読書週間ということでつづけてきた今回の日記だけれども、今日が最終日ということで取り上げるのは自分がファンであるアガサ・クリスティーの作品である。
 ただ今回取り上げるのはクリスティー作品としてはマイナーで、どちらかといえば評判のよくない単発作品の「フランクフルトへの乗客」である。
 本作品は当時クリスティー80歳80作品目として大々的に宣伝されたそうだけれども、物語はそれまでのクリスティーの作風とは大きく異なりミステリーではなく、作者が前書きで書いているところによるとコミック・オペラ、本質はファンタジーだそうである。
 自分はアガサ・クリスティーのファンだけれども、正直言って作品の出来としては決していいとは言えないのだけれども、それでも今回取り上げるのは妙に印象に残っていることとある意味で時代を先取りをしていると少しは再評価されてよいのではないかということで、最終日にこの本を選んだのである。

 さすがのクリスティーといえども80歳だっただけに物語として全体的にゆるい印象で(ただ自分が一番好きなのはこのあとに発表された「復讐の女神」だけれども)読んでいて「全盛期のクリスティーならもっと上手い具合に物語を扱えたのだろうな~」と終始感じた。とはいえところどころいかにもクリスティーらしい部分があり、たとえば冒頭…人生に退屈した外交官が自分に瓜二つの美女にある提案を受け、睡眠薬入りの飲み物を自ら飲むことになる。それが本当に睡眠薬なのかそれとも毒物なのか一切わからない状態にも関わらず飲む干すのである!その理由はあまりにも人生に退屈していたために…
 第一章はいつものクリスティーらしくテンポよく、さらにドキドキわくわくする展開で「あれ、評判が悪いけれども、実はこれ面白いんじゃないのか?」と思いながらページを進めたのである。
 結果からいうと面白い場面と退屈な場面が入り混じっていて正直クリスティー作品としてはあまり出来がよくない…ただし80歳にして挑戦したものは世界に広がる暴力、テロに対抗する物語なのである!

 世界中で起きるテロと暴力に人生に退屈した外交官と謎の美女、それに主人公のおばが中心となるパートをはさんで世界的な陰謀に立ち向かうというスケールのでかい物語なのである。
 そして第二部の締めくくりで、第三部へといたる以下の文章…

「狂ってる、狂ってる、みんな狂ってる—だがせいぜい楽しくやろう。ぼくらは長生きできるかな、メアリ・アン?」
「たぶんできないでしょうね」
(略)
「ぼくらの努力の結果、よりよい世界が生まれるかな?」
「そうは思わないわ、でももっと思いやりのある世界になるんじゃないかしら?いまの世界は信条ばかりあって思いやりが皆無でしょう」
「それだけで充分さ(略)いざ進まん!」

 自分はなぜかこの会話にクリスティーらしい楽しさと、作者の声が聞こえてくるように感じた。
 そもそもいつもと違う作風になったのはまえがきにあるように社会に対する不安からなのである…

 一ヶ月間新聞の第一面を毎日眺め、ノートをとり、考察し、分類してみるのです。
 毎日殺人事件がおこっています。
 若い娘が絞殺される事件。
 老婦人が襲われ、わずかな蓄えを強奪される事件。
 青年たちや少年たちが—襲ったり襲われたり。
 建物や電話ボックスの破壊。
 麻薬の密輸。
 強盗および暴行事件。
 子供が行方不明になり、家からさほど遠くない場所で死体となって発見される事件。
 これがイギリスなのかしら?イギリスはほんとにこんなふうなのかしら?人びとは感じますーまさかーまだそれほどではと。でもそれはありうることなのです。
(略)
 無政府状態ーそれも激化する一方の。
 すべては破壊の崇拝と残虐趣味を志向するかに思われます。
(略)
 それでも人々は知っているのですーわたしたちのこの世界はいかに多くの善にー善行、親切心、慈善行為、隣人同士の親切、少年少女の有益な奉仕にみちあふれているかということを。
 なのにどうして、現実の世相をあらわす日々のニュースには、世の中の出来事には、このような現実ばなれした雰囲気がつきまとうのでしょうか?

 この文章は1970年に書かれたものだけれども、まさに現代の社会そのものだと思うのである。たしかに作品としては出来が悪いのだけれども、80歳にしてこれまで描いてこなかったものに挑戦したクリスティーはやっぱりすごい方なのだと思う。そのあたり年代を重ねてもやっぱり好奇心旺盛だったのだと思うし、ミス・マープルシリーズの「バートラム・ホテルにて」で変わり行く時代に悲しみを抱きながらもそれでも前に進まなければならないと語った作者らしいのだと思う。
 当時ある批評家は挑戦を評価しながらも、これまでどおりの村で起こるお決まりの殺人事件を描き続けるべきではなかったのかと評したそうだけれども、新たなことに挑戦するのがクリスティーだと思うし、何よりも後年のハロウィーン・パーティーもこれまた出来はよいとはいえないのだけれども、その途中で交わされる昔はこんな風ではなかったのに、という台詞やこの物語では小さな子どもが被害者となるのである。そして計画のためには大切なものすらも除外しようとする恐るべき犯人で「これって、まさに現代じゃないか!」と思ったのである。そして今時の若者をコミカルに描いたかと思えば、彼らに大きな役割りをふりわけるクリスティーは見た目ではなく本質で物事を見ていたのかなと思うし、それは年齢を重ねたからこそ描けたものだと思う。たとえば中期の「愛国殺人」では最後、若い世代にむけてかなり辛辣な台詞をポワロに語らせるし(ちなみにこの作品である人物が殺人の濡れ衣を着せられて、その人物をポワロは人間の屑として処刑されたほうが社会のためにいいとまで言うのだけれども、最終的に犯人に語る信念のた
めに助ける…その信念は実際に読んでもらいたいので伏せる)作者もまた変わり続けていたのだなと思う。まあ、カリブ海の秘密ではいわゆる現代小説にミス・マープルは挑戦してそこで描かれる性的なものに対して皮肉的、最初驚いたのだけれどもそのなかでミス・マープルのセックス観が語られるし笑ってしまうと同時にセント・メアリ・ミード村は本当にすごいなと思うそういった性的なものは大々的ではなかったと辛辣に描いてはいるけれども…

 ただし、フランクフルトへの乗客の最後に、まえがきいわく科学による救済が描かれるのだけれどもそれが今となっては唖然とするもの…多分これは今では否定されている考えだったと思う(記憶が間違いがなければ手塚治虫氏のブラックジャックに似たような題材を扱ったものがあり今ではそれは単行本未収録で読めなくなっていたはずである)もので、そこで時代を感じてしまった…

 個人的に自分が特に印象に残っているのは、エピローグ冒頭のしゃれてはいるけれども味も素っ気も、それこそロマンチックさの欠片もない事務的なプロポーズとそれに対する事務的な返答でこのあたりのやりとりに「あぁ、やっぱりクリスティーだ」と楽しくなった。そこがおしゃれだったので、いつか自分の描く物語で引用したいと思うくらいでこのあたりはクリスティー的な面白さを含んだものだと思う。そのあたりの詳細は伏せるけれども、最初に読んだときはおしゃれだけれども思わず笑ってしまった。

 アガサ・クリスティーファンだけれども正直作品としては勧めづらいし、出来もよくないのだけれどもただ今改めて再評価されていい物語なのではないかと自分は思うのである。
 80歳、1970年という時代にこの物語を描いたと言うのだから…

 余談だけれども実はクリスティーの作品はゆるやかなリンクが貼られていて、トミーとタペンスものの「運命の裏木戸」ではフランクフルトへの乗客に関する言及があるし、本書に登場するミスター・ロビンスンはポワロやトミーとタペンスあとちょっと記憶があいまいだけれどもミス・マープルものにも登場していた記憶があるし、他にもポワロとミス・マープルをつなぐ人物がいたりそれこそ後年ポワロの秘書となるミス・レモンはもともと作者の初期に描いていた探偵パーカー・パインの秘書だった人物である。他にもちょこちょことリンクがあるそうなので、それを見つけるのもまた楽しいけれども…悲しいことに記憶力が悪い人物はそのあたりをかなり見落としていたり、キャラクターを忘れていてあとから色々な本でそのつながりを知ることが多いのだけれども…