あまり更新もしないからブログのアクセスチェックだとかしないのだけれども、昨夜たまたま何気なくこの三十日間のアクセス数をみていた。
この三十日間のアクセス数第二位が2年前に書いた鈴木光司さんの「ダムド」の感想で、なぜにと不思議だった。シリーズ1作目の「リング」の感想は特にアクセス数が多いわけでないから、何かで取り上げられたのかそれともまた別の作品と間違えてアクセスしたのか…
三位は昨年の名探偵ポワロの放送のことで何となくこれはアガサ・クリスティー人気からだと思った。
そして他を大きく引き離しての一位が、四年前の甲田学人さんのライトノベル、Missingの改訂版復刊に関することで根強い人気とともに、自分のブログで多く読まれているのが四年前なのかと苦笑いしてしまう部分がある。
そのアクセス数チェクをした直後に、メディアワークス文庫15周年記念として、甲田学人さんがMissingの次に発表したライトノベル「断章のグリム」完全版の刊行告知を知り驚いてしまった。
https://x.com/mwbunko/status/1859899851158507865
本当に偶然とはいえ、後述するけれど、Missingの改訂版が最後まで刊行されたことや今も新作を発表していたりと人気を感じるから納得する部分がある。
断章のグリムは高校生時代に読んでいたから懐かしさと同時に、Missingも書いたことからあれこれ書こうと思う。
ただ近年ちょこちょこと書いているけれど、実家に戻ってから下手に箱を開けると散らかるから本はしまったままで、どこにあるのかわからないため記憶で書くから、確認ができず色々と記憶違いがあるかもしれない…
さて断章のグリムは題名に含まれているように、グリム童話を中心として童話を題材にしたものでる。
前作Missingは都市伝説を題材にしていたけれど、どちらも著者の知識のもとに書かれたもので(あまりに読みすぎて出典がもうわからないと書いていた)劇中で語られることは決して架空のことではなかった。
自分はこの二作でいわゆる民俗学といったものや童話といったものに興味を持った。ただなかなかに読めておらず、あくまでも表層しか触れていないけれど、口承伝承としての「学校の怪談」など興味が広がったのである。
脱線してしまったけれど、本シリーズは童話はシンプルな構成ゆえにあらゆる物語の原型という説をもとに、各巻で描かれる物語は童話に沿って展開して、さらにいえば幻想的な探偵ものといえた。とはいえ論理的に謎解きは行われるけれど、幻想的なものだけにそれぞれの真相、誰が異常な事件の元凶かなどを推理するのは困難だと思う。
さて一巻、最初の数巻を読んだ時に思ったのは「面白いけれど、おとなしくなったな」だった。
読んだ方ならわかると思うけれど、Missingシリーズはかなりスプラッタ性が強くて読んでいて気持ち悪くなる部分があった。あまりに生々しく、かつ悪趣味といっていいほどの描写で、読んでいて想像できてしまって、本来自分はそういったありそうな描写は苦手(逆にパンチで首が吹っ飛ぶなど非現実的なものは平気)なのだけれど、物語が気になってグイグイと読んでしまっていた。
一巻のあとがきで、自分のホラーと分類されているけれど、自分が書いているのはメルヘンでホラーではない、それどころかホラーは苦手だ、と書いていて不思議だった。さらにいえば断章のグリムで初めてスプーンいっぱいのグロを入れたと書いていたけれど、先に書いたようにおとなしく感じたのである。
ただ徐々にそのスプラッタ具合は増していき、ある巻のあとがきで作者自らタガが外れてきたと書いていたくらいである。終盤は悲惨過ぎてそういった部分で非常に人にすすめづらい部分だったりする…
さて作者の発言だけれど、同時期の電撃文庫の作家の誰かが、本人は自分のことを普通と思っていると書いていて、自分が書いているのはメルヘンでホラーという認識なのは嘘ではないのかなと思った。断章のグリム以降は一応本を持ちながらも、成人したり読む気力の減少から読めていないからどういった認識になっているのかわからないのだけれども…
わりと本作はキャラクターの配置だとかライトノベル的で何となく読んでいて作者は意識していた部分があるのかなと思ったりした。ヒロインが口が悪いだとか今では珍しくはないけれど、わりと主要キャラクターの性格だとか類型的だと思う。ただしシリーズを通してそれぞれが掘り下げられるうちに、平凡を自称する主人公を含めて皆歪んでいて終盤への破局へと突き進んでいく…
ちょっと思い出すのが倉橋由美子さんの「大人のための残酷童話」のあとがきで引用されているG・K・チェスタトン氏の言葉…自分の解釈だけど最近の主人公は異常でそれゆえに出会う出来事の異常さと差が出ない、それに対して昔ながらの童話の主人公は平凡で異常なのは出会う出来事そのもの、というもの。
それでいえば初期での主人公は一巻の終盤である特殊能力が明かされるものの、あくまでも平凡なのだけれど、シリーズが進むにつれて平凡であるがゆえの異常性が描かれていく。前述したチェスタトン氏の説に従えば平坦なものになるところが、最終的に主人公だけでなくある人物の異常性とともに、異常な出来事を超えてしまってそこで差ができているように思う。
そもそも最終的な終局のきっかけが、ある人物がある願い、希望を持ったからだけれども最終的に主人公が下した決断はそれを叶えてしまった形となり、単純に勝利だとかいえないなんともいえないものだった…
終盤は主要キャラクターが次々と無惨な形で退場していき(ある女性キャラクターは顔面に大量の鉄パイプが突き刺さり貫通)、それこそ主人公すら生存するかハラハラしながら読んでいた。このあたりあまり詳しくは書けないけれど、Missingという前例がありどう着地するのか読めなかった。
以前の読書週間日記でも取り上げた記憶があるけれど、個人的に印象的なのは3、4の人魚姫(上下)と12、13巻のしあわせな王子(上下)の二話…どちらも「愛」が物語の中心になっているのだけれども、前者は後編を読んでいて、当時流行していたいわゆる「純愛もの」の悪趣味というか悪意あるパロディに感じて皮肉を感じたけれど、後者はそれぞれの他者からみると悲惨でも当人にとっては幸福という痛みを感じるもので、同じ愛を題材にしながらもこんなにも味わいが変わるのかと驚いた。
そして詳しくは書けないけれど、この二作はある人物にとって重要な出来事で特に後者は終盤の壮絶な願いへとつながってしまうのである…
個人的にしあわせの王子まではギリギリ前の巻を読んでいなくても理解できると思うけれど、それ以降はきついと思う。
Missingも断章のグリムもそれゆえに漫画版やオーディオドラマは製作(余談だけれどMissingの方は聴いておらずこちらも復刊されないかと思っている)されているけれど、アニメ化や実写化は難しいと思うけれどそれだけに未だに根強い人気があるのが納得であると同時に意外に思う部分がある。
断章のグリムの方は女性人気、二次創作的な部分で人気があったと後に何かでちらっと読んで驚いたけれどたしかにそういった関係性にもなるなとちょっと納得してしまった。
さてMissingの改訂版は自分は集めたけれど、ちらっとしか読んでいないけれど文章など大幅に書き直されていたりして、今回も同じように書き直されているのかなと思った。
今回は完全版と銘打たれていて、それが不思議だったけれど…自分は紙媒体で集めたからどういったものなのか知らないけれど、たしかだいぶ前に作者が電子書籍化にあたって最終巻の終盤に、ほんの少しの加筆、あるキャラクターのその後を示唆する文章を追加したと読んで、そのことを含めての完全版なのかなと思うけれど、果たしてどういった意味での完全版なのか気になっている…
高校生から成人するまで読んでいたからある意味リアルタイムで読んでいたライトノベル(ただMissingとともに、ライトノベルくくりでいいのかと当時から思っていた部分がある・苦笑)だから、それが装いも新たに復刊に懐かしい気持ちとそれだけ時が流れたのかという切なさがある。
そしてMissingもだけれど、イラストレーターが変更されていてこのあたり、仕方がない部分(どちらも自分が知らないだけかもしれないけれど、活動が休止のよう)とはいえさびしい。Missingの方は新しい方も素敵だし、それこそMissingや断章のグリムのコミカライズも別の方だから、様々な素敵な絵でみられるという楽しみもある。
そういったあたりでオリジナルのままで、新たな絵が含まれた復刊だとかみると嬉しくなる。
今回は新しいイラストレーターの方の名前が発表されているから、果たしてどんな素敵なイラストなのかという楽しみがある。
あまり作品に関して触れられていないけれど、童話を題材にした幻想的で恐ろしく、壮絶ながらも切ない結末を迎える物語で間違いなく面白いといえるもの…だけれど前述したようにスプラッタ描写がきついため、なかなかにおすすめがしずらい物語…
そしてさっきもちらっと書いたけれどMissingのオーディオドラマのCDの復刊を本当に希望…
最初に書いたけれど、Missing改訂版は最後まで刊行されるか未定で、発売直後の売り上げの結果をみて、となっていて最終巻まで「売り上げの基準が超えたから次が出せる」と書いていたから、今回もそういった仕組みなのではないかと思うとハラハラしている…
そして前述したように前作Missingの日記は未だに多くのアクセスがあるけれど、もう四年も前だからまた新しい内容のものでアクセス数を増やすことを目標にしたい…