最近は訃報がつづくけれど、今度は谷川俊太郎さん…

 自分はあまり詩を読まないからそういった部分では縁がなかったのだけれども、ただマザーグースという形で氏の名前はよく目にしていた。

 海外作品では題名や作中にマザーグースの引用が結構ある印象があるけれど、解説だとかで説明がされるとき、たいていの場合、谷川俊太郎さんの翻訳が使われていることが多いような気がする。

 

 たびたび書いているように実家に戻ってから、下手に開けると散らかるから本は箱に仕舞いっぱなしのためどこにあるのかわからないけれど、講談社文庫の谷川俊太郎さん訳のマザーグース全四巻は手軽に大量に読めるもので未だに現役だけれど、だいぶ経つだけに改訳や巻末の解説の改訂だとか出てほしいなとちょっと思っていた。特に解説部分に関してはその後の研究の成果で変化だとかあると思うから…

 ただ谷川俊太郎さんの翻訳は読みやすさと口に出したとき、リズムのよさだとかあるから改訳だとかの必要性はないのかもしれないけれども…

 

 本が出せないので記憶で書くけれど、谷川俊太郎さんのマザーグースの翻訳でやたらと記憶に残っているものがいくつかある。

 

いちばへいちばへ、かるいしかいに

おうちへおうちへ、あしどるかるく

いちばへいちばへ、おもしをかいに

おうちへおうちへ、あしどりおもく

 

解説を読むと原文は豚の種類の違いで、谷川俊太郎さんは音韻を重視して石の種類に変えて意訳ではあるけれど、こういった工夫が翻訳の大変さだと思う。ただし正確な翻訳かと言えば問題ではあるけれど、このあたり難しいところだと思う。

 それこそ過去に、たしか読書週間日記で北原白秋氏の「まざぁぐうす」で書いた記憶があるけれど、北原白秋氏は葡萄ケイクと葡萄パンと訳していた。ただ注意なのは、口承伝承というものから翻訳に使ったテキストによって変わるから比較が難しいというのもある…

 

 そして個人的に物語性を感じるのが後半がちょっとあいまいだけれども

 

もりのなかのジプシーと

あそんじゃだめと、かあさんはいった

もりはくらく、くさはみどり

タンバリンもって、サリーがきた

(略)

かあさんにてがみをかいて

ぼくはもうもどらないと

 

後半はかなりあいまいだけれど、解説では手紙を書いてと頼んだ相手はサリーだったけれど、自分は第三者、サリー以外の女の子の友人と解釈して三角関係のファンタジーの物語がぼんやりと浮かんだ。

 

 そしてたま~に思い出すのが

 

リジー・ボーデン、おのをてにして

おやじをじゅっかいめったうち

われにかえって、こんどはおふくろ

じゅうといっかいめったうち

 

このあたり、多分自分がミステリが好きだからだと思う。

 

かあさんがわたしをころした

 

これもまた冒頭のインパクトがある。

 

 自分は海外ミステリからマザーグースに興味を持ち、そこから色々なマザーグースの本を読んだけれど、その基本となったのはこの谷川俊太郎さんの本だった。

 それだけに谷川俊太郎さんの詩には縁がなくともお世話になっていた。

 さらには今回の訃報で様々な曲に詩をつけたりと、知らないところでその言葉に触れていた。

 

 あまりに言葉がうまく紡げないけれど、ただただ冥福を祈るだけだった…