あしたは花縁の夏祭り!!


みんな遅くまで明日の下準備をしてくれています。


ほんとうによくやってくれます。


みんなありがとうね!!!


ほんとうにありがとう!!!











SOSネットワークシンポジウムの開催に向けて。


いろんな人にこの話をしているが、どの人に話しても印象が一緒である。


「素晴らしいですね!」

「頑張ってください!」

「すごいですね!」

「協力しますよ!」

「是非やってください!」

って言ってくれる。


そして


いろんなことが見えてきた。


各々の想いが見えてくる。


それがおもしろい。


だれが、なにを、考え、行動しているのか。


だれが、なにも、考えず、行動もしないのか。


そんな風景が見えてくる。


それがおもしろい。


自分の立場で出来ることをしようよ。


ね!



いろんなところで研修会はやっている。

いろんなところの研修会に行っている。

特に学びたいと思うことの研修会に参加している。


でも、わかりきれていない。

本当にこれでいいかどうかわからない。

もっともっと詳しく知りたい。


そんな訴えに答えるべく、「参加したい」人だけに焦点を当て、地道な『学ぶ場』を作ってみた。


まず取組みたい、取組んでほしいと要望の多かったのが「センター方式」だった。

『センター方式』を知りたい。

やっているけど、いまいちうまく使いこなせていない。

なにがどんな風にいいのか知りたい。


それで毎月集まる場所を作ってみた。

中央で行う研修会には、行ってはいるものの、一回ぽっきりだから、わかったこととわからないことがあって、なかなか実践に繋がらないようだ。


とにかくやってみなけりゃわからない。

なのだが、その実行力の後押しにでもなればいい。


みんなで考えて、みんなで覚えて、みんなで一緒に話し合おうじゃないの。


毎月第2水曜日。

だから・・・・・水曜倶楽部と命名しました。


最初はセンター方式シートの使い方からはじめます。

そして、徐々に別のテーマになって行ってもいいよ。

その中で、みんなの困っていること、知りたいこと、学びたいことがわかって、それを中央に届けることができればいい。


わたしがこれをやりたいと思ったのは、それが一番の理由だ。


みんなの声が聞きたい。

みんなの声を届けたい。


そしてなにより、みんなで一緒に考えたい!!


先日、私の出身である早来町(現在は安平町)に『花縁の話』をしに行ってきた。


そもそも花縁に実践者研修の実習に来てくれたGHさかえのスタッフが花縁のスタイルに共感してくれて、私の話を聞きたいと言ってくれたらしい。


実習に来たそのスタッフが一番共感してくれたのが「老人クラブを作ったKさん」の話だった。

こんなふうに活き活きと暮らす姿を見つけていくことができるんだ、うちのおじいちゃんにもなにか出来ないか・・・・・と、ホームに持ち帰り、一人ひとりのパーソナルに目を付けていった。


そこで着目したのがあるおじいちゃんの「ぞうり作り」である。

99歳のぞうりを作るおじいちゃんである。


そのおじいちゃんが作ったぞうりをまず見てください。



グループホーム「花縁」物語


これは「履けるぞうり」です。


このおじいちゃんは元々ストラップ用の小さなぞうりを作ることが趣味だった。


スタッフたちは、その小さいぞうりから大きなぞうり・・・つまり「履くことができるぞうり」作りに発展させることができないものかとアプローチを始めた。

最初はしぶしぶだったけど、周囲で喜び、「かわいい!!」と褒めると、その腕はどんどん上がっていったという。


そうして、こんな素敵な「履くぞうり」を作るまでになったのだという。


いまでは、スタッフ皆がこのぞうりをはいて仕事をしている。

図々しく「私もほしい」といったら、分けてくれた。

今度お礼に行こうと思う。


Kさんのことを思い出した。

私たちが喜ぶと、照れ笑いを浮かべ、なんとも嬉しそうにモジモジしてたっけ。

でもその私達の大きなリアクションがないと、Kさんは不安で不安でしょうがなくなるんだ。


私達のあの態度がKさんにとっての安心材料であったことを思い出す。

相手が自分に対して何を思い、自分の行動にどう反応するのかを、よくよく気にしながらの共同生活である。


だからこそ、私達の存在は大きな存在なのだということを教えてくれた人だったね。


Kさんの取組みが他のGHで生きていた。

Kさんがちゃんとそこで生きていた。

やっぱりみんな生きている。


こうやって花縁のじじ様ばば様のことを多くの人に知ってもらって、自分たちもやってみようと思い、形になっているのがうれしい。

もちろん形にならなくったっていいさ。

やってみよう!って思って、ちょっとでもやってみてくれたら、それでだけでいい。


ほんとうに嬉しいことです。


ありがとうございます。


感謝・感謝!!



伝えるということを、いつも、何気なく、さりげなく、しているが

そんなに簡単なことではない、という出来事が続いた。


わたしたちはセンター方式を取り入れている。

「当事者の声に耳を傾けること」をあらゆる出発点にしている、センター方式である。

云った言葉、話した内容、起こした行動から察していこうとするものだ。


けれど、認知症の方へのケアに限らず

伝えたいことが伝わらない、云いたいことが云えない、動きたいけど動けない・・・

ことがどこでも起こっているということ。


つまり、認知症だから・・・・・・・だ。

なんていう入り方はもう必要ないのではないか。


誰でも、どこでも、どんなときでも、

云いたかったことの半分も伝わっていなかったり、

聞いたつもりでも全然間違って聞いていたり。


もう一度考えようよ。


相手が何を伝えようとしているのか、よくよく考えながら聞いたことがありますか。

自分の云ったことが相手に伝わったか、よくよく繰り返しながら伝えてますか。


相手が話している、あなたに伝えたいことを確認したことはありますか。

自分の話し方には、人とは違う癖があること知っていますか。

あなたの本当の想いはどれで、伝えたい事柄はどれですか。


会話の中にはたくさんのキーワードが隠れています。


認知症の人に限らず、言葉に隠された本当の想いがあるってことを考えようよ。


自分と相手は違う人間なんだから。




SOSネットワークシンポジウムを開催したい。

その想いを実現したいと動き出した。


12日七飯町で行われたSOSネットワークシンポジウムに参加してきた。

昨年は釧路に行き今年は七飯町。

各地で想う人がいて、考える人がいて、形になっていく。


七飯町で宮崎さんに「日胆ブロックでやろう!」と投掛けられて考えた。


誰が、どこがやるかは問題ではない。

やれる人がやればいい。

いや、やるためにはどうすればいいかを考えればいい。


地域密着型サービスなんていわれるようになるほど、最期まで地域で暮らすことを目標にしているならもっと具体的に「地域で安心して暮らす」ということがどういうことなのか考えているのかな。


ビジョンはいくらでも掲げることができる。

理想の国の絵を描くだけならいくらだっ描ける。

会議のための会議なら簡単に出来る。


「困っています」と声を出しても聞き流されてしまう。

「私たちにはそこまでできない」「私たちはそこまで目指していない」と簡単に言われてしまう。

安心して暮らせる地域は、地域の自分たちでなんとかしなさいという考えらしい。


もはや私達の命は自分たちで守っていくしかないということなのだろう。

でも取組んだ成果については教えてください・・・なんていう始末。


形にしたい。

考える場所を作りたい。

多くの人と考えたい。


この街で暮らすということはどういうことなのか。


一人ひとりの心の中に投掛けたい。

できる人がやればいい。

それが誰でもいいんじゃないの?


みなさんご協力お願いします。


みなさんのできることでわたしたちを助けてください。

わたしたちのできることを精一杯やります。


もう伝え始めました。

11月7日(日)です。

苫小牧でやります。


みなさんご協力お願いします。


7月11日、日本ケア学会北海道大会が開催されました。

わたしはそこで、老人クラブのKさんの事例を発表してきました。


Kさんは花縁にとって大きな大きな存在でした。

Kさんは私達に生きていくということを身をもって教えてくれました。

最期の「死」さえも私達に様々なことを教えてくれました。


彼の偉業を是非形として残したくて、

是非多くの皆さんに聞いていただきたくて、

発表してきました。


ご家族にも了承していただきました。

ご家族は「喜ぶと思います」と言ってくださいました。


とうさん、聞いてたかな?

わたしの発表どうだった?

とうさんが生きていたら、とうさんと一緒に老人クラブの取り組みを皆に聞いてもらおうって働きかけてたかもしれないよね。

とうさんも一緒に壇上に立ってわたしやスタッフと一緒に発表するの。

そうしたかったね。


でも今回のあのステージに、とうさんもいたと思うよ。

だからわたしは安心できたし、上手くいったもの。

ありがとうね、とうさん。


またどこかでこの話いっぱいしてくるからね。

とうさんが苦しみながら「死」を迎えたことも、きっとどこかで話すからね。

とうさんとわたしたちの人生の一幕を今後もずっと語り継いでいこうね。



PS:とうさん、あのとき話した私の孫が生まれたよ。男だったよ。


ブラボー!!


とうとう産まれました!


本日、次女が男の子を出産しました。


体重3080g

身長50cm


初産なのに、約5時間程度で産みました。


おでこがママで、口がパパ似の、まんまるい顔のベビーちゃんです。


もう、めんこくてめんこくて、どうしようもありません。


とうとう、おばあちゃんデビューを果たしました!!


感謝・感謝!


ありがとうございました。



花縁には認知症介護実践研修の実習生さんが来る。

今週は実践研修生とリーダー研修生が重なって大賑わいの日が続いた。


その実習生さんにいつも言われる。

どのひとにも言われる。

「ゆったりしていますね」

「静かに時間が過ぎています」

「ばたばたしていないです」

・・・・・

私は必ず伝えます。

しかしそうしているのは誰?

ばたばたするのは誰?


それからもうひとつ

「利用者さんの行動に対して、ダメ!・ちょっと待ってなど制止する言葉がいっさい聞かれないですね」

こんなことを言った人もいる。

「だめ!と言ってしまう自分に疲れるんです」

・・・・・

私は必ず聞いてみます。

いったい誰が言ってるの?

なんでだめなの?

だめな理由は?


毎年何百人と言う実践研修生が誕生している。

それが何年続いているのだろう。

それでも「だめと言っている」「ばたばたしている」事業所が後を立たない。


繰り返し繰り返し伝えるのみ。




娘は総合病院で看護師をしている。

消化器科で多くの癌患者さんを看てきた。

娘は花縁の第一の理解者であり、花縁で看取りをする時にも大きな支えになってくれている。


花縁で生きる人たちと、病院で生きる人たちの両方を見ていて、認知症をもっと多くの医療従事者に理解してもらいたいと考えている。

どうしても大きな総合病院などでは認知症のケアどころではないのが事実で、いったい「生きる」ということはなんなのかを日々痛感している。


そんな中、消化器科で一緒に働いていたDrに認知症のことを話す機会が与えられた。

先生は認知症のことを知っているか、どんな風に思っているか聞いてみたという。


なんと先生の答えは

『ぼくはね認知症の人は、ゾンビだと思ってるよ』

『なにも分からなくなった人、こんな人に積極的な治療を(胃ろう等)して何の意味があるんだろう・・・・・ずっとそう思っていた』という。


娘はそうではないことをゆっくり分かりやすく説明した。

決して何も分からなくなったわけではなく、相手や対応によって様々な反応を示すこと、感情は残っていて自分の意志も持っているからそれを引き出すことができること等々花縁で起きている様々な事例と共に切々と伝えた。


病院では認知症の理解が不足しているために、治療のために認知症を悪化させてしまったり、必要な治療を最初からあきらめてしまったりしている。

そうではなくて、認知症のために起こる症状を最小限に抑えながら、その人にとって最適の治療法を見つければ、医療従事者もご本人も大きな負担が少なく治療することができるのではないか。

入院日数を最短にしたり、外来で検査をしたり、具体的には沢山あると思う。

それを一緒に考えてほしいのだと・・・・・


これを聞いた先生はただただ

『カルチャーショックだ!』

と言っていたそうだ。


ショックを感じながらも

『これは啓発活動をしないといけないよ。多くの医者または看護師はこのことを知らない。だからまずはみんなに広めないと』

こう言ってくれたそうだ。


先生は真剣にその構想を考えてくれたらしい



ゾンビ・・・・・非常に正直な発想だと思った。

生きる屍。

もう死んだ人。

そんな風に思っていたんでしょうね。


確かに以前はそうだったのかもしれない。

認知症だけにはなりたくない、そんな言葉が聞かれていた。


でも今花縁にいる人たちは「こんな人にはなりたくない」人には見えない。

先生も是非花縁に来てもらおう。

先生が考える取り組みをする前に見てもらいたい。


この世の中に必要ない人なんてひとりもいない。

この世の中に死んだも同然の人なんていないのだから。

命ある限り自分らしく生きる。

その姿を支えるのが医者の使命ではないのですか。


先生是非お力をお貸しください。

お願いします。

ありがとうございました。