おこしやす!
「楓坂四駒堂」
手代・彦六でおます。
日・木 0時に参上致します
本年も御贔屓、どうぞ宜しゅうに…。
で…本日は
「日曜ロードショー」
あの壮大なファンタジーが
あまりにせこい「指輪物語」に…
当人も絶句!
何と言うか、ネタでタイトルを探したって感じ…。
こういうのはどうも…ですけどね
しかし、日常の中のファンタジーって
案外、こんなものなのかも…。
取り敢えず…
少しハートウォーミングな
エピソードに
仕立ててみましたが…
第2章
「豊饒の海へ」
Chapter2
群雄割拠~漫画誌戦国時代
その11
「W3」事件がもたらしたもの…
それは移籍した「週刊少年サンデー」に対する改めてのライバル心。
打倒「サンデー」は「週刊少年マガジン」の誌面を新たな変革に導いていきますが
その話はいずれまた…。
ま、それにも些か関わることではあるのですが…
当時の「野球漫画」について。
「野球漫画」と言うと、私の場合、「水島新司」の以前と以後という括り方になるのですが…。
で、今回取り上げる「巨人の星」は、その「水島新司」以前の代表的な作品。
子供たちにとっても「野球」は大人気スポーツ。
前にも取り上げた「井上一雄」の「バット君(1948~)」を始め、多くの野球漫画が漫画雑誌の誌面を賑わしてきました。
それは子供たちの生活とともにある野球。
私自身も小学校高学年は野球部に所属…てへ!
何しろ左利きだったので、貴重なサウスポー、貴重な左バッター。
多少のヘタレでもなんとかやれていました。
各少年雑誌をにぎわせた「野球漫画」
当然、その背景には当時から人気があったプロ野球、6大学野球、高校野球があった訳ですが…。
私もその頃は「長嶋茂雄」命。
悪魔でも…いえ!あくまでも、その頃は…だったという話。
少し以前したお話と重複しますが…
子供たちにも人気者ということで、例えば、その「長嶋茂雄」物語などプロ野球選手の半生を描いた実録漫画も多々ありました。
こうした中で、斬新で画期的な試みをしたのが…「寺田ヒロオ」の「スポーツマン金太郎(週刊少年サンデー)」。
オリジナルのキャラクターたちが実在する「プロ球団」で活躍するというスタイル。
当然、そこには実在のプロ野球選手も登場し、更なる人気を呼ぶ。
言わば、漫画とプロ野球界のWIN2の関係。
後々、「ドカベン」「あぶさん」にも繋がっていきますね。
同様の設えで、1961年より「週刊少年マガジン」で連載されたのが
「福本和也」原作の「ちかいの魔球(画・ちばてつや」)。
当時では「マガジン」史上、最大のヒット作。
何と言ってもこれはやはり、「野球」そのものを、きちんと描きこんだ「ちばてつや」の熱を帯びた画力。
そして、その後ひとつのブームともなった「魔球」の登場。
この人気作を再び!
1967年、「マガジン」編集部は「ちかいの魔球」を凌ぐ野球漫画を!
その構想の実現に白羽の矢を立てたのが「梶原一騎」。
ご存じのように「梶原一騎」はそもそも小説家。
ボクシング、プロレスなど格闘技の世界を描いていました。
漫画原作者へのきっかけは、プロレス漫画「チャンピオン太(1962~・画・吉田竜夫・週刊少年マガジン)」。
このヒットという要因があり、「マガジン編集部」はこの新たな「野球漫画」の命運を彼に託し…結果、これが功を奏し「野球漫画」の代名詞とも言われるようなメガヒット作「巨人の星(画・川崎のぼる)」が誕生する訳です。
「梶原一騎」は「漫画原作者」の第一人者としての圧倒的な存在感を世に知らしめることになります。
「巨人の星」はそうやって生まれた漫画でした。
「野球」を格闘技として描く。
こんなの「野球漫画」じゃないだろ?
そういう声もあったと思います。
「梶原一騎」のバックボーンは、戦前からの「少年倶楽部(講談社)」の熱血少年小説の世界…血わき、肉躍る、汗と魂の物語。
後に「スポ根(スポーツ根性もの)」と呼ばれる世界観のルーツでもあります。
したがって、この「巨人の星」にも、あの時代でさえ、大仰な、時代錯誤的な言い回しの台詞が登場したりします。
例えばですね…ライバル「左門豊作」の言葉…
「星君!この左門、君の熱い友情に感謝する!」
…正確ではないと思いますが…こんな感じってことです。
「この左門…」と、自身の名前を殊更入れ込む。
あの時代でも、こんな芝居じみた言い回し、実際使う人はいなかった筈…。
ま、これは「梶原一騎」流の様式美だったんだと思います。
ともあれ、「野球」の「真剣勝負」を中心に、多彩な登場人物にきめ細かくスポットを当て、まるで「大河小説」のようにいくつもの物語を紡いでいく。
主たる登場人物の恋模様まで含め…。
当時の世相、現実社会の実際のあり様を織り交ぜつつ…
「梶原一騎」の剛腕ですね。
繰り返しますが、好みの別れる作家ではありました。
私が当時から感心していたのは…
「タイトル」の秀逸さ…
「巨人の星」ですもん!
そして何より、登場人物たちにネーミングのすばらしさ。
「星一徹」「星飛雄馬」親子。
「伴宙太」「左門豊作」に「花形満」。
もう「左門」は「左門」しかあり得ないですよね?
挙げたらキリがないですが…
「矢吹丈」に「力石徹」
ついでに「愛と誠」…「太賀誠」と「早乙女愛」
おまけに「石清水弘」に「座王権太」。
「蔵王」でなく「座王」ですもん!お客さん!
「ジュニア」よりはるか昔…。
独特のセンス…感性ですね。
そう言えば、白雪姫の「天地真理」ちゃん…
「少年チャンピオン」に1970年から連載された「朝日の恋人(画・かざま鋭二)」のヒロインの名に由来するの芸名だった筈。
「巨人の星」…舞台は当初の高校野球からやがてプロ野球へ。
この「星雲高校」というのも、如何にも「梶原一騎」。
えー…ここでクイズです!
以上のネーミングに比べればごくごく平凡なんですが…
「一徹」の亡くなった妻…つまり「明子」と「飛雄馬」の母親の名前をおぼえていますか?
答はこのコラムの最期に!
物語はこの後、「飛雄馬」の壮絶な野球人生が繰り広げられます…
多くの方がご存じの展開を見せる訳ですが…
はっきり言って、基本はやはり、野球をある種の格闘技に見立てた闘いの物語。
次々現れる、強力なライバルとの命を削った闘いとともに
道を究めようとする己との闘いの物語。
まさに、当初、編集部が狙った昭和版「宮本武蔵」。
このあたりが、「野球漫画」としての「巨人の星」の評価が分かれるところ…。
要は…好みの問題なんですが…。
ここまで書いてなんなんですが…
正直、私には少し苦手な部類でした。…てへへ!
えー…
満載のツッコミどころをあげつらう気は更々ありませんが…
もう一回、「巨人の星」続けちゃいますけど…何か…?
以下、自習…いえ!次週へ
※クイズの答…「星春江」でした。
遥かなるスクリーン
♪星よりひそかに 雨よりやさしく
その5
「赤い蕾と白い花」です…。
「吉永小百合」…これがちょうど30作目の出演映画。
1962年6月段階では、主演映画はまだ10本ほどの頃。
私がこの時点で観ていたのは、そのうち3,4本。
ここでは、それらの出演作品には逐一触れませんが…
今年9月、123本目の映画「こんにちは、母さん」が公開予定です。
「山田洋次」監督作品。
3部作の3作目ということで、おふたりにとってはこれが…。
2007年、NHK「土曜ドラマ」枠でのドラマ版で、あの「加藤治子」が演じた役を、「吉永小百合」が…。
個人的には感無量です…。
さて…「赤い蕾と白い花」…
何とかおぼろげな記憶を辿って…
この時以降、実はそんなに度々、観なおした作品ではありません。
24作目の出演映画「草を刈る娘」と同じく「石坂洋次郎」原作。
舞台は地方から東京には変わりましたが、ただただ明るい青春映画。
と言うより…私は基本、「映画」を観に行っているのではなく、「吉永小百合」を鑑賞に行っている訳ですが…。
内容がシビアな作品もある訳で…
例えばひとつ前の主演作「キューポラのある街」。
初主演の「ガラスの中の少女」とか…。
ま、それはそれとして…
正直、当時の私(中学生)としては…この「赤い蕾と白い花」のように、コンビの「浜田光夫」とひたすらじゃれ合う映画がたまらなく好きでした。
この後で言えば、「青い山脈(1963)」とか「風と樹と空と(1964)」とか
元気溌溂の「吉永小百合」の作品が好きでした。
記憶にある「吉永小百合」はいつも何故か早口で…あれこれ言いつのり
「浜田光夫」は口をとがらせて反論するものの、常にマウントを取られ続けるというポジショニング。
それでも、次第に心が通い合い、恋は熟していく…。
「青春」とはじゃれ合うこと…。
こんな風にじゃれ合う相手が欲しいもんだわ…。
そんな映画を観る度に、中坊の私はそんな妄想を抱いていました。
当時、それが叶わなかったのは…やはりと言うか、当たり前と言うか…
「吉永小百合」のような少女はついぞ現れなかったためです…。
何、言うとるんじゃろ!このおやじ!
少しだけ、この「赤い蕾と白い花」について触れておきます。
「吉永小百合」「浜田光夫」は高校三年生。
それぞれ片親で境遇が似ているというクラスメートル?の設定。
「小百合」には洋裁学校の校長をしている母(高峰三枝子)が…。
「高峰三枝子」はご存じの方はご存じの昭和を通じての大スター。
一方「浜田光夫」には医師の父(金子信雄)が…。
「金子信雄」…
この頃の日活アクション映画では…
後になりますが「そがな昔のこと、誰が知るかい!」…でおなじみ…
あのゲスの極みの「山守組組長(仁義なき戦い)」に通じるような、クセの強い数々の悪役を演じていましたが、この作品では極々普通の父親役を…。
この親同士の恋模様を絡めての、青春コメディ。
「石坂洋次郎」らしい、ちょっときわどい台詞もあり…
家出した二人が、旅館に泊まるというような、少しドキドキするようなシチュエーションもあり…。
その時の「吉永小百合」の「ネグリジェ」って言うか、「ナイトウェア」って言うか…
白いコットンで、小花の柄が入ってて…
それが脳裏に焼き付いています…
困った爺ィですやろ?
しかし…「ネグリジェ」て、思いっきり昭和ですけど、この言葉、まだ生きてます?
「コットンドビードレス」とか言うんでしょうか?
無茶苦茶失礼な気もしますが…「吉永小百合」史上、あの頃が一番セクシーだったと思います。
敢えてゲスな言い方をしますが、成熟する手前…
やはり青い季節…それがほんのり色づいた頃…
多分、どんな女性でもそうかも知れませんね。
それがあの「吉永小百合」ですもん…
欲情をそそられる…などという下世話なレベルではなく…
もう…創られたモノではない…純粋で光り輝くよう良質な色香…
ああ、うまく説明出けしまへん!
ん!想い出した!
「金子信雄」…医者の特権かなんかわかりませんが、ニキビがどうたらと…たしか「吉永小百合」のおでこにチュッしよりましてん!…あれ!違ったかな?
記憶違いかも知れませんが、あの映画で制服姿の記憶はありません。
私服通学ということで…
当時の東京の山の手の高校生は…そうなんだ…とか思いながら…。
ともかく、まだまだこの国全体としては貧しかった時代。
そんな中、生き生きと描かれた、何の屈託もない青春讃歌。
理屈など何もいらない、極上のエンターテイメント。
私は「吉永小百合」の泣いたり笑ったりを…思いっきりデレっとした顔で見つめてました…多分ね。
当時、映画は入替なし。
結局この日は「赤い蕾と白い花」をもう一回!
つまり「小林旭」の「銀座旋風児」ももう一回。
夕飯までにはとても帰れなくて…母にうんと叱られました。
「吉永小百合」の主演映画が多く創られた1961年頃以降…
特に62年、63年は年に10本前後の作品が公開されました。
ほぼ月1ですね。
私は毎月、株主優待券を手に、彼女の主演作を1963年の秋に閉館するまで
この栄町の「名古屋日活」で観続けることになるのです。
「吉永小百合」主演の青春映画についてはいずれまた…。
栄町(栄)の交差点を南に折れれば南大津通なのですが…
次回は名古屋「伏見・納谷橋」あたりの映画館と映画の想い出を…
他地域の皆さん…ほんまにすいません。