(一説では)シャーロック・ホームズ生誕記念贋作2024
見知った追跡者の冒険

SNS、ブログ、pixivに同時掲載
二次創作のため小説家になろうには見送り

今年もまた偉大なる名探偵に捧ぐ

 最初はどんなに小さく思える出来事でもそれが最後には恐るべき大事件に繋がることもあれば、逆にどんなに大きな事件に思えても真相はなんでもないということもある。
 そのためシャーロック・ホームズは見かけの事件の大小で依頼を引き受けることはなかった。いかに彼に興味を持たせるかが、問題であった。
 これから語る出来事は、そういった意味でいえば少し変わっていて、依頼を受けた時点では何も起きてはいなかった。

 依頼人のダグラス・メルフェアは二十代前半の、ぼんやりとながらも誠実そうな人柄の青年だった。
 「では、何も起きてはいないのですね」
「はい、ホームズさん。何も起きてはいないのです。ただあるのはわたしの不安だけなのです」
さすがのシャーロック・ホームズも困惑をしていた。
「少しは何かあるはずですよ。不安というものは、たいていの場合そう感じるだけの何かが起きているはずです」
「あるとすれば…先程も少しいいましたが、友人のヴァイオレットが莫大な遺産を相続することくらいですね。ただ何度も申しますように別に他に相続するものもおらず、それに意義を申し立てる者もいません。それに彼女はとてもいい子で恨みを買うとは思えません」
「あなたとヴァイオレットは長い付き合いなのですか?」
わたしは言った。
「ええ、幼馴染みで物心ついたときには遊んでいました」
「医者としての見方ですが、あなたのその不安は、友人が莫大な遺産を相続するという普通ではない状況から、色々と想像した結果ではないでしょうか…それにあなたは物語が好きな方のようですから」
シャーロック・ホームズとの付き合いも長くなることから、多少は彼の思考方法というものを学んでいた。彼が入ってきたとき、彼の持つ鞄からちらっといくつかの本がみえたが、それらはすべて探偵物語だった。そして彼の指には恐らく子供の頃から出来たと思われるペンだこがあり、指は綺麗に現れていたものの、手首部分の袖にはインクがこすれで出来たシミがあった。そこからわたしは彼が、そういったものが好きであり、また自身も執筆をする人間だと判断をした。
「ええ、よくおわかりで。たしかにわたしはそういった物語が好きなので、考えすぎなのかもしれませんね…」
「ところであながはその相続額は知っていますか?」
何気ない様子でホームズは尋ねた。
「相続額ですか…彼女から以前聞いたのですが、自分には関係ないと思ってあまり覚えていません…ただとんでもない額で、他に相続人がいたら殺人が起きてもおかしくはないとぼんやりと思ったくらいには莫大でした」
「そうですか…いくらあなたが彼女と親しいとはいっても、彼女の交遊関係やそれこそ彼女も知らない関係というものもあるでしょう。それほど莫大な金額を相続するのならば、何かしらの火種になってもおかしくはありませんね。いいでしょう、あなたの依頼を引き受けましょう。無駄に終わるかもしれませんが、何もないのならそれに越したことはないでしょう」
昔のホームズなら事件が起きたら面白いと言ったであろうが、長年の経験からか多少はそういった部分を隠すようになっていった。
「ありがとうございます!何事もなければそれでいいのです…もちろん何もなくても依頼料は支払います」
そう言って彼は安心した様子をみせた。
「ところでおめでとう、結婚はいつ頃かね」
ホームズは唐突に言ってわたしは驚いたが、メルフェアは特に何もなく答えた。
「結婚は二ヶ月後の予定です」
そこまで言って唖然とした顔をした。
「なぜそのことを?」
「あなたの鞄ですよ、失礼ながらちらっと中がみえましたが、それだけでも近々結婚すると判断するに充分です。それにあなたは自分のこだわりが強い方だと思いますが、あなたが長年使っていると思われる鞄と、あなたの服装のセンスは明らかに違い、誰か別の人が選んだとわかります。そしてこだわりの強いあなたが受け入れるくらいなのですから、親しくかつそんなことをするのは女性だと判断することに難しくはありません」
「たったそれだけのことで、そこまで見通すとは驚きです」
「あなたと同じで、僕も多少は創造力があるのですよ。あなたの場合は空想の方向ですが、僕の場合は目の前にみえることを組み立てるのに使っているだけですよ」

 「で、どう思うワトソン?」
依頼人はこの後、婚約者と約束があるからと部屋を後にしてから、しばらくして口を開いた。
「わたしとしては彼の単なる気苦労と思いたいが、莫大な遺産は色々と引き起こすものだからね。それこそバスカヴィル家の事件のようなこともあったからね(「バスカヴィル家の犬」参照)用心にこしたことはないと思う。それに…」
「彼女は美しすぎる、だろう?」
ホームズはにやりと笑って言った。
 依頼人は友人のヴァイオレットの写真を持ってきていたのだが、そこに映る女性は、わたしがいくら描写しようと試みてもその美しさを表すことができない美しさだった。メルフェアは幼い頃からの付き合いからなのか、普通に話していたが、彼が婚約をしていなかったらヴァイオレットに異性として意識をしていないと言っても信じなかったであろうほどの魅力が、写真からだけでも伝わるものであった。
「あれだけの美しさを持つのだから、彼女に恋する者も数知れないだろうし、彼女がやがてもつ莫大な遺産というものもある。何があってもおかしくはないと思うよ」
ホームズは聞いていないのか、ぼんやりと言った。
「莫大な遺産と、遺産の内容を気楽に話せるほどの友人…」

 次の日の朝、よくあることだがホームズはすでに出掛けていた。そして帰宅したのは陽も暮れた頃だった。
「ワトソン、今回の事件はもうすぐ大詰めだよ」
「そうかい…ということは今回はやはり何かしら事件だったのかね」
「それはまだわからない…ただ僕は色々と刺激を与えてきたから動きがあるだろう。そこでワトソン、準備をしたまえ」
「いつでも出れるように準備はしているよ」
「さすがだ、ワトソン」

 目的地にたどり着いたのは夜も遅くだった。わたしはそこはヴァイオレット嬢の住む町だと思っていたのだが、ホームズははっきりと否定をした。
 そこは薄暗い大通りより少し離れた場所で、身を隠すのに最適なものがたくさんある場所だった。
 ホームズは時計をみると緊張をした様子をみせた。
「いいかいワトソン、そろそろ時間だ。あそこをある人が通るから充分に気をつけてみていてくれたまえ」
 やがてホームズの言葉通り、一人の女性が歩いてきた。わたしはヴァイオレット嬢だと思った。
 そして、その後ろを誰かが走って追いかけてくるのがみえた。振り上げられた片手には銀色に輝くものがあり、わたしは瞬時にそれが刃物であることに気がついたときには拳銃を片手に走り出していた。
 追いかけられる女性は必死に逃げたが、追いかける人物はあまりに早足で追い付いていた。
 わたしも必死に追いかけたが、間に合わないと判断すると発砲をした。
 銃弾は追跡者を撃ち抜き、後ろに倒れた。
 わたしは追いかけられていた女性に駆けつけた。それは見知らぬ女性だった。
 呻き声に追跡者の方をみると、それはヴァイオレットであった。

 「要するにヴァイオレットは被害者ではなく、悪意を持つ人物だったということさ」
見知らぬ女性、セイラ・フィールディングを自宅まで送り、ベイカー街に戻ってからホームズは口を開いた。
「ヴァイオレットはメルフェアを愛していたが、彼は彼女を友人としてしか見ていなかった。いくら親しいからといって、異性である人物に自分の財産といったものを話すというのはあまりないと思う。おそらく彼女はその財を利用しようとしたのだろうが、彼は見向きもしなかった。そして彼は、自分ではない別の女性を選んだ」
「メルフェアは心配する相手を間違えたというわけなのだね…それにしても君、いくらなんでも女性をおとりにするなんて危険すぎないかい」
「彼女には悪いと思うが、ヴァイオレットがどういった手段を講じるかわからないしそれこそ何かしらのトリックを仕掛けたりしたら、こちらが後手に回ってしまう。だからこちら側が刺激して直接的な証拠をつかむしかないと思ったのさ。それに彼女はとても勇敢な女性だった」

 それからのことで、あまり記すことはないが、ヴァイオレットはメルフェアの希望と何よりもその財力から罪に問われることはなく、その巨大な屋敷から出ることもなく寂しく暮らしているそうだ。
 そして依頼人とセイラはその後なにも問題もなく結婚し、今もなお幸福に暮らしていると、時おり感謝の言葉とともに手紙が届き、今後もその幸福はつづくものとわたしは信じている。