たびたびのご訪問
誠にありがとうございます
「耄碌妄想日記」
日曜版です。
過ぎし日の
義理チョコさえも
懐かしく
彦六
「義理チョコ」
季語にはないんでしょうね…。
えー…突然ですが…
♪くち~づけの その後で
おしゃべりは
しない~で~…
詞・阿久悠
おとうさん!
日曜版…今週より久々の
「青春の○○ソング考」
今回のテーマは
「くちづけ」ですってよ!
最近、してはります?
♪好きよぉ 好きだから
帰れない
あなたを のこし~
でしたっけ?
う~ん…
桜田淳子?…多分…
「張り形」の説明、しませんけど…
ネタに困ると
下ネタ率は増加の傾向が…
これは品性のなせる技
う~ん
どうせなら
もう少々品の良い…
知的な下ネタを目指さねば…
そう思う今日この頃…。
何じゃ!それ…
第2章
「豊饒の海へ」
群雄割拠~漫画誌戦国時代
その14
少し前後しますが…
1965年、高校入学です。
前回お話しした「あしたのジョー」の連載開始は、1967年の年末。
年が明ければ大学入試の年、私大の試験はほぼ始まる寸前の時期。
久々におもしろそうなのが、えらい時に始まってくれちゃって…。
ま、「少年サンデー」「少年マガジン」の購読は一応継続中なんで…。
「高校にもなって、まだ漫画かよ!」
まだそんな空気はあったと思います。
「右手にジャーナル(朝日ジャーナル)、左手にマガジン」
そう言われたのは、もう少し後…。
情けないですが、学校でも漫画大好きだって、大っぴらには言えてませんでした。
女の子とは映画や小説の話はしてもね…。
「映研」はあっても「漫研」などなかった時代。
私、通学に片道1時間以上も掛かってましたので、帰宅途中、車中でひとりになるとこっそり鞄に忍ばせておいた「サンデー」だか「マガジン」を読んだりしてました。
1,2年とちゃんと運動部の部活はやってましたので、本格的に受験勉強を始めたのは3年生の夏頃…しかも中心は深夜。
振り返ると、結構集中力あったと思います。
深夜放送の音楽流しながら…でも、やることはやってました。
そんな1965,6年の音楽シーン。
以前「1966年」に特化してここでも書いたことがありますが…。
※「耄碌妄想日記」No.16&17…「わが青春の1966」参照。
邦楽は「加山雄三」「荒木一郎」…そしてGSブームの始まり…。
「御三家」もまだまだ人気があったし…
フォークもムード歌謡も…ま、バラエティにとんでいて…
洋楽は「ベンチャーズ」以降…
やはり「ビートルズ」「ローリングストーンズ」…
「ボブ・ディラン」「サイモン&ガーファンクル」等々
その頃は、既にギターも少々弾いたりしてました。
そんな数々の音楽と共に「漫画」も大切な息ぬきでした。
ああ!想い出しちゃった…「息ぬき」なんて言うから…。
「青柳裕介」のあの「いきぬき(COM)」と出逢うのはもう少し後…。
当時、まだ「COM」も、多くのいわゆる青年誌も創刊直前。
「ガロ」は既に出ていましたが、以前、お話ししたようにまだ手にはしていません。
要するに、さすがに「サンデー」「マガジン」では物足らない自分がいました。
「白土三平」の「カムイ外伝(第1部)」も「ワタリ」も終了。
「伊賀の影丸(横山光輝)」は「赤影」に変わり
「オバQ(藤子不二雄)」は「パーマン」に変わりましたが、夢中になれる筈もなく…
特に「少年サンデー」にはその物足らなさを感じていました。
まだ夢中で読んでいては、それはそれで問題だったかも…。
比較をすれば…
「パットマンX(ジョージ秋山)」「幻魔大戦(石森章太郎)」
「無用の介(さいとう・たかを)」の「マガジン」の方が多少…。
「バカボン(赤塚不二夫)」も始まってましたしね。
そして「あしたのジョー」も…。
ともかく正直…大学受験もあり、やや漫画熱が冷めていた頃…
やがてすぐにその反動が来るのですが…。
実は当時、もう1冊購読していた「雑誌」がありました。
なけなしのおこづかいで買っていた月刊誌。
「ボーイズライフ(小学館)」
漫画雑誌ではなく、青少年向けの総合誌?
しかし、漫画も数本掲載されており
私の目当ては「さいとう・たかを」の「007シリーズ」。
この頃の「さいとう・たかを」&「さいとうプロ」はほんと凄かった!
私が買っていた1965,66年頃には他に…
「片目猿(横山光輝)」「蛟龍(横山光輝)」「いじわる教授(赤塚不二夫)」「1の1の1(森田拳次)」など少年誌とは一線を画す作品が…。
時期は違いますが、「白土三平」「小島剛夕」「篠原とおる」「ケン月影」なども連載していた筈です。
後の「ビッグコミック」の創刊の礎となった…そんな雑誌でした。
「ボーイズライフ」の想い出をもうひとつ…。
当時の人気だった「ショートショート」の投稿コーナーがありました。
選者は「星新一」と「小松左京」。
私…佳作か入選で作品が本誌に掲載され、何かもらいました…。
SF作家になれるかも…うっかりそんなことも頭を過った頃でした。
さあ、ところで受験ですが…
動機が不純のため「早稲田第2文学部」はあえなく不合格。
要領良く、地元の国公立、現役で通ったんでやれやれ…。
やがてやって来る「青年誌」ブームを迎え撃つことになります。
そんな1968年の春でした。
あくまで「全力漫画少年」という訳で、これは私のおよそ二十歳頃までの漫画三昧の顛末。
次からはほぼ最終コーナー。
そして直線は長い予感がしますが…
Chapter3
青年誌は荒野をめざす…
パクり気味のタイトルにて、少し間をおいた後、再スタートします。。
それまで他企画でお茶を濁しますんで
よろしく哀愁!
序章「Kiss篇」
その1
~♪それはァそれは キッスで~
キッスで始まったァ~
※詞・なかにし礼
…相変わらず、音源を貼らない不親切極まりない音楽コラム…。
遥か昔の「歌」に纏わる想い出話…懐古趣味そのものではあるのですが…
「今」に繋がる「何か」があることを信じて…。
で、今回のテーマは「くちづけ」…「キス」です。
基本、ラブソングになる訳ですわね…。
タイトルはともかく、歌詞にこの「くちづけ」「キス」を含む曲。
歌詞検索したら無限に出てきそう…。
「接吻」という表現もある訳ですが、これはほとんど「くちづけ」「キス」と読ませます。
「せっぷん」って読ませるのって、ない訳ではないでしょうが…
「デーモン閣下」あたりの曲にあったような、そんな気が…悪魔の儀式っぽいし…
違うか!
さ~て…近年、個人的にはとんと縁のない「くちづけ」。
相方がいる訳でできない訳ではないのですが…
ああいうのは日常的にやりつけないとね…
何と言うか…今更と言うか…妙にテレて…でもって、いきなりすれば何か張り倒されそうで…。
で、一応「青春の…」と銘打っておるのですが…う~ん
私の青春前期…「くちづけ」など、まだまだ、そのシチュエーションを含め、只の憧れ…
昭和の中高生なんてそんなものですって!
まあ、そんな憧れを描いて見せてくれた「歌」の数々。
記憶だよりですが、思いつくまま並べてみようと…。
思いつくって言うことは、印象に残ってるっていうことで…。
その記憶を辿ると…日本の楽曲、圧倒的に「キス」より「くちづけ」使用率が高い気がします…多分。
違いっていうのは、どっちか言えば、ちょっと「キス」の方が軽い感じなのかなァ…?
それと何と言っても「詞」ですから、七五調基本の日本の「詞」のおさまりを考えた場合、文字数の違いって大きいのかも…。
その昔…戦前なんて、おそらくキスなんて淫靡(いんび)なもの、こっそり楽しむもの?…
大っぴらに口にするのも憚(はばか)られる…そんな時代です。
戦後、それが変わったのはやはりアメリカ文化…
映画はもちろん、アメリカンポップス…オールデイズなんかの影響は大きかったと思いますね。
ちなみに、映画「風と共に去りぬ」の制作は1939年。
第2次大戦が始まった年ですね。
日本映画最初のキスシーン…
1946年公開された「はたちの青春」らしいのですが、私はまだ生まれてもおりません。
それよりも、伝説のように語り継がれている、いわゆるガラス越しのキスシーン。
1950年の「今村正」監督の「また逢う日まで(東宝)」。
これが反戦映画であったこと…。
むろん、リアルタイムでは観ていませんが…。
その後、今日に至るまでの「キスシーン」の隆盛?…何じゃ!それ?
それでも、ガラス越しならぬ、病室のビニールカーテン越し…
映画「世界の中心で愛を叫ぶ(2004・東宝)」
サク「森山未來」とアキ「長澤まさみ」のキス。
若かった二人…胸に迫るものがありましたよね…。
その他、私たちが目にした名キスシーンは枚挙に暇がありませんが
敢えてもうひとつだけ、懐かしいところを…
南(山口智子)「何しに来たの?」
瀬名(木村拓哉)「キスしに来た…」
台詞だけ憶えてるけど、この後、はたしてキスシーンってあったのか?
ああ!これも「南」だった!
「北川悦吏子」渾身の「ロングバケーション(1996・フジ)」…。
「木村拓哉」の俳優としての原点はこれでしょうね…。
さて…音楽の話を始めます…。
繰り返しますが…
さりげなく…という訳でもないのですが、「キス」「くちづけ」といった言葉が耳に馴染んでいく上で、大きなきっかけとなったのが、当時(1950,60年頃)の洋楽の数々。
特に日本語に訳され、日本人歌手が唄ったヒットメロディ…。
えー…もちろん、個人的な私の感覚ですが…。
1961年、「ポール・アンカ」のヒット曲
♪Kissin’On The Phone
♪電話でキッスですね。
カバーは「ダニー飯田とパラダイスキング」
通称「パラキン」 当時の大人気バンド
…一時「坂本九」もいたりしました。
♪今日は どうしてぇ
あの娘(コ)と 逢えないんだろう~ いうやつですね。
※訳詞・漣健児
♪やっぱりね 電話じゃものたりない~
…って、そりゃそうだわねって言う話なんですが。
しかし、おとうさん、おかあさん!
想い出してみてください!
ある筈です…1回や2回は…受話器に向かって、間抜けな顔して「Chu!」なんて…。
いやいや、今の若い方だって…
しばらっくれても‥え!…しらばっくれても無駄です!
「スマホ」だって同じこと、ネタは上がってんだよぉ!
さっさと吐いたらんかい!
ま、「LINE」で「おやすみ」のキススタンプ入れるようなもんですね…。
同じく1961年、こちらはイタリア「サンレモ音楽祭」…。
戦後1951年から現在も続いているポピュラーソングの音楽祭。
1964年の大賞♪夢見る想い(ジリオラ・チンクェッティ)とか
1965年の♪君に涙とほほえみを(ボビー・ソロ)とか懐かしいですけど…
これは1961年…大賞ではありませんが
「アドリアーノ・チェレンターノ」が唄った
♪24000のキッス
情熱的と言うか何と言うか…つまり、1秒に1回のキスを1日続ければ
24,000回もしちゃうもんね!という歌。
しかし、どう考えても計算が合いまへん!
1時間に1000回だと…う~ん
と、ともかく、ドリンキングバードの如く、頚椎捻挫を恐れず、1日中、チュッチュ、チュッチュしまくるということでしょうか?
唇、たらこ状態、必至!
しかしこの曲、日本でもヒットしました。
♪恋をしたなら キッス
愛し合うなら キッス
スキスキスキのキッス~
※訳詞 荒井基裕
♪スキスキスキのキッス~って…
唄ったのは「藤木孝」。
当時「ツイスト男」と異名をとったロカビリーシンガー。
その後、ミュージカルなど俳優に転身、
「必殺シリーズ」では何度も主水(藤田まこと)に殺されてましたね。
あの「やすらぎの郷」にも出演…その少し後、2020年に亡くなっています。
これだけ「キス!キス!」と連呼されれば、私ら免疫力もつくというもの…。
そして1962年…
「フランク・シナトラ」の娘「ナンシー」が唄った♪Like I Do。
本国アメリカではそれほどのヒットはなかったようですが…
何故かイタリア、オランダ、そして日本では大ヒット!
「みナみ・カズみ(安井かずみ)」が訳詞した日本語タイトルが
♪レモンのキッス
♪恋をしたぁ 女の子
誰でもがぁ 好きなこと~
目をとじて しずかに待つぅ
甘いレモンの キッスよ~
「待つ…」言うたかて、あんさん!
恋をすることが前提なんで、わてにはリアリティはおまへん!
「ザ・ピーナッツ」が唄ってました。
ともかく、ちょっぴりすっぱくて、あまいレモンのキッス
「幼い恋(初恋)」「レモン」そして「キス」
この青春の三題噺…
爽やかなイメージがこの曲で見事に創り上げられた訳です。
当時、普通の家庭の食卓にレモンが置かれていた記憶はありません。
レモン果汁的なものがあったくらいです。
その後、普及した生のレモンを知る訳ですが…
いったいどこが甘いのやら!
ちょっぴりどころか、モロすっぱいやん!
そう思ったものの、その愛らしいシルエット、色、香りなどは
♪レモンのキッスのイメージを損ねるものではありませんでした。
この「Kiss」篇
「キッス」であったり「キス」だったりしますが…
もう何曲か取り上げてみます。
以下次週!