚えろでは後輩は育たない」

「ミッションを正しく理解し、後輩に伝える」


そして私が一番靡いた言葉は

「リーダーシップに必要なの条件は、ホスピタリティ・マインドを持っていること」

でした。


興味のある方は是非読んでみてください。


スタッフが最高のパフォーマンスで楽しく仕事ができることが、じじ様ばば様の明るい人生を作り上げる基礎になるはずです。


面人類・線人類・点人類


ご存知ですか?


面人類…顔と顔を合わせて伝達する世代(面というのは顔面の面)

線人類…電話を使って伝達する世代(線というのは電話線の線)

点人類…メールやパソコンを使い伝達する世代


あなたは何人類かな?



娘がある研修会で学んできた内容です。

おもしろかったのでご紹介します。


うちの娘ももう就職してもう7年目?(違ったかな・・・・・)を向かえ、新人育成に悩むお年頃になった。


自分だってまだまだのくせに『いまどきの若い子』に一丁前に悩んでいる。


私も同様で、最近首をかしげる行動をとる子が増えている。

まあ若い子に限らないけど、若い子には特に『ここまで言わないとわからないのか』ということが増えているように感じていた。


いつの時代でも「今の若い子は」と言われるけれど、最近の若者は特に私にとってわかりづらいという印象があった。


そのなぞが解けた?のがこの『○○人類』



面人類:面というのは顔面の面です。フェイス・トゥー・フェイス・コミュニケーション、それを大切にするのが「面人類」。


線人類:線というのは電話線の線。むしろ、面と向かって話すよりも、電話のほうが話しやすいという人たちが増えています。それが「線人類」です。


点人類:線人類の段階では、まだ電話線の線の先に相手がいた。点人類ではそれもいなくなる。場合によっては、コンピュータとだけコミュニケーションをする。


線人類はおおよそ昭和55年から昭和の終わりまでの生まれの人。

点人類は平成生まれ。


点人類の人たちがいわゆる今、新人として世に出ている人たち。


点人類は一点を見つめて生きているから、イマジネーションができないらしい。そのためにクリエイトもできない。


メールというのは相手のことをあまり考えずに、送ることができる。送りっぱなしも可能だし、いつか見てくれるだろうでもかまわない。


だから、対人との関わりに、あまり想像性を抱かなくていいのだ。


次のことや先々のことをいろいろ考えて(想像して)、予測して次の行動にうつすことができない人たちらしい。(まあ、みんながそうではないけれど)


だから『考える』ことがもともとできない・・・・・していないからできない?

そんな子たちには、『考えて』といっても無駄なので

「こうしてこうなったらこうなるかもしれないから、こうなったらこうしてああして、こうならなかったらこうしてああして・・・・・・・」

なんていう風に細かに指示していかないとできないのだという。


『見て覚えなさい』なんていうのは該当しない。


違って当たり前。ということは知っていたが、この社会背景からこんなことになっているとしたら、これは個人の問題ではない。

その個(子)の問題だけで済まされない。

社会が作らされた点人類。


昔、よく「親の顔が見たい!」と怒られたが、そんな怒り方は通用しないってことだ。


この点人類の特性を知って育てないといけないってこと。


訓練でどうにもならないと思っていた『想像力』をスタッフ育成の中で繰り返し繰り返しすり込むことで習得していくしかないようだ。


しかし、そんな私たちも今このパソコンやメールの時代にどっぷり使っているから、点人類化しているらしい。

そのうち全人類が点人類になってしまうのかな。


ちょっと恐ろしいよね。