ニッポンと私 | キドコロカエデのほんわかHardRockらいふ

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ただ何となく、ゆるやかに。







少し酔っぱらっているので、真面目なことを書く。







戦争なんてなくなれば良いのに。人間が人間を殺すことがなくなれば良いのに。

こんな大きなテーマを真剣に考えてみる。共感して頂ければハッピーだし、輪が広がったら嬉しすぎて失禁する(笑)







平和ボケしている日本で育ったせいか、私は「殺るか、殺られるか。」みたいな感覚が理解できない。







でも世界を見渡すと、毎日のように人間が人間を殺している。







キリスト・イエスは、神である主を愛すること、隣人を自分のように愛することが最も重要な掟であると言っている。

(Thou shalt love the Lord thy God with all thy heart, and with all thy soul, and with all thy mind./Thou shalt love thy neighbor as thyself.)

でも世界を見渡すと、毎日のように人間が人間を殺している。







キリスト・イエスはまた「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」とも言っている

(love your enemies, and pray for them that persecute you.)

でも世界を見渡すと、毎日のように人間が人間を殺している。







旧約聖書:出エジプト記に出てくる「十戒」には「殺してはならない。」とある。

(Thou shalt not kill.)

でも世界を見渡すと、毎日のように人間が人間を殺している。







どうなっているのだろう。この世界は。







同じ種の生物が増えると「共食い」が増えるなんて事もあるらしいから、人間が増えすぎているのかも知れない。科学技術や医療のレベルが高まれば自然淘汰される数が減る。増えすぎた人間のDNAが人殺しへと導くのか。







何のために人殺しが起きているのか。戦争・・・政治や経済、宗教が理由になっていることが多い。政治や経済などは完全にエゴのぶつかり合い。でも宗教には先述のような掟があるにもにかかわらず人殺しがなくならない。世界最大のキリスト教組織であるローマ・カトリック教会でさえ中世には「十字軍」とか何とかいってヒドいことをしている。宗教は心の奥底にまで届く。それゆえ大きな安心感につながるが、洗脳に近い側面もあるので煽動されて信じられない行動に走ったりもする。







歴史…私のささやかな知識の中だけでも「○○戦争」「○○の戦い」なんて単語で埋め尽くされている。人間は生まれながらにして「たたかう」動物なのかもしれない。







私の経験で言うと、子供の頃から偏差値がすべての詰め込み教育。いわゆる「受験戦争」に出兵。束の間の休息はファミコンのゲームの「勝ち負け」に一喜一憂。学校では「マラソン大会」「ドッヂボール」「テストの順位」「50mのタイム」・・・勝つこと、人を負かすことを教え込まれた。

大人になって行くにつれ、「人より美しくありたい」とか「人よりカッコいい異性とつき合いたい」とか、何事にも「競争」の要素がつきまとう。私の経験には幾分時代背景が影響しているが、人間は古今東西を問わず「勝つこと」を求め続けているような気がする。そしてきっと「隣人を愛する」なんて事が出来ない生き物なのではないだろうか。イエスみたいな立派な人はそれが分かってたから掟として人間に伝えたのではないだろうか。







幸い人間には理性というものが備わっている。「隣人を愛さなきゃダメだよな。」と思うことが出来る。せっかく理性があるんだから、実践すれば良いのにね。







ニッポンは戦後70年近くどことも戦争をせずにいる。でも、徳川幕府の時代は260年どことも戦争なんかしなかったのに、1894年(日清)、1904年(日露)、1914年(WW1)、1937年(日中)、1941年(WW2)・・・ 。50年間、戦争に明け暮れている。







一応、有名な「憲法九条」。







第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。







自衛隊は戦力じゃないの?とか、自衛隊がイラクへ行くってどうなの?とか...いろいろ疑問はあるものの、ニッポンは戦争と武力を永久に放棄すると宣言している(させられたのかもしれないけど)。







とりあえず70年くらいは無風だが、少し長いスパンで考えると「高々70年」である。「改憲」なんて言葉がチラホラ聞こえてくる…また戦争に明け暮れる時代が来やしないかとヒヤヒヤする。







もうひとつ、別の角度から。

戦争の理由に芸術や文化があっただろうか。文化や芸術は戦争の種になり得ないと思うのだ。確かに宗教ほど心の奥底にまでは届かないかもしれない。でも、気持ちを共有できる可能性がある。ふたりの人間に例えると、向かい合って対峙するのではなく、並んで同じ方向を向くことが出来るような気がするのだ。







私は第二次世界大戦から30年くらい後にこの世に生を受けた。「東洋の奇跡」高度経済成長後、オイルショックの後である。多感な10代の時期にバブル景気の顛末を目撃した。







日本は、強いと思っていた。







そもそも国が強いって何なんだろう。いろいろ考えてみると、クラスの男の子に通じるような気がするのだ。モテる男子の条件は「力持ち」「お金持ち」。国に例えると「軍事力」「経済力」なのだ。私が育ったニッポンは「お金持ち」だった。経済大国だったのだ。「力持ち」かどうかは不明。ケンカ売られたら正当防衛くらいはする、的な感じかな。







あれ、ひとつ忘れていないか?モテる男子最大の要素「カッコ良い」を。国がカッコ良いって何?

これが文化や芸術ではないかと思うのだ。あくまで個人的見解だが、フランスやイタリアって経済状況や失業率は別として、カッコ良い気がするのだ。ウィーンとかモスクワって芸術的なニオイがしてカッコ良い気がするのだ。







日本にだって誇れる文化や芸術が沢山ある。

・儒教

・おしとやか

・歌舞伎

・落語

・和服

・俳句・和歌

・性善説

・四季

・和食

・・・



他にも沢山ある。まさに「枚挙にいとまがない」。本来ニッポンは大変カッコ良いのだ。戦後、高度経済成長とかバブルなんていう波に乗って、無意識にアメリカナイズドされてきたけど、本当の魅力はアメリカ「みたいなことができる」ではないのだ。







「ものづくりニッポン」で大もうけしてクラスの人気者になった。でも、せっかく格好よかったのに別の格好良い男子のマネばっかりして、自分らしさが失われて・・・







私はニッポン固有の文化や芸術に「古い」「カッコ悪い」というイメージを持っていた。勉強不足も甚だしく、お恥ずかしい限りである。そんなこんなで、もっと日本を好きになろう。と思う今日この頃。







ケンカするために腕立て伏せなんかしなくてもいい。もともとカッコ良いんだから、自信持っていいんだよね。ニッポン。







ダメだ。何言ってるか分かんなくなってきた。







最後まで読んでくれてありがとう。







アタシ頑張るよ。