かなり慌ただしい足音が扉の向こうから聞こえて来る。
と同時に自分の名を呼ぶ声も聞こえてくる。
「チェッ、チェッチェ、チェ・ヨ―――ンっ」
バンッと道場の扉が乱暴に開かれた。
そして―――
「ねっ、ねぇ、チェ・ヨン。ヨン、こっこれ―――」
兵士に手ほどきをしていたところに、言葉と同時に飛び混んできたウンス。
走ってきたため息を切らし、いつもはまろやかに白い肌が土で黒く汚れている。
手には臙脂色の布に包まれた長い物を手に大事そうに抱え持っていた。
急に飛び込んできた医仙に、稽古を受けていた村の兵士は驚き動きを止める。
チェ・ヨンも振り上げた木刀を構えたまま声の方に振り返った。
「イムジャ?」
「ごめんなさい。練習の邪魔して、でも急用なのよ」
許してね。と兵士へ手を合わせ駆け、チェ・ヨンの前に飛びつくように立ち。
「走ってはならぬと云っておろう」
乱雑なウンスの動きに慌ててその身体を受け止め、背後にはイムジャに付添いいたテマンが申し訳なさそうに頭を下げていた。
こうも興奮したイムジャを止められる者はそう居ない。
仕方ないだろう。
そのためテマンを責めるのは間違いであることは知っており、チェ・ヨンはテマンに向かい小さく頷き腕の中のウンスを見た。
「チェ・ヨン、これよ、これを見て頂戴」
チェ・ヨンの心配には気にも留めず、手にした赤い布に包まれたものを早く見てとばかりに興奮し押し付けられる。
そのウンスの様子に、何事か?と思いその物を確認するため、手にした物の紐を解き外し布を開けると...
「これは――」
「そうよね?合ってるわよね。あのひと。あの人の物よね?」
違う?合ってるでしょう?間違いないでしょう。
イムジャの眸がワクワクとして訴えかけてくる。
そのウンスにヨンはその包みの中身を手に持ち良く見て顔を上げる。
「ええ、おれもあの方の物だと思います」
でしょう!
「やっぱり!あのタムドクさんの物よね。そしてこの矢はきっとスジニさんのもの」
包まれていたのは、ずっしりと重く、見事な彫刻が施された長い剣と、1本の矢であった。
そのどちらも見覚えがあるものであった。
チェ・ヨンはその剣を確認するように握り剣身を鞘から抜き、目の前にかざし、剣身に文字が刻まれていることに気付く。
その在る文字は...
――高句麗第19代王 広開土王
その文字にチェ・ヨンは眉をピクリと上げてウンスへと振り返る。
「――イムジャ、もしや知っておいでだったか」
チェ・ヨンが云わんとすることにウンスは曖昧に頷きを返した。
「知ってた、というか、気付いたというか...わたしの居た時代で語り継がれた人物の名前だったし――」
でも、まぁそれはチェ・ヨン、貴方もなんだけどね。
ウンスは何とも言えない顔になり。
そして、かく言うわたしもチェ・ヨンの妻としては歴史上の人物になる訳で・・・
って思うと、何とも云えず。
そんな思いを払う様にフルッと頭を振りチェ・ヨンへと振り返って。
「それとなのよ、布に包まれて、こんな手紙もあったの」
ウンスは巻物をチェ・ヨンに手渡した。
「タムドクとスジニって言葉がなんとか読み取れるんだけど、後は達筆すぎてわたしには難しくて」
やっぱリ漢字はまだまだ苦手なのよ。
ウンスは恥ずかし気に頬を染め首をすく肩を上げる。
そんな仕草をするウンスの様相に、チェ・ヨンの頬がかすかに緩み甘い顔を見せた。
ざわざわ――
そのテホグン(大護軍)の様子に、さっきまで手ほどきを受けていた兵士たち。
この数年、年に数回この地にいらっしゃったときに手解きを受けるなか、仲睦まじい姿をよく見かけてはいたが、テホングン(大護軍)の甘い顔は間近でそうは見られない。
その中でも、新米兵士から少しざわつきが起こる。
ふたりが夫婦であることは知っているが、鬼神と云われるほどのテホグン(大護軍)が、自分たちには滅多に見せない表情を見て。
端正であるが冷たい表情がたおやかに柔らかく解ける様は、何とも云えない表情で...
テホグン(大護軍)はそんな新米兵の様子に構うことなく、ねえ、これ読んで頂戴とばかりに見上げる。
そのウンスの汚れた頬を親指でグイッと汚れを拭い。
その事で自身の頬が汚れていることに教えられたウンスが、自らの着物の袖でゴシゴシとチェ・ヨンが拭った場所を擦る。
この国の国宝である医仙の仕草や表情が、何とも云えず可愛らしい。
今度は医仙であるウンスに対し兵士の視線が集まり...
先ほどの自身に対する視線には反応を示さなかったテホグン(大護軍)が、ピクリと力強い眉を跳ねさせ強い気が発せられ、テホグン(大護軍)を知る中堅兵士は、不穏な空気に気付きこれは不味いと慌てて新米兵を引き連れ道場を出ていく。
そんなチェ・ヨンの牽制をウンスは気付くことなく、手にした手紙に興奮して伝えてくる。
「でもね、あのね。タムドク、スジニって書いていることは確かだから、あの二人からの手紙ってことで間違いないのよ」
着物で拭ったためと興奮とで頬は赤く火照り、眸はキラキラと嬉しそうに瞬き子供のようだ。
チェ・ヨンは手にしていた剣を傍の机に置き、早く読んでとばかりにウンスから手渡された手紙である巻物を広げた。
イムジャの云うように、素晴らしく達筆な文字が並び、確かにタムドクとスジニとの文字もあった。
内容は、無事自身の時代に戻ることができた報告。
そしてその後、無事女児を出産したこと。
自分たちは元気に過ごせていること。
感謝の気持ちが記せられており。
親愛なる知人に送る様な内容の文章で、壮絶な歴史などは書かれることは一切なく、心からの感謝の言葉が並べられていた。
ウンスにその内容を教えると...
「そう、良かった元気で帰ることが出来て、子供も無事産まれて。本当に良かった」
ホッとした声色と、安心した言葉を述べ、自らの腹部に手を当てる。
あれから自らの身体にも、チェ・ヨンとの子供が宿っていた。
だから、余計にスジニが子を無事出産したことが嬉しく思え安心した。
「この二人にも、わたし達の子のことを知らせたいけど・・・」
それは無理ね。
だって、彼らは過去の人だから―――
手紙に書かれた年号は、遥か前の年号であり、それにしてもこの手紙が古ぼけていないこと。
新しいとは云えないが、この年数を過ごしてきたとは思えないほどの状態だ。
一緒に埋められた剣や矢と包んだ布も、汚れてはいたが素晴らしく保存状態が良いのは、何かチェ・ヨンの持つ力の様なものがあの時代にもあったのか?
まあ、そんなことはあまり興味はないが...
でも、ウンスはこの布を見つめ胸が熱く高鳴った。
もし、この布で包めば、わたしの手紙もわたしの居た時代に綺麗な状態で手紙を残すことが出来るのかもしれない。
ウンスはこの布は彼らからのプレゼントの様に思い。
「この布、わたしがもらって良いかしら?」
チェ・ヨンを見上げ臙脂の布を握りしめた。
もしかして、歴史上に重要なものだから、わたしが貰っちゃダメ?
イムジャの心配げな顔に、安心せよとばかりにポンポンとその頭を撫でる。
「この手紙はイムジャとおれに当てたもの。手紙の内容から見ても」
だから問題ないと頷き、布を持ったイムジャの手を引き寄せ、背後から被さる様に抱き寄せる。
首筋に顔を埋め少しふくらみの感じる腹部に慈しむように掌を置いた。
ウンスは「ありがとう」とつぶやきチェ・ヨンのその手に掌を重ね...
お父さん、お母さん。
この人と、この子と一緒に、わたし本当に幸せに生きているわ。
だから、だからどうか幸せにいて下さいね。
ウンスは首筋に感じるチェ・ヨンの肉厚な唇を求めるため、顔を傾け。
愛おしい人の唇にちゅっと音を立て口づけた。
「幸せにしてね」
口を付けたままつぶやき、ふふッと笑う。
その唇を、チェ・ヨンが下唇を食むように舐め。
「もちろんです」
甘く言葉を吹き込んだ。
おしまい
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