耄碌妄想日記 日曜版 №31 | 楓坂四駒堂

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4コマ漫画&諸々駄文晒してます。

たびたびのご訪問

誠にありがとうございます

 

「耄碌妄想日記」

曜版です。

 

過ぎし日の

義理チョコさえも

懐かしく

 

彦六

 

「義理チョコ」

季語にはないんでしょうね…。

 

 

えー…突然ですが…

汗

 

 

♪くち~づけの その後で

おしゃべりは

しない~で~…

 

詞・阿久悠

 

おとうさん!

曜版…今週より久々の

青春の○○ソング考」

今回のテーマは

「くちづけ」ですってよ!

キスマーク

最近、してはります?

 

♪好きよぉ 好きだから

帰れない

あなたを のこし~

 

でしたっけ?

 

う~ん…

桜田淳子?…多分…

 

 

 

 

「張り形」の説明、しませんけど…

 

ネタに困ると

下ネタ率は増加の傾向が…

これは品性のなせる技

う~ん

どうせなら

もう少々品の良い…

知的な下ネタを目指さねば…

そう思う今日この頃…。

 

何じゃ!それ…

ドクロ

 

 

 

 

 

第2章

「豊饒の海へ」

 

Chapter

群雄割拠~漫画誌戦国時代

その14

 

 少し前後しますが…

 1965年、高校入学です。

 前回お話しした「あしたのジョー」の連載開始は、1967年の年末

 年が明ければ大学入試の年、私大の試験はほぼ始まる寸前の時期。叫び

 

 久々におもしろそうなのが、えらい時に始まってくれちゃって…。ぐすん

 ま、「少年サンデー」「少年マガジン」の購読は一応継続中なんで…。

 

 「高校にもなって、まだ漫画かよ!」爆弾

 まだそんな空気はあったと思います。

 

 「右手にジャーナル(朝日ジャーナル)、左手にマガジン」

 そう言われたのは、もう少し後…。

 

 

 情けないですが、学校でも漫画大好きだって、大っぴらには言えてませんでした。

 女の子とは映画や小説の話はしてもね…。

 「映研」はあっても「漫研」などなかった時代。

 

 私、通学に片道1時間以上も掛かってましたので、帰宅途中、車中でひとりになるとこっそり鞄に忍ばせておいた「サンデー」だか「マガジン」を読んだりしてました。

 

 1,2年とちゃんと運動部の部活はやってましたので、本格的に受験勉強を始めたのは3年生の夏頃…しかも中心は深夜。星空

 振り返ると、結構集中力あったと思います。

 深夜放送の音楽音譜流しながら…でも、やることはやってました。

 

 そんな1965,6年の音楽シーン音譜

 以前「1966年」に特化してここでも書いたことがありますが…。

 ※「耄碌妄想日記」No.16&17…「わが青春の1966」参照。

 

 邦楽は「加山雄三」「荒木一郎」…そしてGSブームの始まり…。

 「御三家」もまだまだ人気があったし…クラッカー

 フォークもムード歌謡も…ま、バラエティにとんでいて…

 

 洋楽は「ベンチャーズ」以降…

 やはり「ビートルズ」「ローリングストーンズ」

 「ボブ・ディラン」「サイモン&ガーファンクル」等々

 その頃は、既にギターも少々弾いたりしてました。ギター

 

 そんな数々の音楽と共に「漫画」も大切な息ぬきでした。

 

 ああ!想い出しちゃった…「息ぬき」なんて言うから…。

 「青柳裕介」のあの「いきぬき(COM)」と出逢うのはもう少し後…。

 

 当時、まだ「COM」も、多くのいわゆる青年誌も創刊直前。

 「ガロ」は既に出ていましたが、以前、お話ししたようにまだ手にはしていません。

 

 要するに、さすがに「サンデー」「マガジン」では物足らない自分がいました。

 「白土三平」「カムイ外伝(第1部)「ワタリ」も終了。

 「伊賀の影丸(横山光輝)「赤影」に変わり

 「オバQ(藤子不二雄)「パーマン」に変わりましたが、夢中になれる筈もなく…

 特に「少年サンデー」にはその物足らなさを感じていました。

 まだ夢中で読んでいては、それはそれで問題だったかも…。叫び

 

 比較をすれば…

 「パットマンX(ジョージ秋山)」「幻魔大戦(石森章太郎)

 「無用の介(さいとう・たかを)「マガジン」の方が多少…。

 「バカボン(赤塚不二夫)も始まってましたしね。

 そして「あしたのジョー」も…。

 

 ともかく正直…大学受験もあり、やや漫画熱が冷めていた頃…

 やがてすぐにその反動が来るのですが…。

 

 実は当時、もう1冊購読していた「雑誌」がありました。

 なけなしのおこづかいで買っていた月刊誌。

 「ボーイズライフ(小学館)

 漫画雑誌ではなく、青少年向けの総合誌?

 

 しかし、漫画も数本掲載されており

 私の目当ては「さいとう・たかを」の「007シリーズ」

 この頃の「さいとう・たかを」&「さいとうプロ」はほんと凄かった!クラッカー

 

 私が買っていた1965,66年頃には他に…

 「片目猿(横山光輝)」「蛟龍(横山光輝)」「いじわる教授(赤塚不二夫)」「1の1の1(森田拳次)など少年誌とは一線を画す作品が…。

 時期は違いますが、「白土三平」「小島剛夕」「篠原とおる」「ケン月影」なども連載していた筈です。

 

 後の「ビッグコミック」の創刊の礎となった…そんな雑誌でした。

 

 「ボーイズライフ」の想い出をもうひとつ…。

 当時の人気だった「ショートショート」の投稿コーナーがありました。

 選者は「星新一」「小松左京」

 私…佳作か入選で作品が本誌に掲載され、何かもらいました…。目がハート

 SF作家になれるかも…うっかりそんなことも頭を過った頃でした。

 

 さあ、ところで受験ですが…

 動機が不純のため「早稲田第2文学部」はあえなく不合格。ドクロ

 要領良く、地元の国公立、現役で通ったんでやれやれ…。汗

 

 やがてやって来る「青年誌」ブームを迎え撃つことになります。

 

 そんな1968年の春でした。

 

 

 あくまで「全力漫画少年という訳で、これは私のおよそ二十歳頃までの漫画三昧の顛末。

 次からはほぼ最終コーナー。

 そして直線は長い予感がしますが…

 Chapter3

 青年誌は荒野をめざす

 パクり気味のタイトルにて、少し間をおいた後、再スタートします。。

 

 それまで他企画でお茶を濁しますんで

 よろしく哀愁!

 

 

 

序章「Kiss篇」

その1

 

~♪それはァそれは キッスで~

 キッスで始まったァ~

 ※詞・なかにし礼

 

 …相変わらず、音源を貼らない不親切極まりない音楽コラム…。ドクロ

 

 遥か昔の「歌」音譜に纏わる想い出話…懐古趣味そのものではあるのですが…

 「今」に繋がる「何か」があることを信じて…。

 

 で、今回のテーマは「くちづけ」…「キス」です。

 基本、ラブソングラブラブになる訳ですわね…。

 

 タイトルはともかく、歌詞にこの「くちづけ」「キス」を含む曲。

 歌詞検索したら無限に出てきそう…。

 「接吻」という表現もある訳ですが、これはほとんど「くちづけ」「キス」と読ませます。

 「せっぷん」って読ませるのって、ない訳ではないでしょうが…

 「デーモン閣下」あたりの曲にあったような、そんな気が…悪魔の儀式っぽいし…

 違うか!ドクロ

 

 さ~て…近年、個人的にはとんと縁のない「くちづけ」ぐすん

 相方がいる訳でできない訳ではないのですが…

 ああいうのは日常的にやりつけないとね…

 何と言うか…今更と言うか…妙にテレて…でもって、いきなりすれば何か張り倒されそうで…。爆弾

 

 で、一応「青春の…」と銘打っておるのですが…う~ん

 私の青春前期…「くちづけ」など、まだまだ、そのシチュエーションを含め、只の憧れラブラブ

 昭和の中高生なんてそんなものですって!

 

 まあ、そんな憧れを描いて見せてくれた「歌」の数々。

 

 記憶だよりですが、思いつくまま並べてみようと…。

 思いつくって言うことは、印象に残ってるっていうことで…。

 

 その記憶を辿ると…日本の楽曲、圧倒的に「キス」より「くちづけ」使用率が高い気がします…多分。

 

 違いっていうのは、どっちか言えば、ちょっと「キス」の方が軽い感じなのかなァ…?

 それと何と言っても「詞」ですから、七五調基本の日本の「詞」のおさまりを考えた場合、文字数の違いって大きいのかも…。

 

 その昔…戦前なんて、おそらくキスなんて淫靡(いんび)なもの、こっそり楽しむもの?…

 大っぴらに口にするのも憚(はばか)られる…そんな時代です。

 戦後、それが変わったのはやはりアメリカ文化…

 映画はもちろん、アメリカンポップス…オールデイズなんかの影響は大きかったと思いますね。

 

 ちなみに、映画「風と共に去りぬ」の制作は1939年

 第2次大戦が始まった年ですね。爆弾

 日本映画最初のキスシーン…

 1946年公開された「はたちの青春」らしいのですが、私はまだ生まれてもおりません。

 それよりも、伝説のように語り継がれている、いわゆるガラス越しのキスシーン。

 1950年「今村正」監督の「また逢う日まで(東宝)

 これが反戦映画であったこと…。

 むろん、リアルタイムでは観ていませんが…。

 

 その後、今日に至るまでの「キスシーン」の隆盛?…何じゃ!それ?

 

 それでも、ガラス越しならぬ、病室のビニールカーテン越し…

 映画「世界の中心で愛を叫ぶ(2004・東宝)

 サク「森山未來」とアキ「長澤まさみ」のキスキスマーク

 若かった二人…胸に迫るものがありましたよね…。

 

 その他、私たちが目にした名キスシーンは枚挙に暇がありませんが

 敢えてもうひとつだけ、懐かしいところを…

 

 (山口智子)「何しに来たの?」

 瀬名(木村拓哉)「キスしに来た…」

 

 台詞だけ憶えてるけど、この後、はたしてキスシーンってあったのか?

 ああ!これも「南」だった!

 「北川悦吏子」渾身の「ロングバケーション(1996・フジ)…。

 「木村拓哉」の俳優としての原点はこれでしょうね…。

 

 

 さて…音楽の話を始めます…。音譜

 

 繰り返しますが…

 さりげなく…という訳でもないのですが、「キス」「くちづけ」といった言葉が耳に馴染んでいく上で、大きなきっかけとなったのが、当時(1950,60年頃)の洋楽音譜の数々。

 特に日本語に訳され、日本人歌手が唄ったヒットメロディ…。

 

 えー…もちろん、個人的な私の感覚ですが…。

 

 1961年、「ポール・アンカ」のヒット曲

 ♪Kissin’On The Phone 電話

 ♪電話でキッスキスマークですね。

 

 カバーは「ダニー飯田とパラダイスキング」

 通称「パラキン」 当時の大人気バンドギター

 …一時「坂本九」もいたりしました。

 

♪今日は どうしてぇ

 あの娘(コ)と 逢えないんだろう~ いうやつですね。

 ※訳詞・漣健児

 

♪やっぱりね 電話じゃものたりない~

 …って、そりゃそうだわねって言う話なんですが。

 

 しかし、おとうさん、おかあさん!

 想い出してみてください!

 ある筈です…1回や2回は…受話器に向かって、間抜けな顔して「Chu!キスマークなんて…。

 いやいや、今の若い方だって…

 しばらっくれても‥え!…しらばっくれても無駄です!爆弾

 「スマホ」だって同じこと、ネタは上がってんだよぉ!DASH!

 さっさと吐いたらんかい!

 

 ま、「LINE」で「おやすみ」キススタンプキスマーク入れるようなもんですね…。

 

 

 同じく1961年、こちらはイタリア「サンレモ音楽祭」…。

 戦後1951年から現在も続いているポピュラーソングの音楽祭。

 

 1964年の大賞♪夢見る想い(ジリオラ・チンクェッティ)とか

 1965年の♪君に涙とほほえみを(ボビー・ソロ)とか懐かしいですけど…

 

 これは1961年…大賞ではありませんが

 「アドリアーノ・チェレンターノ」が唄った

 ♪24000のキッスキスマーク

 

 情熱的と言うか何と言うか…つまり、1秒に1回のキスを1日続ければ

 24,000回もしちゃうもんね!という歌。

 しかし、どう考えても計算が合いまへん!叫び

 

 1時間に1000回だと…う~ん

 

 と、ともかく、ドリンキングバードの如く、頚椎捻挫を恐れず、1日中、チュッチュ、チュッチュキスマークしまくるということでしょうか?

 唇、たらこ状態、必至!叫び

 

 しかしこの曲、日本でもヒットしました。

 

♪恋をしたなら キッス

 愛し合うなら キッス

 スキスキスキのキッス~

 ※訳詞 荒井基裕

 

 ♪スキスキスキのキッス~って…

 

 唄ったのは「藤木孝」

 当時「ツイスト男」と異名をとったロカビリーシンガー。

 その後、ミュージカルなど俳優に転身、

 「必殺シリーズ」では何度も主水(藤田まこと)に殺されてましたね。

 あの「やすらぎの郷」にも出演…その少し後、2020年に亡くなっています。

 

 これだけ「キス!キス!キスマークと連呼されれば、私ら免疫力もつくというもの…。

 

 そして1962年

 「フランク・シナトラ」の娘「ナンシー」が唄った♪Like I Do

 本国アメリカではそれほどのヒットはなかったようですが…

 何故かイタリア、オランダ、そして日本では大ヒット!クラッカー

 

 「みナみ・カズみ(安井かずみ)」が訳詞した日本語タイトルが

 レモンのキッスキスマーク

 

♪恋をしたぁ 女の子

 誰でもがぁ 好きなこと~

 

 目をとじて しずかに待つぅ

 甘いレモンの キッスよ~

 

 「待つ…」言うたかて、あんさん!

 恋をすることが前提なんで、わてにはリアリティはおまへん!

 

 「ザ・ピーナッツ」が唄ってました。

 

 ともかく、ちょっぴりすっぱくて、あまいレモンのキッス

 

 「幼い恋(初恋)」「レモン」そして「キス」キスマーク

 この青春の三題噺

 爽やかなイメージがこの曲で見事に創り上げられた訳です。

 

 当時、普通の家庭の食卓にレモンが置かれていた記憶はありません。

 レモン果汁的なものがあったくらいです。

 

 その後、普及した生のレモンを知る訳ですが…

 いったいどこが甘いのやら!叫び

 ちょっぴりどころか、モロすっぱいやん!

 

 そう思ったものの、その愛らしいシルエット、色、香りなどは

 ♪レモンのキッスキスマークのイメージを損ねるものではありませんでした。

 

 

 この「Kiss」篇

 「キッス」であったり「キス」だったりしますが…

 もう何曲か取り上げてみます。

 

 以下次週!