ご訪問
ありがとうございます。
「楓坂四駒堂」
日曜版のNo.43です。
ゴールデンウィーク…
大きな地震もありました。
被災された皆様に
お見舞い申し上げます。
当ブログ、来月6月より
少々リニューアル致します。
4コマも一部変更
「何のこれしき!」
「新選組篇」再開します。
♪さがす~京都の町に
あの人の面影~
誰もいな~い心に
に~わか雨が降る~
※詞・なかにし礼
発作的に浮かんだ
「小柳ルミ子」往年のヒット曲
そういう訳で…取り敢えず
「新選組 京のにわか幕臣篇(仮)」
5月末までは以下のラインアップで
さて、今回は
季節外れの
贈り物?
「O・ヘンリー」に対する
冒涜でしょうか…
何か只ならぬエピソードを
におわせて
…
でも、これも人は
「愛」と呼ぶのでしょうか?
「お願い 教えてあなた…」って…
昔「浅丘ルリ子」が
言うてました…。
う~ん
第2章
「豊饒の海へ」
青年誌は荒野をめざす
1「ぐら・こん」の頃 Ⅷ
「宮谷一彦」…前
今、私の手元にある一冊の単行本…
奥付は1971年3月の初版。
当時、「手塚治虫」の「虫プロ商事」から刊行されていた「グランドコミックス」。
「宮谷一彦」の「性蝕記」
その昔、目の前で書いてもらった直筆のサイン本です。
あの…やけに眩しい季節の「宮谷一彦」が凝縮されたような一冊…
ページを開くと、いまも熱い何かがしたたり落ちそうな一冊。
さて…取り敢えず「ぐら・こん まんが予備校」です。
1967年、創刊第5号の「月例新人賞」受賞作…
「宮谷一彦」作「眠りにつくとき」
16ページの作品…。
いきなりしらけた言い方をしてしまいますが…
当時を想い出しても…この作品に、強烈に惹きつけられるような魅力を感じた記憶はありません。
まずもって、正直、私の好きな画風ではありませんでした…。
主人公は、行き詰まりの人生で、陽の当たる場所を目指し、フォーミュラー1レースにすべてを賭ける新人レーサー。
ある少女との出逢いに膨らむ希望…。
クライマックスはその過酷なレースの描写と待ち受ける悲劇。
お話としては格別なものではなかったと思います。
当時ありがちだった「青春残酷物語」。
この作品から、「宮谷一彦」の特筆すべき何かを感じ取れるほどの眼力を、私は持ってはいませんでした。
但し…
物語冒頭の車に乗った主人公の青年と耳の不自由な少女が出逢うファーストシーンのコマ割り、構成…
私的に師事していたと言われる「永島慎二」の色合いは強く…
特に効果・背景描写はそんな感じ…。
でも、人物・クルマなどは、熱いくらいの力強いペンタッチ….
この16ページというのは…
当時、ストーリー漫画の短編において、最もポピュラーな投稿規定だったと思います。
したがって、どう16ページの中に意図した物語空間を創り上げられるか?
同じく師事していたとされる「石ノ森章太郎(当時・石森)」ばりの…
と言うか、彼の作品をしっかり読み込んでいたであろうと思われる、構成力の確かさは伺えます。
このあたりが、新人賞に推された要因かと…?
そして何かを孕んでいそうな…何というか…画を含めて言えば、「未完成」の魅力ですね…。
「新人賞」ってそうあるべきで…。
そして…漫画家「宮谷一彦」のその後の驚くべき躍動。
プロとしての自覚なのか、作家性の覚醒なのか…
はたまた積み上げてきた底力なのか…
漫画家としての飛躍的な脱皮をしていきます。
あれよあれよと…「時代」の寵児と呼ばれる程に、そのエネルギッシュに産み出される作品群は、多くの注目を浴びていきます。
その「時代」の意味するもの…
そのひとつが、当時の漫画雑誌の出版状況…。
要するに貸本漫画で開花した劇画・青年漫画を中心にした青年誌の相次ぐ創刊。
このあたり、前にも少し触れましたが…
「ガロ」「COM」も、ある意味そうしたニーズで生まれた雑誌。
今更感がない訳でもないのですが、ある意味、漫画家にも作家性が求められる時代…
そんな時代の到来でもあった気がします。
1960年創刊の「漫画天国(芸文社)」はともかく…
やがて「週刊漫画ゴラク(1971~)」となる「日本文芸社」の「漫画娯楽読本(1964)」…
本格的な青年コミック誌としては…
1966年、「痛快ブック」「週刊漫画TIMES」等の芳文社が創刊した「コミックmagazine」を皮切りに…
「一水社」が「劇画コミックサンデー(196?)」
「双葉社」が「週刊漫画アクション(1967)」
同じく1967年、「週刊少年キング(1963~)」の「少年画報社」からは、「ヤングコミック」が創刊…。
更に現「ぶんか社」…「日本文華社」からは「特集漫画トピックス」が…。
そして1968年…
この年は7月に、「集英社」の少年誌、あの「少年ジャンプ(当初月2)」が創刊された年でもあるのですが…
まず2月、「週刊少年サンデー」の「小学館」が「ビッグコミック(当初月刊)」を
6月には「まんが王」「冒険王」の「秋田書店」が「プレイコミック(月2)」を…
ちなみに同社の「少年チャンピオン(当初隔週)」は翌年1969年創刊。
そして「芸文社」の「コミックVAN(1968)」…等々
以降、続々各社、複数のコミック雑誌を刊行していきます。
当然のことながら、各誌、貸本劇画からやってきたベテラン・気鋭たち、そして青年漫画も描ける少年漫画の人気作家の争奪戦は激しく…更なる、新しい描き手を求めていた時代でもありました。
更に…この「時代」…
70年という政治的、世相的にも熱気をはらんだ混沌の中にあったということ。
♪夜明けは近い~と「岡林信康」が唄った時代。
こうした激動の時代の中、何か…新たな価値観が生まれる予感…
音楽や芸術の新たな潮流によって、迂闊にもこの国の何かが変わると信じていた時代…。
乱暴な言い方をすれば、こうした状況…時代の空気というものに、青年漫画家「宮谷一彦」は見事に嵌ったということ…。
新人賞以降…数作を「COM」に掲載後…瞬く間に、上記の青年コミック誌を席巻していきます。
時代を荒々しく切り取る漫画!
これこそが漫画・劇画の最先端…
「ガロ」…「白土三平」「つげ義春」一辺倒だった半可通の漫画通たちの前に供された、刺激的な料理。
私たちは、そんな評者たちの言葉にも煽られながら、誌面狭しと、燃え滾るような力強いペンタッチで描かれる、彼の作品群を次々に目にしていくことになるのですが…
以下次週…
「くちづけ篇」
その11
あの人は来ない
きのうの夜の 「口づけ」は
かわいいうそね
うそ うそ うそね
(※曲・すぎやまこういち)
さあ、「橋本淳」の「くちづけソング」…その3回目。
さっそく余談ですが、今「橋本淳」で検索すると
最初に出てくるのが俳優の「橋本淳(あつし)」の方。
「ヒヤマケンタロウの妊娠(テレ東)」、「三千円の使いかた(フジ)」
そしてNHKの「大奥」、「それってパクリじゃないですか?(日テレ)」
「ケイジとケンジ、時々ハンジ。(テレ朝)」と出ずっぱりですもんね…。
さて、前回♪ブルーライトヨコハマにちなんで、♪港の見える丘を取り上げました。
この曲を作ったのは「東辰三」。
この人は♪学生街の喫茶店、♪瀬戸の花嫁、♪想い出のセレナーデ、♪世界は二人のために…などの人気作詞家の故「山上路夫」のご尊父だと…。
実を言えば作詞家「橋本淳」のご尊父は著名な児童文学者「与田準一」。
「まど・みちお」や「岩崎京子」「あまんきみこ」はその門下生。
やはり、DNAとは敢えて言いませんが、こうした環境が「言葉」を紡ぎ出す才能を育んだんですね…。
冒頭の彼の詞…。
これを名曲と言っていいのか…
私は当時、何故か複雑な気持ちで聴いた記憶が…
タイトルは♪坂道のクラブ
これでおわかりの方は、わが同志…。
1968年「吉永小百合」の…えー…アバウトですが50枚目くらいのシングル。
ご存知とは思いますが、それを遡る1962年…彼女は17才くらいかな…
ほんと、どうでもいいですが、私は中学生の美少年時代。
デビューシングル♪寒い朝…そして3枚目が「橋幸夫」とのデュエットソング♪いつでも夢を…。
人気女優とは言え、いきなりの大ヒット!
この年の「レコード大賞」。
以降も映画の主題歌、挿入歌を中心に多くのレコードをリリース…。
1967年には「荒木一郎」による♪ひとりの時もなんてのもありました。
これはデュエット…。
二人が見つめ合ってるレコードジャケットにむかつきました。
ふんとにもぉ!
この1968年というのは所謂GSブームはまだ最盛期…。
「橋本淳」+「すぎやまこういち」コンビと言えば、その中心にいた仕掛人。
「ザ・タイガース」のデビューシングル♪僕のマリーから♪君だけに愛をまではこのコンビの作。
おそらく「ビクター」からのオファーだったと思うのですが、少しヒット曲から遠ざかった「吉永小百合」の新たな面を生み出すような新曲を…。
芸能界、屈指のキラーコンテンツ「吉永小百合」です。
二つ返事かどうかはわかりませんが、依頼を受けた二人が提供したのがこの曲。
実を言うと、この♪坂道のクラブ
かつて「青春の坂道ソング」でも取り上げたのですが…あらら!
本音を言えば…実は私、あまり…「吉永小百合」の音楽活動に触れたくはないのです。
でも、これは言っといた方がいいだろうと…
何と言うか…歌のうまさ…歌唱力が…とか言うのではなく…
彼女の歌が、あまりに優等生的過ぎると言うか…健康的過ぎると言うか…
こそばゆいほどの、あまりに律儀な歌いっぷり…。
それこそ♪寒い朝、♪いつでも夢を…
♪伊豆の踊子、♪光る海、♪風と樹と空と…等の青春映画の主題歌はともかく
恋する女性の情念なんて、とても歌で表現できるとは思えませんでした。
そんな暴挙はやめてくれ!
それは彼女を愚弄するに等しい行為…!
そう思っていましたから…。
それが「吉永小百合」であり、私の唯一のアイドルたる所以でした…。
おそらくですが…「橋本淳」も苦悩したと思います。
歌手「吉永小百合」の新たな魅力をどう創り出すか…。
年齢的(23くらい?)には大人の恋がふさわしく…かと言ってピュアなイメージは損なえず…。
えらいもん、引き受けてしもた…!
そんな気持ちもあったかも…?…知らんけど…。
「坂道のクラブ」というのは。多分小さなサパークラブ。
片想いという訳ではないのでしょう…
いつも待ち合わせるこの場所に、約束の時間になっても彼は来ない…。
そう言えば…彼の不実を疑う気持ちがむくむくと…
逢えば涙が潤むほど、大好きな彼…
でも、きのうの夜の、あの甘い口づけは…
うそ うそ うそなの?
約束の時間に来ない 彼 彼 彼…
ひとり待ちわびる私…いや いや いやよ
「吉永小百合」でなくても、なかなか表現しづらい歌の世界…。
まして品行方正な「吉永小百合」の歌唱です。
もう、「橋本淳」…何だか調子、狂っちゃってます…。
この小じゃれサパークラブ…
時には生ピアノのライブとかあったかも知れません。
色づく並木、比較的細い石畳の坂道を下りた所にある、隠れ家のような小さなクラブ…。
前にも書きましたが…困ったもので
これがどう聴いても、高校か大学の部活の部室に聴こえるのです。
あまりに清らかで邪鬼のない「吉永小百合」の声質と歌唱…。
彼女のあまりの清廉さ…いや、神々しさに男が尻込みしたんですね…多分
♪坂~道の下の 1人のクラブ
とおりすぎてく 甘い夢
うしろ姿は いや いや いや
うしろ姿は いや いや いやよ~
「橋本淳」くちづけソング、次週へ続きます。
今回も最後までお読みいただきましたみなさま、おつかれ様でした。