耄碌妄想日記 No.13 | 楓坂四駒堂

楓坂四駒堂

4コマ漫画&諸々駄文晒してます。

 

 

 

今回のテーマ曲

♬「この空を飛べたら」 詞・曲 「中島みゆき」

次週4コマは新タイトル「普通の人々」

 

 

 

 

 -序-

 「白く四角い荒野」①

 

 極めて個人的な話から始めます…。

 

 振り返ると…漫画雑誌の定期購読のピークだったのは…

 遥か昔のおそらく1970年前後

 

 因みにその雑誌名を挙げてみますね。

 知る人ぞ知る…月刊「ガロ(青林堂)」「COM(虫プロ)」

 隔週誌「ビッグコミック(小学館)当初月刊」「ビッグコミックオリジナル」

 「ヤングコミック(少年画報社)」「プレイコミック(秋田書店)」「コミックmagazine(芳文社)」など

 で、週刊が「漫画アクション」

 時々「漫画サンデー(実業之日本社)」

 「週刊漫画times(芳文社)」「漫画ゴラク(日本文芸社)」

 

 ともかく、「劇画」「青年漫画」「コミック」というものが漫画界の新たな波を作っていった時期です。

 「コミックmagazine(芳文社)」などもう知る人も少ないんでしょうね。

 

 他にもちろん「少年サンデー(小学館)」「少年マガジン(講談社)」他の少年誌。

 「少年ジャンプ(集英社)」が隔週で発行されたのが1968年。

 

 一方、「樹村みのり」「萩尾望都」「大島弓子」らの登場で、少女漫画雑誌もとても無視できない状況になっていきます。!!

 

 

 さて、そんな時代に遡る前に…。

 

 現状、部屋の一角に漫画雑誌の山が積み上がり、気がつけばその山の数は増していく。

 大きな理由のひとつは諸々と多忙のため、消化が間に合わない…ということ。

 

 実は更にもうひとつは読み終えたにも拘わらず、簡単に捨てられない雑誌が増えていく…という個人的な要因があります。

 

 このコのこの水着は老後(既に老後じゃ!爆弾)の楽しみのために是非取っとくべ!

 表紙・グラビアが捨て難くということもごく稀にはないこともないのですがあせる

 結局あるんかい!!

 

 ま、多くは好きな作家の特に好きな作品の掲載号が捨てられないということです。

 

 おいおい!今時、数か月待てばちゃんと一冊にまとまった単行本が出るんじゃね?

 そのくらい金使えよ!メラメラ

 誰しもそう思いますよね?

 

 問題はソコなんですね。

 ソコってどこだ?という話が今回のメインです…フー。

 

 漫画を描いた経験のある方ならお判りでしょうが

 通常、漫画の原稿と言うものは雑誌サイズ(B5版 182×257mm)の1.2倍

 断ち切りなしとすればB4サイズのケント紙に180×270mmをコマ割りして描いていきます。

 

 つまり生原稿を少し縮小した形で雑誌に掲載され、それを私たちが見ることになります。

 

 ところが単行本となると通常はB6サイズ

 更に原画は縮小されてしまうのです。

 紙質も印刷レベルも上ではあるのですが…。

 何より手に取って読みやすいという利点は百も承知です。

 

 されど…という話です。

 例えば…特に拘って書き込むタイプの漫画家…

 「おやすみプンプン」「浅野いにお」とか…

 「井上雄彦」もそう…挙げたらキリがないですが…。

 「バガボンド」吉岡一門との決闘あたり、原画サイズは無理でも、せめて雑誌サイズで持っていたいと思ってしまうのです。

 

 「大友克洋」もそうした作家のひとりで…

 「アクション」の短編の切り抜きなどかなり長い間ストックしてましたね。

 1984年です

 講談社「ヤングマガジン」編集部が「KCデラックス」として雑誌サイズそのままの「AKIRA」を発行します。

 

 喝采クラッカーをしましたがこれは現在でも稀なケース。

 たまに出ても当然値が張ります。叫び

 

 そうなると切り抜くより雑誌のままで取っておく…当然結果は雑誌の山となる訳です。あせる

 

 つらつら思うに…これは漫画を愛するというよりむしろ、漫画家あるいは漫画家と言う職業に対する尋常ではないリスペクト…極々個人的な思い入れなんだと思います。

 平たく言えば「漫画家オタク」とも言えるんでしょうね…、

 

 ああ…ビックリマーク

 

 何だかとてつもなくつまらない話になってきたような気もするのですが、どうかご辛抱をドンッ

 ここが我慢のしどころです!

 そのうちもう少し何とかします!…う~ん。あせる

 

 ところで今回の表題の「白く四角い荒野」

 何となく何となく何を象徴しているかおわかりですか?

 

 更に言えば特にこの「四角い荒野」

 この言葉にピンと来た方はかなりの年季の入った漫画通

 「右手にジャーナル、左手にマガジン。」と言われた…

 (冒頭に少し触れた)あの漫画雑誌が熱かった時代の風を感じてきた方だと思います。

 

 更に更に遡る1950年代からの爺ィの昔語りを始める前に、もう少しだけこの前書きを続けます。

 

 大丈夫か?自分!ドクロ…と少しよろめきながら次回へ…。

 

 

 

 

1曲目 

♪Johnny Angel

 

 1953年のアメリカ映画「地上より永遠に」

 念の為ですが「ここよりとわに」と読みます。

 

 1941年12月、日本軍による真珠湾奇襲攻撃の舞台、ハワイ・スコフィールド米軍基地での人間模様を描くベストセラー小説の映画化。

 主演の「バート・ランカスター」「デボラ・カー」のキスシーンドキドキ(一応不倫ね。ハートブレイク)が話題になりました。

 とは言え、この映画、観たのはかなり後、十分大人だったしビデオだったんで息をのむというほどではありません。

 

 監督は「フレッド・ジンネマン」

 この作品は第26回アカデミー賞の作品賞・監督賞をはじめ多くの賞を獲得するのですが、助演男優賞はあの「フランク・シナトラ」、そして助演女優賞「ドナ・リード」でした。

 

 その「ドナ・リード」のその後のテレビショー、日本でも1960年前後にほぼ3年にわたって放送されたのが「うちのママは世一」

 ごくごく普通の家庭を舞台にしたホームコメディでした。

 

 まだ日本は、新幹線・オリンピック以前の頃。

当時のこどもたちはこうした数々のテレビ映画によってアメリカ文化と言うものを知る訳です。

 

 焦土と化したこの国が、戦後復興においては皮肉にもアメリカに頼るしかなかった現実がそこにあったのでしょうが、戦争を知らない私たちガキんちょはキッチンにある大型冷蔵庫、その中にあるバケツのようにやたら大きなカップのアイスクリーム、あるいは事あるごとにパイを焼いてくれる美しいママ…そんなアメリカンライフに憧れるのです。

 

 「うちのママは世界一」

 「ドナ・リード」演じる「ドナ・ストーン」の長女「メアリー」を演じた「シェリー・フェブレー」

 彼女が劇中、挿入歌として歌ったのが「Johnny Angel」でした。

 

 現在に至るまで、年に何度かはたまらなく聴きたくなる私にとってのやすらぎの定番曲。

 ある年代以上では誰にも愛された名曲です。

 

 そして齢甲斐もなく、聴く度に、恋に恋したあの頃のあの甘酸っぱい胸キュンラブラブが、じんわり蘇ってくる魔法の1曲なのです。

 

 それ程ピュアでシンプルで一途なドキドキラブソング

 以降、ラブソングの名うての名手たち…「ユーミン」から「あいみょん」に至るまで、この曲を超える楽曲を私には見つけ出せません。

 

 ハートマーク満載でご紹介した、そんな♬Johnny Angelです。

 

 

 ※週1ということで気まぐれな新コーナーの一つです。

 YOU TUBEなんかを貼り付けるのが本当は親切なんでしょうが…名曲はそんなに楽して聴いちゃダメです!…なんちって!!

 ううっ!爺ィの妄言・暴言だわ…。ドクロ

 

 以後、ふと思いついた時に不定期に続けます

  「ドラマの中の名曲たち」です

…どうぞよろしく哀愁列車!何じゃ?そりゃ!

 

 最後に何となく言ってみたかった言葉

 「また来週!」

 

 楓坂四駒堂 手代 彦六