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「楓坂四駒堂」
耄碌妄想日記
日曜版No.100でおます!
100回目ですけど
さして何ら変わらず…
当ブログは
ひーひー云いいながらも
日・木曜日 午前0時
週2回行進です
この際、歩くか!
梅雨…
「八代亜紀」のいない
雨の季節です。
・・・・・
♪心が忘れた あのひとも
膝が重さを 覚えてる
長い月日の 膝まくら
煙草プカリと ふかしてたぁ
これも「阿久悠」の
煙草ソング
でしたね。
♪心が忘れた あのひと「を」
膝が重さを 覚えてる
こうはしない…
この繊細な言葉感覚が
「阿久悠」の真骨頂…かな?
「新選組京都無情篇」について
今更、史実云々を言うのもナニな
すっとこどっこいな中身で…
ま、それでも基本的な時間軸だけは
追っていかねばと
かように思ってはいる訳ですが…
例えば文久三年春という
この段階では
おそらく「壬生浪士隊」という名称。
八月十八日の政変を経て
「新選組」となった筈ですが
敢えて早めに「新選組」と
名乗らせております。
隊の編成にしてもいろいろ説もあり…
例えば…局長三人体制になったのが
どの時点なのか私は正確には理解しておりません。
以降も「えっ!」と思われる
展開も多々あろうかと思いますが…
あくまでゆるいフィクションとして
♪笑ってゆるしてくださいますよう
よろしく哀愁!
では、「新見錦」切腹です!
次回
「何のこれしき!江戸篇」でおます。
第2章
「豊饒の海へ」
青年誌は荒野をめざす
「ヤングコミック」Ⅵ
いくら思い入れが強いからって…
そろそろ創刊時の「ヤングコミック」をまとめないと…
なかなか「ビッグコミック」創刊に辿り着きませんが…う~ん。
でも、もう少しだけ…わが青春の「ヤングコミック」を…。
ま、「ヤングコミック」の方が、創刊が少し早かった…ということなんですが…。
したがって、必ずしも時間軸に沿ってはいないので…お話は基本、「ビッグコミック」創刊後とも重なります。
「さいとう・たかを」始め、貸本出身作家を多く起用した創刊間もない頃。
次第に…メインの「マイク・ハスラー」こと「望月三起也」を中心に
「上村一夫」・「真崎・守」…ここに「宮谷一彦」・「青柳裕介」という「COM」出身の若手を加え…次第に独自のカラーを打ち出していきます。
当時、時代の寵児…劇画界の新たな旗手‥‥
そんな扱いだった「宮谷一彦」。
1969年、「蒼き馬の旗手」「命かれても」といった短編の発表後
7月22日号より「太陽への狙撃」を連載。
時代を撃ち抜くテロリスト群像…
まさに当時のトレンディな作品群。
ちょうど「COM」では「ライク・ア・ローリングストーン」の頃。
この当時の「宮谷一彦」…
これほど描きこんで、よくも量産が出来るものだ…と思う程の売れっ子ぶり。
青年コミック誌はもちろん、少年誌(少年サンデー)、女性誌(ヤングレディ)、少女雑誌(別冊女学生の友!)までも制覇。
いわゆるバブリーな絶頂期…。
ハードボイルド作家「大藪春彦」原作のコミカライズなんかもあったと思います。
「青柳裕介」…「COM」の新人賞受賞作「いきぬき」が1966年。
青年誌デビューはたしか、SM趣向の「サディストへの招待(プレイコミック・秋田書店)」。
※「プレイコミック」については、いずれまた…「ビッグコミック」の後にでも…。
「ヤングコミック」登場は1971年10月22日号からの「初恋物語」。
この頃の「青柳裕介」…ローカル色豊かなのは変わりませんが、エロくてリリカル…そんな少女たちのエピソードを綴ったオムニバス。
昭和のなまめかしさが漂うあの画風がフィットして、好きでした。
禁断の青春漫画?
特に彼の描く少女像に影響を受けた作家は多かった筈。
ちなみに「ビッグコミック」で代表作「土佐の一本釣り」が始まるのが1975年。
そんなメジャーになる前、ある意味、マニアックなファンが秘かに堪能した連作でした。
彼のアシスタントでこの作風を受け継いだのが「和気一作」「間宮聖士」?
「ヤングコミック」
いつの間にか装丁が「中綴じ」から「平綴じ」へ。
「上村一夫」の表紙イラストに「平綴じ」。
そんなところにも独自性を…。
さて…
この「ヤングコミック」ももちろんそうですが…
この当時「コミック」界の勢力図を大きく変える人気作家が登場します。
70年以降のリードオフマン
「小池一夫(当時・一雄…以下略)」について軽く触れておきます。
重複するとは思いますが…
「中央大学法学部」卒…有名なエピソード…「司法試験」に3度失敗。
もし合格していたら、「ゴルゴ」も「拝一刀」も生まれなかったということ…?
「小池一夫」が応募によって「さいとうプロダクション」に参加したのが1968年。
ちょうど「さいとう・たかを」が次々と雑誌連載に乗り出した頃ですね。
ご存じのように、企画・シナリオ担当として「無用ノ介」「ゴルゴ13」の制作にも大きく係わっていきます。
しかし、いきさつは知りませんが…
平たく言えば、1スタッフに甘んじることが出来ず…あるいは両雄並び立たず…ということなんでしょうね…1970年に独立。
一読者の私の目から見ても、「小池一夫」が抜けた後のこれらの作品には、多少の変化があったように思います。
敢えて言うと…何故か薄味になったような…。
想像ですが…「ゴルゴ」も「無用ノ介」も…あるいは「影狩り(週刊ポスト)」も…ストーリーだけでなく、そのキャラクターの設定・造形にも、「小池一夫」のアイデアが色濃く出ていたような気がしてなりません。
ですから当初「さいとう・たかを」は心強い仲間を得た…と思っていた筈。
したがって独立はショックだったかも…。
しかもその後、1972年には分派とも言うべきスタッフとともに「スタジオ・シップ」を立ち上げ。
その顔触れ…「叶精作」「神江里見」「小山ゆう」「やまさき巧味」「伊賀和洋」「神田たけ志」は元「さいとう・プロ」スタッフ。
「小池一夫」の劇画制作者としての突出した才能に引き寄せられたんでしょうね。
「さいとう・たかを」にしてみれば協力者が、一転、強力なライバルに…。
それどころか、逆臣…裏切り者!?
実情はよく知りませんが…その確執はしばらく続いたと思います。
ま、それでつぶれるような「さいとう・たかを」ではありませんので、お互い切磋琢磨、両雄並び立って、コミック全盛時代を築いていく訳ですが…。
そんな「小池一夫」が独立後、最初の作品の発表の場となったのが「少年画報社」。
掲載は後になりましたが、独立後のデビュー作は1970年8月2日号「週刊少年キング」掲載…
「白地に黒く死の丸染めて」。
タイトルでわかるようにモチーフは特攻隊…時期的に「終戦特集」の一環だったと思います。
作画は「古城武司」…特撮もののコミカライズも多かった人。
たしか「望月三起也」とは義理の兄弟だったかなぁ…まあ、いいけど。
で、掲載が早かったのが「ヤングコミック」の7月27日号。
「ノスパイフ戦線」…
「大山學」の作画作品を以前少し紹介したことがありましたが
このシリーズ、最初の作画担当は「西郷虹星」。
「西郷虹星」…「園田光慶」「永井豪」などのアシスタント?を経て
「マーベル」の「ハルク」の日本版(ぼくらマガジン)がヒット。
「男はつらいよ」のコミカライズと言えば「高井研一郎」が有名ですが…
この人の描いた、1970年7月の「週刊少年サンデー」掲載「男はつらいよ フーテンの寅」…好きでした。
その「西郷虹星」描く「ノスパイフ戦線」。
「小池一夫」…独立後の実質的なデビュー作。
名刺代わり…という作品。
やはり「ゴルゴ」を意識した(私見…)、圧倒的な迫力ある国際スパイ作品。
根底に流れる男の滅びの美学?
その後の「小池一夫」作品のヒーロー像を予見させる作品。
率直な感想として…
この時点で「小池一夫」に発表の場を与えた「ヤングコミック」やっぱりえらい!
そして…同じ1970年10月からは「神田たけ志」作画による
「御用牙」の連載開始。
この時の原作者名義は「緒塚敬吾」…「小池一夫」の逆読みですね。
一世を風靡した「かみそり半蔵」。
実在した妖怪「鳥居耀蔵」が宿敵。
クライマックスは「神田たけ志」描く「半蔵」のどアップの啖呵!
その少し前70年8月からは「週刊漫画アクション」で
「子連れ狼(作画・小島剛夕)」が連載開始。
「ゴルゴ13」「無用ノ介」「影狩り」…多分、「小池一夫」がタイトル命名にも拘わった筈?…違ってたら申し訳ありませんが、なんかそんな気がして…。
「御用牙」に「子連れ狼」
以降の代表作も然り…
この抜群のネーミングセンス
以降、「小池一夫」は…コミック誌の黄金時代を切り拓く「旗手」の一人となっていきます。
さて…次週、しつこいですが、70年代の「ヤングコミック」…ラストにします。